詩集を読んでいて,心にとまったのがこの詩です。
どんな夫婦であったのか,物語のように二人の歩んだ歴史が見えてくる感じがします。
あこがれたはずのしずかな夫婦にはなれなかったものの,よい夫婦であったことが ほの
ぼのと伝わってくる詩です。いかがでしょうか。
しずかな夫婦
天野 忠
結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。 / とくに静かな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ / しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて / 私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて / ある日 突然やってきた。
昼飯代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し / お見合だ お見合だ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで / 初めての娘と私は ふわふわ歩いた。
-- ニシンそばでもたべませんか と私は 云った。
-- ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは / いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点(つ)いていることだった--
戦争がはじまっていた。
祇園まつりの囃子(はやし)がかすかに流れてくる晩 / 子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ / 徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩(くちげんか)も出来ず / 女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。 / 転々と職業をかえた。
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律義な奴で / 年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず / 貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに / 遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
--久しぶりに街へ出て と私は云った。
ニシンソバでも喰ってこようか。
--ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。
願っていた「しずかな夫婦」ではなく,貧乏や病気や苦労を重ねながら「にぎやかな夫婦」と
して歩んできたのですね。
30年たっても,にしんそばの好みが一緒にならないのは,お互いの個性をお互いが尊重
し合う中で共に生きてきたからなのでは……。
でも,やはり確かなのは,二人で 苦労や喜怒哀楽を 共にして 歩んできた歴史であり,
人生であり,家族や夫婦としての絆だと思います。
年齢的なものかもしれませんが,夫婦としてのこれまでと これからのことを 立ち止まって
考えるようになりました。
この詩を読むと,自然体で気楽にこれからも歩んでいけたらという気持ちになります。
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