あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

音楽劇「母さん」を観て

2021-12-07 21:05:26 | 日記
先日、仙台演劇鑑賞会の12月例会に出かけてきました。
演目は「母さん」。
詩人・作詞家:サトウハチローの生き方や母との関わりを ピアノとバイオリンの生演奏を背景に
歌や詩を織り交ぜて描いた 作品でした。

パンフレットに書かれた劇評によると、
「母を主題に書き残した詩が3000偏を超えていることから、母との関係で詩人を描いた着眼点が
 優れている。母からの愛情に確信を持てずに反発を繰り返した詩人を、拗ね者で稀代の甘えん坊
 として捉え、奇行も辞さない豪放磊落なイメージとは真逆の、心優しい繊細な人物像から切り取
 っていく。……」

実生活での母との関わりは 、ハチローにとって 素直になれず反発を繰り返した不信の日々でした。
放蕩生活を繰り返し ハチローの母を捨て 舞台女優と暮らすようになる 父:紅緑(こうろく)。
その父に何も言えずに耐える母:ハル。
そんな両親との暮らしの中で、心の置き場のないハチローの心は さまようばかり。
そういった思いの積み重ねが、反発や奇行・不良行為という行動に結びついていったのだと思いました。
「…あんたは冷たい、丸ごと母親失格だ…」と 自分がこうなったのも母のせいだ と責め立てるハチローでした。

それでも ハチローにとって やはり母は、心のよりどころとなるかけがえのない存在でした。
「ちいさい秋みつけた」のもとになった 幼い頃母の背に負われて出かけた野原で 目にした草花や耳にしたモズの声
不良行為を重ねて家を出されたハチローの肩に、寒くないようにと身に付けていた赤いショールをかけてくれた母の優しさ
離婚して仙台で暮らす母のもとに 酔っぱらって出かけては その膝枕で眠ってしまう ハチロー

ハチローには、現実の母のひとつひとつの姿の向こうに こうあってほしいと願う母の姿も見え、その姿を重ね合わせて母さんの詩を書いていったのではないかと感じました。

   ちいさい母のうた

  ちいさい ちいさい 人でした
  ほんとに ちいさい 母でした
  それより ちいさい ボクでした
  おっぱい のんでる ボクでした

   かいぐり かいぐり とっとのめ
   おつむてんてん いない いない バア


   序 詩
            詩集「おかあさん2」より
 -母のうたを
  つづるときの
  よろこびとかなしみ

 -母のうたを
  うたうときの
  さみしさとうれしさ

  いつでも二つのものが
  ぼくの胸の中で
  ひろがったり つぼんだり
  重なったり
  こんがらかったりするのです
  ボクはこれからも
  これをつづけて行くことでしょう

 -母のうたを
  うたうときの
  さみしさとうれしさ

 -母のうたを
  つづるときの
  よろこびとかなしみ

ハチローの心に在る 二つのものは、母の姿を通して見えた よろこびとかなしみ であり さみしさやうれしさ。
それとともに在ったのは、現実の母の姿と あこがれる母の姿の 二つでもあったのではないでしょうか。

亡くなった自分の母は、私にとっては 時が経つにつれて 現実の母以上にあこがれた母の姿に近づいていっているような気がします。
それだけ母という存在は、すべてをあたたかくやさしく受け入れてくれる大きな存在で在り続けてほしいと感じているからなのかもしれません。

それなのに、母が生きている間にしてあげられなかったことのあれこれを、後悔の思いとともにかみしめたりしています。
母のしてくれたことの大きさに比べると、やはり今でも自分は ちいさなちいさな子どものままです。





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