アートインプレッション

株式会社アートインプレッションは、美術展の企画を主な業務としている会社です。

モンマルトル日記 vol.2

2010-12-10 17:36:45 | 陶酔のパリ・モンマルトル
引き続き、来年4月より伊丹市立美術館尾道市立美術館北海道立函館美術館他、国内複数美術館へ巡回予定の「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展に関連して、モンマルトルのご紹介をさせていただきます。
今日ご紹介するのは、かつてのモンマルトルの文化を今に伝える美術館、「モンマルトル美術館」です。

モンマルトル美術館


モンマルトル美術館外観。
壁に掛けられた看板は19世紀末に一世を風靡したポスターで彩られています。
弊社代表市川飛砂 写真提供。



モンマルトル美術館内部に再現された19世紀当時のビストロ。

モンマルトル界隈でも観光客で賑わうテアトル広場やサクレ・クール寺院から少し脇道に入ると、閑静な住宅街が続き、モンマルトル美術館が見えてきます。
かつては邸宅兼アトリエとしてルノワールやユトリロ、デュフィなど数多くの芸術家がここへ移り住み、やがて時代を代表する画家へと成長していきました。ルノワールの代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」も、この場所で制作された作品の一つです。
1960年に美術館となって以降はモンマルトル周辺地区の歴史や芸術作品を保存、公開し、なかでもカフェの看板やポスター、メニュー、写真など、19世紀末のキャバレー文化や娯楽文化に関するコレクションは大変充実したものとなっています。周囲にはパリでここでしか見られない葡萄畑が広がり、古き良きモンマルトルの情景が今に残っています。

「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展でも、前衛芸術家で賑わった伝説的なキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」で上映され、一世を風靡した影絵芝居関連の作品を出品します。


キャバレー「シャ・ノワール」での影絵芝居に使用された亜鉛板(参考)

本邦初公開作品ですので、是非楽しみにお待ち下さいませ。
今後も引き続き、モンマルトルに集った芸術家とその周辺文化についてお伝えして参ります。

次回はモンマルトルのシンボル、サクレ・クール寺院のご紹介です。

モンマルトル日記 vol.1

2010-12-01 15:51:19 | 陶酔のパリ・モンマルトル
12月に入り、イルミネーションで華やかな季節になってきましたが、皆様いかがお過ごしですか?

今日は、来年4月より伊丹市立美術館でスタートし、その後尾道市立美術館北海道立函館美術館など、国内複数の美術館へ巡回予定の「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展に関連して、モンマルトルのご紹介をさせていただきます。

モンマルトル(Montmartre) 


テルトル広場。
プロの画家や画学生などが、所狭しと軒を連ね、観光客の似顔絵を描いています。
芸術家が集った昔のモンマルトルを今に偲ばせます。弊社代表市川飛砂 写真提供。



19世紀末~20世紀初頭にかけて、モンマルトルは世界各国の新進芸術家たちが集まる、まさに芸術の中心地でした。街を象徴するキャバレーやカフェ・コンセール(音楽カフェ)が建ち並び、それらを舞台に「美術」や「音楽」「文学」の枠に収まらない芸術活動が繰り広げられていたのです。
美術からはポスター芸術で有名なロートレックやスタンラン、音楽からはBGM(Background music)の生みの親であるエリック・サティにドビュッシー、文学からは詩人のポール・ヴェルレーヌや、『ボヴァリー夫人』で有名なフローベールなど、そうそうたるメンバーが集い、互いに影響し合いながら新しい芸術表現を追い求めていました。
モンマルトルが芸術の中心地として栄えたのは、普仏戦争での敗戦色が残る1870年代半ばから、モンマルトルの観光地化を受け、セーヌ川左岸のモンパルナスへと芸術家の活動拠点が移行していった第一次世界大戦前までの約30年余り。短い期間ではありますが、ダダやシュルレアリスムを始め、後世の芸術へ与えた影響には計り知れないものがあります。

今回の展覧会では、このような前衛芸術家たちの作品を、当時の伝説的なキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」を中心に、娯楽や大衆文化といった観点からご紹介する予定です。
本展ならではの試みも多数あり、今後も先にご紹介した芸術家やキャバレー等、引き続き関連情報をお伝えして参りますので、是非楽しみにご覧下さいませ。

次回はモンマルトル美術館のご紹介です。