サクレ・クール寺院
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/ca/ab5a9e8ba4c76c5b275bcdda1369bd0e.jpg)
弊社代表市川飛砂 写真提供
今日は「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展の舞台、モンマルトルの丘のシンボルでもあるサクレ・クール寺院のご紹介をいたします。
日々大勢の観光客で賑わうサクレ・クール寺院ですが、完成したのは1914年、一般公開されたのが1919年と比較的新しく、普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンで犠牲となったパリ市民を弔うために約40年かけて建てられました。
着工当時はエッフェル塔も完成したばかり。どちらも来たるべき20世紀への期待感と先の戦争で受けた傷の両方を包み込むような存在だったのではないでしょうか。
一方、サクレ・クール寺院の建設が進む中、モンマルトルではキャバレーやカフェ・コンセールといった娯楽施設が次々とオープンし、イヴェット・ギルヴェールやアリスティド・ブリュアンなど、当時の一流スターが活動の場を求める歓楽街として世紀末パリを彩りました。下の3つのポスターからも、当時の様子が偲ばれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/88/a773d810a3430f01aca85a68fe5efbae.jpg)
左 :カフェ・コンセール「ジャルダン・ド・パリ」のポスター
ジュール・シェレ 北海道立帯広美術館所蔵
中央:モンマルトルの劇場初演
アンドレ・ドゥヴァンベ 個人蔵
右 :「ディヴァン・ジャポネのポスター」
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 北海道立帯広美術館所蔵
今回展覧会でご紹介する芸術家たちが活躍したのもまさにこの時期。サクレ・クール寺院が出来上がっていく様子を眺めつつ、毎晩こうしたカフェ・コンセールで「はちゃめちゃな」催し物を企画して、当時の前衛芸術を形作っていったのでした。
上記以外にもまだまだ沢山のエピソード、作品がありますので、展覧会のオープンまで楽しみにお待ち下さい!
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弊社代表市川飛砂 写真提供
今日は「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展の舞台、モンマルトルの丘のシンボルでもあるサクレ・クール寺院のご紹介をいたします。
日々大勢の観光客で賑わうサクレ・クール寺院ですが、完成したのは1914年、一般公開されたのが1919年と比較的新しく、普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンで犠牲となったパリ市民を弔うために約40年かけて建てられました。
着工当時はエッフェル塔も完成したばかり。どちらも来たるべき20世紀への期待感と先の戦争で受けた傷の両方を包み込むような存在だったのではないでしょうか。
一方、サクレ・クール寺院の建設が進む中、モンマルトルではキャバレーやカフェ・コンセールといった娯楽施設が次々とオープンし、イヴェット・ギルヴェールやアリスティド・ブリュアンなど、当時の一流スターが活動の場を求める歓楽街として世紀末パリを彩りました。下の3つのポスターからも、当時の様子が偲ばれます。
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左 :カフェ・コンセール「ジャルダン・ド・パリ」のポスター
ジュール・シェレ 北海道立帯広美術館所蔵
中央:モンマルトルの劇場初演
アンドレ・ドゥヴァンベ 個人蔵
右 :「ディヴァン・ジャポネのポスター」
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 北海道立帯広美術館所蔵
今回展覧会でご紹介する芸術家たちが活躍したのもまさにこの時期。サクレ・クール寺院が出来上がっていく様子を眺めつつ、毎晩こうしたカフェ・コンセールで「はちゃめちゃな」催し物を企画して、当時の前衛芸術を形作っていったのでした。
上記以外にもまだまだ沢山のエピソード、作品がありますので、展覧会のオープンまで楽しみにお待ち下さい!