灼熱の夏
炎のごとく太陽が輝く
揺れ動くエネルギーの流れがよく見える時
ロンドンオリンピック
エネルギーの流れ方によって勝敗が決まる
さまざまな競技の中
手に取るようにその流れが浮き上がる
ポイントは顔、特に目と表情
いろんな意味で「いい顔」・・・
心の入り方
意識の鎮め方
かけひきという簡単なことではなく
如何に「自己」と向き合えるか
育ててきた自分の真の姿が出せるか
芯に潜む弱さが浮き出してくるのか
意識も何もかも振り捨てて
如何に動物的・本能的に立ち向かうか
人間を通過する「さまざま」を通り越して「ここぞ」という時
真っ白い「空な」自己として立ち向かえるか
この両者が勝者となる
「勝ちたいという気持ちが強いものが勝利する」時代は
すでに終わりつつある
スポーツの世界にあっても・・・
闘争本能、テストステロンが無害に美しく消費される最高の舞台
揺れ動くエネルギーの美しさを見つめたい・・・
梅雨明けはまだ遠いだろうけれど
今日は夏空が広がる
楽しみなことに528HzのMIチューナーを創ったAさんの
7月に東京で行われるパーティに急遽参加することになった
ホテルも取れたので一安心
そのパーティは「音」の関するものではないけれど
少しはお話も聞けるだろう
このところ開かれている「音の夕べ」のセミナーは
今まで行われたことが無い内容が豊富で
すぐに参加定員がいっぱいになりとっても評判よく盛会のようだ
いろんな方向から「音」に注目するというのはとても興味深い
たまたま見た夕方の郷土ニュースで
ピアノの連弾で有名なザイラー夫妻のかやぶき音楽堂の
演奏会について放映していた
カーネギーホールでの演奏会を行ったこともあるというが
普段は京都の田舎で田んぼ等もやっていて
「晴耕雨奏」のほぼ自給自足の生活らしい
「音楽堂の演奏会に行った」という人たちの声は以前よく聞いたが
私たちは行ったことが無い
娘のヴァイオン奏者希生・ザイラーさんの演奏は
長岡京アンサンブルや他のアンサンブルで
何度か聞いたことがあるが・・・
和子・ザイラーさんの言葉がちょっと響いた
日々の小さなことを大切にした真摯な積み重ねが
本当の「幸せ」に繋がる
一時的な「ラッキーハッピー」を求める生き方ではなく・・・
というような意味に聞こえた
何と多くの人が「ラッキーハッピー」を求めていることか
特に精神世界!?やスピリチュアル系と言われる人たちは・・・
求めてしまう気分というのはよく分かる
「ラッキーハッピー」は時として誰にでもおこる
(強く求めればそれだけ起こる確率も高い)
ちょっと嬉しい・・・いい気分だ・・・それはそれでいい
どう捉えるか、その捉え方でベクトルの方向が決まる
自分(たち)だけにおこる「ラッキーハッピー」
選ばれた自分(たち)に「ラッキーーハッピー」がおこる
・・・なんて思ってしまうのも落とし穴
選ばれるために色々なことをする
神社やパワースポット等いろいろな所へ行く等々・・・
ラッキーを求めて意識は外へ外へと向かってしまう・・・
いつもいつも「ラッキーハッピー」を求めている人たちは
成長しないことがこの頃よく見えてきた
以前は「変らない」ことがちょっと素敵に見えていたときもあったが
進んでいく「時」の中で「変らない」「変っていかない」ことは
「退化」に通じるのではないかとこの頃強く感じる
