往年の名プロレスラー、テリー・ファンク氏が亡くなりました。79歳でした。
テリー・ファンク氏は、1944年にプロレスラーのドリー・ファンク・シニアの次男として生まれ、テキサス州アマリロで育ち、兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に父からレスラーとしての英才教育を受け、1965年12月28日にプロレスデビューしました。1975年12月にはジャック・ブリスコを破り当時、世界最高峰の王座だった「NWA世界ヘビー級王座」を奪取し米国マットでトップに立ちます。
日本には1970年6月に「日本プロレス」へ初来日し、ドリーとの兄弟タッグ「ザ・ファンクス」として登場。さらに1972年10月にはジャイアント馬場が旗揚げした「全日本プロレス」に参加。必殺技「スピニングトゥーホールド」を引っさげ、甘いマスクで人気となりました。
特に絶大な支持を獲得したのは、1977年12月に蔵前国技館で行われた「世界オープンタッグ選手権」最終戦でドリーとのタッグでアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークとの一戦。ブッチャーのフォーク攻撃で右腕を突き刺されながら耐え抜き優勝。以後、ブッチャーとの抗争は全日本のドル箱カードとなり、全日本プロレスのトップ外国人に君臨しました。
以上のように、日本のプロレスファンからすれば、本場アメリカのNWAのスター選手であるとともに、日本のプロレス界の興隆にも大きな貢献をした大恩人であって、兄のドリーや、4年前に亡くなったハーリー・レイスと並ぶ、プロレス界の大巨星でありました。
テリー・ファンク、本当にありがとうございました。
これからは、ゆっくりとお休み下さい。 合掌