1月22日、墨田区主催の池波正太郎まちあるきに参加しました。
池波正太郎まちあるき
錦糸町駅から、長谷川平蔵の旧邸へ
鬼平情景
長谷川平蔵の旧邸
付け火が元の明和9(1772)年の目黒行人坂の大火は約1万5千人が亡くなったといわれ、明暦の大火に次ぐものでした。
その下手人を捕えたのが、平蔵宣以(のぶため)の実父、長谷川平蔵宣雄(のぶお)です。
この手柄で、同年秋に京都町奉行所に出世しましたが、年号が変わった翌、安永2(1773)年6月に客死してしまいました。
家督を継いだ平蔵宣以は天明7(1787)年、42歳の時に火付盗賊改方の長官に就任することになります。
京都へ家族で移るまで住んでいたのが、入江町の屋敷でした。
義母に「妾腹の子」といじめられ、その反発で屋敷を飛び出し、本所・深川を根城に「入江町の銕(てつ)」又は「本所の銕」と呼ばれ、後に密偵となる相模の彦十などを引き連れ、放蕩無頼の青春を送っていました。
竪川(高速道路の下)と、大横川(前方から後ろ方向)(後日撮影)
大横川の北側は、親水公園になっています。(後日撮影)