流れが悪くなり滞ってしまう
そこに何かがたまる・・・
成長も進化もない・・・
変わっていくことは「浄化」に通じる
日々の真摯な積み重ね・・・
奥底の変らない流れと変えていかねばならないもの
本当の幸せ・本来の幸せ
「幸せの意味」ももう少ししたら変って来るだろう
それにしても
爽やかな夏空の広がりは気持ちがいい
2012年6月
ウエサクのスーパームーン、金冠日食、月食、
金星の太陽面通過と目白押しのごとく
宇宙の壮大なショーが続く
全ての始まりは2004年の6月8日の金星の太陽面通過から始まった
・・・なんて
もう8年、早8年・・・
次は2117年12月まで待たねばならない・・・
この頃一段と人のエネルギーの流れが伝わってくる
流れ方、滞り、そのときの状態、そのそこに流れるもの・・・
P・C上では特に分かりやすい
写真、文章等々
瞬時に伝わってくる
また例えばテレビで見ている人たちや
実際に知っている人の共通点等も伝わってくる
行動様式、思考形態、嗜好等々
大概合っているから面白い・・・
アガサ・クリスティのもう一人の名探偵「ミス・マープル」が
殆どの生涯を小さなセント・メアリー・ミード村で過ごしながら
どんな難事件でもその事件に関わる人々の観察から
セント・メアリー・ミードの人たちを思いおこしながら解明していく
世界の(人たち)全てがこの小さなセント・メアリー・ミード村に
凝縮されてあると・・・
それもエネルギーの流れ方の共通点を見ているのだ
行動様式、思考形態、嗜好等々パターンに共通するものがあるのだ
家人も以前はよくそんなことを言っていた
視覚優位で瞬時の観察力が鋭い特性から(全くそうは見えないが)
瞬時に読み取ったことを
例えば学生時代のクラスメートを思い起こしたり
身近な人との類似点や共通点を見て
出会った人を見ていく
話していくと大概合っている
「どうしてそんなことが分かるんですか」ということになる
どちらにしても「瞬時の感覚」が大事だ
無駄な思考が入り混む余地がないところでないとこの話は成立しない・・・
なんて・・・
伝わってきたエネルギーに「イラッ」としたりちょっと落ち込んだりと
マイナスの影響を受けることなく
すべて「ああそうなんだー」と慈愛の心で受け入れ
大きな流れの中で自他共々にエネルギー転換へと向かえればいいのだ・・・
6月6日はヴィーナストランジット
地球に 太陽系に
美しき黄金比チューニングがかかるという
宇宙の大きな流れの中で
見えない力が大きく動いていく・・・
桜はもう深緑の薫りを放って
とき(季節)は瞬く間に移りゆく
緑が一斉に萌え出した
幾千、幾万の萌黄の色に誘われて
宇治から南郷・大津へ抜ける道を走る
ここは麗しき日本の最高の若葉の季節を堪能できる道だと
密かに思っている
初めてこの季節に通った時から・・・
宇治川の水も清く深い青をたたえて
本当に得も云えぬ美しさだ
この季節各地に住む自然を愛でる知人たちを
連れて来てあげたいものだといつも思う
しかし知る人は少ないらしく
ゴールデンウィーク(それがちょうど若葉萌えの時なのだが)
でさえ毎年空いている
嬉しいやら残念やらちょっと複雑な気分
今日はこの道沿いに立つ立木音楽堂でのクラシックコンサート
ヴァイオリンとピアノの女性のデュオ
もう大津市に入っているが
景観が何とも素晴らしくほんとに美しい場所にひっそり立つ
50人規模の音楽堂
優しい風が吹きぬけせせらぎと鶯の声が聞こえる
普段は土日だけカフェとして営業している
数年前この緑の季節に偶然通りかかった時
まだ建ったばかりの音楽堂に立ち寄り
グランドピアノが置いてあるのを見て
こんな所でいい音楽を聴けたらいいなと案内を頂けるようにした
バッハのアヴェ・マリアから始まった
前半はベートーヴェンのピアノとヴァイオリンの為の
ソナタ第5番「春」をじっくり聴けて楽しかった
後半はリストやクライスラーのお馴染みの曲
ヴァイオリンの音色がいい
センチュリーの楽団員とか・・・
一番良かったのは初めて聴いたラヴェルのピアノと
ヴァイオリンの為のソナタト長調
ラヴェルらしく何とも新しげで面白い曲
Blues:moderatoではバンジョウを模したしたという
面白いヴァイオリンの演奏があったりとっても楽しかった
去年はたしか3月に来た
よく晴れて暖かく素晴らしい天気だったことを覚えている
でも大震災から日が経ってなくて
心はどっしりと重く悲しみが渦巻いていた
女性のピアノトリオだったと思うけれど
打楽器なんかのゲストもあったりとっても楽しく優しく
可憐な演奏会だったけれど
素晴らしい自然の中でもいい音楽に包まれても
胸の思いは深く重かったのを想い出す
あれから1年あまり・・・
さまざまな思いはあれど前を向いて空を仰ぎ
大いなる信頼のもと歩かねば・・・と思う
アンコール曲は「ユーモレスク」
昨年震災直後、房総から送っていただいた「ポピー」を題材に
家人が油彩のオラシオン「祈り」のシリーズを描いていた
その第一作の題名が「ユーモレスク」
そんなこんなに思いを馳せている時メロディが聞こえてきて
何か不思議な感じだった・・・
あたりは萌黄の色満ち溢れ
さまざまな鳥たちが飛び交う
鶯の声があちらこちらに・・・
萌え盛る万の緑薫り居りただ立ち尽くし風の声聞く
時の移ろいは足早にすっかり葉桜の季節
今はハナミズキが一斉に開く
川辺の芥子菜はまだ元気で今年は特に優しい黄色が美しい
ベランダから見下ろすともうアジサイが蕾をつけている
大きく育った薄紫のライラックがいっぱい花を開かせて芳しい香りを放っている
今年に入って「お正月花」から
玄関に活けるお花のメインに黄色の花を飾っている
自分でも不思議なのだが
今年は何故か花屋さんに行くと黄色い花を買いたくなる
今は黄色いアイリスだ
風水では玄関に黄色がいいというのは以前から知っていたが
それとは別の感覚・・・
今まであんまり意識したことはなかったが
改めて考えると仕事してきた場所も含めて
花の無い生活は考えられない道を歩んできたのだなと思う
日々花ばなに助けられて生きてきたんだなあとしみじみ・・・
今年も桜めぐりをした
京都は10日に一気に満開になった
その前日あたりに鴨川沿いや高野川沿いを車でゆっくり巡った時は
三分から五分咲きだったのに・・・
それでも十分美しく楽しめたのだけれど・・・
先週は名残の桜をということで
滋賀の桜の名所「海津大崎」に行った
高速を大津でおり一路高島市へ
比良山系や伊吹山には残雪が美しかった
海津大崎に近づくにつれて桜さくらの桜道が何キロも続く
今まさに満開のさくらと琵琶湖のさざなみ
柔らかい風が「海津大崎」に吹く
見事!!
ここで終わりかと思えば
それから先も桜さくら・・・・が延々と続く北近江は素晴らしい「桜の国」だった
残雪が何とも美しい山々を背景に湖に沿って桜が流れる
奥琵琶湖パークウェイも頂上まで桜道が続く
見下ろしても見上げても桜さくら・・・
桜の優しさに包まれて夕日を受けた湖面が波立つ
何とものため息・・・
こんなに桜を見たのは初めてのこと
何とも素晴らしい体験になった・・・
今はただ桜宇宙の中にあり
銀座の風が吹きすぎる中で
この展覧会の時を過ごして感じたことことのひとつ
これまでの(現在も)文明・文化は特殊脳の人たちによってもたらされきた
それはインスピレーションによってその特殊な脳に与えられたのかもしれない
人はそれを「天才」と呼び、それを均し受け継ぎ、進化が押し進められてきた
芸術の面でも然り・・・
でもそれはあくまでもアンバランスな世界だ
二面性しかない世界
俯瞰してみることの出来ない世界のような気がする
必ず闇が存在する
原発のように(他にもいろいろあるが・・・)
それを生み出した人やその身内・周囲の人たちが幸せだったと言う話は
あまり聞かない
これからは、これからのアクエリアスの時代は調和・融合の時代
あくまでもバランスの取れた脳、優れたバランス脳が生み出す調和に
満ちて光に向かうものが世に広まっていくことが必要となる
そうなることによって次の新しい時代・時は生み出されるような気がする
そんなことは絶対出来ないと言われてきたが
そうできないと次への進化は無い
リング・パス・ノット・・・グルグルまわりは続きやがて・・・
となるような気がする
ではどうするか
その辺りを見極めて
感性を研ぎ澄まし出来ることから始めて
穏やかに進んでいくしかない
銀座を東京を吹きすぎる風は新しい香りを運んでくれた
祇園囃子が聞こえる今夜は宵宵宵山
明日の宵宵山には四条辺りに出かける予定・・・
何日か前から山や鉾が立ち飾り付けが出来上がって
いろいろな店が出て昼間から鉾町は賑わいを見せている
それぞれの鉾や山で奏でられる祇園囃子が何とも言えない風情を醸し出す
久しぶりに占星術研究家でストーンセラピストのAちゃんのブログを見たら
数霊占い・今年後半がアップされていた
2011年だから2+0+1+1に誕生日を足していき最後に2桁であれば一桁ずつ足す
自分に当てはめて計算してみた
新しい出来事のはじまりが突然にやってくるように、
この一年は、これまでとは一味違う一年になるでしょう。
突然の出合いや、偶発的な出来事に注意を払ってください。
将来のきっかけが潜んでいる可能性があります。
また、新たな出合いが出合いを呼んで、
今まで縁のなかった関わりやコミュニティに導かれるかもしれません。
そして、この一年は、なんらかの自由を得る可能性も暗示しています。
もしかすると、足かせに感じていたしがらみから解放されたり、
不自由に感じていたことが解消されるでしょう。
今年新しくはじまる流れは、あなたに多くの実りをもたらします。
環境を大幅に変えることになったり、転居や転職、改築など、
あなたの生活が目に見えて変わることも。
また、新たに得ることで、負うことになる責任も増えるかもしれませんが、
あなたの望みが叶えられる流れにある以上、それらは喜ばしいものとなるでしょう。
後半ははじまったばかりですが、変化を恐れず、多くのことにチャレンジしていってください。
これまでと同じような生き方やライフスタイルを維持しようとするよりも、
これまでならトライしなかったことにトライしてみたり、
似通った人たちとばかり付ききあうのではなく交友関係を広げるなど、
変化を求めて、新境地を開拓していったほうが有意義に過ごせるはずです。
また、恋愛面は、多くの出合いが予想されるものの、熱しやすく冷めやすいとき。
本命がいる人は、一時の気の迷いで大切なパートナーとの関係を台無しにして
しまわないよう に、誘惑に流されないほうがいいでしょう。
興味や好奇心の矛先を間違えなければ、幸運な一年となるはずです
何か当てはまりそうな感じ・・・何かいい感じではある・・・
意識的にはしっかりそうなんだけど実感やや乏しく
いろんなものが自然と取れて行き、ずいぶん身軽にはなったけれど
つぎの現実がまだなかなか見えてこない狭間にいる感じ・・・
それをちょっとずつ楽しめるようにはなっきている・・・
「数霊」って古神道から来ているようだけれど良く分からない(カタカムナにも・・・)
母音・子音とかも関係し、いろいろな考えに基づいていろいろな見方があるのだろう
「占い」と言うのも本当に様々あるが、依存と言うのではなくそれをきっかけに
自分の内面を探っていく(それも前向きに)ことにつながればいいと思う
空は良く晴れているが今日も時折心地よい風が吹く
ご近所から綺麗な南部風鈴の音がなんとも涼やかに聞こえてくる
暑い熱い京の夏もいいものだ・・・
激しい雨のあと急に梅雨が明けた
梅雨明けを告げるはずの蝉は今年もまだ鳴かない
お隣のツバメの巣は順調のよう
親鳥が巣を守っている
まだ雛のかえっている様子はないが、卵はもう生れている感じ・・・
青空の広がりは気持ちがいい
暑いけれど今日はいい風が吹いている
この前京都がエアコン普及率全国一と知った
やっぱり!京都の蒸し暑さは只者ではない
風が吹いてもそれは熱風・・・
各部屋に冷房対策が必要となる・・・
子どもの頃まではまだ我が家や他家にも夏仕様が残っていた
(家の作りも今とはちょっと違うのだが・・・)
各部屋のふすまやガラス戸等をはずして涼しげな長暖簾をかけて
家中の風の通りをよくする
敷物も夏使用の花ござや竹を使ったものに変え
玄関も夏のしつらえにする
もちろん簾やよしずをかける、食器等も夏用のものにして・・・
夕方打ち水をする等々・・・祖母の姿が浮かんでくる
早速今年も毎年訪ねている信州・蓼科の山荘を予約した
晴れ晴れとした夏空は気持ちを大らかにさせる
夏が来ると「暑い!」「この暑さ何とかして・・・」と言う感じが強かったが
今年はなぜか澄み渡る眩しい青が嬉しい
夏空! 「太陽がいっぱい!」「光あふれてる!」って感じがいい
ちょっとしたワクワク感は水泳が大好きだった子供の頃以来だ・・・
今年は月下美人の葉の勢いも良く新しく伸びて
大きくなった葉も緑に輝ている
シュートも伸びてきた
2・3週間前の雨の日、葉を切って植木鉢にさして置いた
小さな小さな赤い芽が伸び始めた
命がつながっている
(去年10個以上花を咲かせた今や1メートル近くなった月下美人も
もとは1枚の葉っぱを切って植えたものだ)
破棄的なもの(映像等)や批判的な否定的な言葉の数々
(肯定的な言葉は長く続けることが意外に難しいが否定的な言葉は
湯水のごとく次々に出てくることがこわい)が
どんどんイヤに感じるようになってきたこの夏
降り注ぐ太陽の下、いっぱい光を受け体中に溜め込んでいきたい
前向きな気持ちいいエネルギーを放射できるように・・・
梅雨明けを歌うがごとき空の青両手を挙げて夏にあいさつ
今年は鉢植えのジャスミンがいっぱい蔓を伸ばし
たくさんの花をつけた
辺りに甘い香りが漂う
アッツザクラも満開・・・
今の季節、どのハーブも勢いよく伸びて
香りも黄緑色も清々しい
ローズゼラニュームの花も満開
何年か前に買ったり植えたりした花々が
今年もまた新しく芽を出し葉を広げ
花を咲かせてくれると本当に嬉しい!
「ありがとう」の気持ちが湧いてくる
今年はいつになく早い梅雨入りだ
映画「岳」を観た
内容はともかく私にとっては「登るものではなく見るもの」
である山々のめったに目にすることのない雄大で
美しい映像を見たかったのだ
一番心に残ったのは
地上では「生きていくのが苦手そう」な主人公・三歩の
誰にでも(たとえ態度等が悪くても)、生きている、
亡くなってしまったにかかわらず
どの登山者にも、「よくがんばったね!」…と
心からその生やがんばりへ敬意と喜びを込めて言う
そんな態度と生き方だ…
私には何故か原作者の叫びのように聞こえた…
戦後アメリカナイズされた価値感のもと
日本は批判・否定が良しとされる時代を
生きてきたような気がする
特に現在は、誰もが誰かに文句を言う
認めることより批判や文句が優先される
その収拾がつかなくなった例がMP…
そういう時の流れも必要であったのかもしれないけれど…
ものを見る目はしっかりと
しかしまずは物事を肯定的に見ることを優先させてみると
何かが変わる気がする
相手を社会を物事を常に否定的に批判的に見るということは
常に自分を否定的・批判的に見ること
それが「良し」とされた時を越えて
まずは自分を肯定的に見ることから始めないと
結局前に進んでいくことはできないし
まずは救われないし気がする
これからの時代はなおさら・・・
物事は必ず両面が存在する
そのことを踏まえて
俯瞰(ふかん)して見る感覚・自分をも
まず「肯定感」を持って見ることは
その感覚を養う第一歩の気がしている・・・
不思議なご縁?!で「軟酥の法」(なんそのほう)と
いう呼吸法?!を始めてもう5・6年経つだろうか。
だいたいは就寝前ほぼ毎日続けてきた。
今は15分かまあ20分程度
1本のお香が燃え尽きるまでと決めてやっている。
「軟酥の法」(なんそのほう)は
禅式呼吸法とか丹田呼吸法とか呼ばれ
多くの呼吸法の基礎となっていると思われるものだ。
後世臨済宗中興の祖と言われ
気の達人でもあった白隠禅師が伝えたとされる「内観法」で
言わば潜在的な心の力を使ったイメージ療法と考えられる。
白隠は20代の後半激しい修行のあまり
重度のいわゆる禅病にかかってしまった。
現在で言えば極度の神経衰弱と重い肺結核である。
当時としては治癒は絶望的な状況であったが
白隠禅師はこの難病を克服するために
名僧・名医を捜し求めてひたすら旅をし
ついに京都近郊の白河山中に住む仙人
(天文、医道を極めた白幽道人らしい)に出会った。
病気の克服法の教えを請い初めは断られたが
白隠の状態を詳細に見て
これ以外に治療法はないと
内観の秘法である「軟酥の法」を授けたといわれている。
白隠禅師はこの教えを実践すること3年
難病(肺結核等)を克服し何と83歳まで生きた。
白隠はこの教えを「夜船閑話」(やせんかんな)と言う
文書に残し伝えている。
この話はいろいろな形でここ数年いろいろな人が
取り上げたりしているのをよく目にするようになった。
「軟酥」とは金色に輝きえもいわれぬ
馥郁たる芳香を放つ今で言うチーズのような
霊薬の固まりでそれが頭上にあるとイメージする。
やがて体温によって溶け始めた軟酥が呼吸法とともに
頭部から胸部、腹部へと
徐々に全身のあらゆる部分に浸透し
一切の病毒、邪気を祓い清めながら下降して足まで達する
とイメージしてこれを繰り返す。
丹前に意識を於いた腹式呼吸
できるだけ長い時間をかけて息を吐いていき
しっかり吐き切るきることが大事。
集中してやると体があったかくなり、
手のひらや足の裏がじんじんしてくる…
一応指導は受けたが1、2年はなかなか上手くできず
感覚を掴むまで試行錯誤をくりかえし
資料等を読んだり誘導の音源を見つけてそれをもとに
やってみたりあれこれ研究しながら練習した。
自己流である。
スシムナカンと呼ばれる気の背骨に当たる所に
流していくことを意識してをやっている。
だからどうだと言うことがはっきりあるわけではなく
「何のために」と続けているわけでもないが
今では1日の大切な日課となって暮しの中に定着している。
気づいていないところでいろんな面で
確かな何かを与えて貰っている気がする。
人に伝えるのは非常に難しいのだが、
いろいろな意味もあって一人若い鍼灸師の友人に伝えた。
真面目な彼は朝夕真剣に取り組み今も毎日続けている。
彼はもちろん彼の家族に
「仕事が終わった後、顔色が悪く大変疲れていたり
頭痛があったり、休みの日は
体調不良に悩まされることも多くて心配していたが
軟酥を始めてからそんなことはほとんどなくなり
休みの日もすっかり元気で喜んでいます…」
と会う度に感謝されている。
気持ちが散漫になって内観法には
なってないことが多い今日この頃…
ここでもう一度気を入れなおし
初心にかえって取り組みたいと思っている…