秋の風に誘われて
秋の風に誘われて
今年の仲秋は雨模様
その姿を覆い隠す
映っているもの・・・
集会を開くがごとく座っていた
しぶしぶ道を空けてくれた
黄色い月と緑の月の二つの月のある世界
地面においたものが写っていたり・・・」
貢献したいと言う切なる想い・・・
素晴らしいピアノ曲を生んでいく・・・
重く苦難に満ちている部分が多くても仕方が無い。
哀愁に満ちてなお華麗で美しい・・・
続きすぎる夏の終わり
長-い猛暑の中でなかなか始まらない秋を待つ。
いつもなら盂蘭盆会を過ぎた頃から吹きすぎる風に
秋の気配を感じると名残の夏を愛おしむちょっと
もの寂しいような感覚が沸き起こるものだが・・・
「1Q84」をBOOK3まで読み終えた。
結構長い道のりだった。
「ねじまき鳥クロニクル」ほど重い話ではないのに・・・
話題になってから随分時間がたっている。
なかなか面白かった!のは言うまでもない。
BOOK1・2の同時発売の前
販売戦略とやらで内容が全く伏せられていた。
私はしっかり読み違えて「IQ84」と思っていた。
知能指数84?かなり低いではないか?
それが関係してる話だろうか?
誰にも内緒にしていたが同じように思ってた人も結構いたらしい。
「1Q84」とは「1984」年のもう一つの世界のことだった。
月が二つ見える世界・・・黄色い月と少し小さい緑の月。
リトルピープルが「空気さなぎ」を創る世界・・・
青豆と天吾。二人の恋愛物語でもある・・・
ハルキ的世界がちょっとサスペンス風に展開していく。
BOOK2で終わっていたら大きな余韻と
欲求不満を残していただろう。
BOOK3で青豆と天吾は「1Q84」を抜け出すわけだが
さて「1984」に戻ってきたのか?
それともまた別のパラレルワールドなのか・・・
なんて書いてくるとなんか普通?っぽいが・・・
フカエリが繋いだと思われる青豆のおなかの子は
どんな意味を持つ子なのか
天吾が書き継いだ「空気さなぎ」に続く話はどんな内容なのか
「空気さなぎ」を語ったフカエリは
「マザ」なのか「ドウダ」なのか
リーダーの周りにいる「空気さなぎ」から生まれた
「ドウダ」の役割は?
「さきがけ」のリーダーってまさか天吾の父!?
そうするとフカエリと天吾は兄妹?!
リトルピープルって何のための存在?・・・
BOOK4への可能性はどんどん広がって行く。
ハルキ的世界にしては随分社会的要素が構成の中に入っていて
過去のいろいろな出来事(オーム事件関係・ヤマギシ会っていう
のもあったなー・証人会のモデルになってる団体の子供たちや
その親たちとのかかわり・・・等々)を思い出したりもした。
「アンダーグラウンド」等々の取材や
「カフカ以降」の世界の出来事も関係しているんだろうな・・・
でもやっぱりわたしは
「海辺のカフカ」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
「羊をめぐる冒険」の方が好きかも・・・
銀閣寺道から鹿ヶ谷に向かって上っていくと
緑が辺りを覆い始め林が広がる。
涼しさがグーンと増す。木漏れ日が美しい。
空気も爽やかさを増す感じだ。
「法然院」で行われる。
手伝いも兼ねて夕方前に・・・
「哲学の道」などちょっと散策したいものだが
守られた来た自然と歴史が
長く多くの人の手が常に入ってのことだろう。
今日は住職の講話も行われていた。
打ち合わせ等何度も訪れたことがある。
苔むしたお庭、茅葺の正門、整えられた中庭の風情
鹿ヶ谷の守られた自然と相まって
独特の素晴らしさが受け継がれている場所だ。
「共生き堂(ともいきどう) =法然院森のセンター」もおかれている。
エアコンが無い。
扇風機は置いてあるがシンセやスピーカー等機械物を
多く使うので電源の関係で使えない。
準備中も暑いことは暑いが耐えられないことは無い。
同じ京都市内ながら市街とは5度以上違うだろう。
連動して行われたので和歌山から来られた那智山・青岸渡寺の
修験者の方々の法螺貝から始まった。
コンサートの間中時にはシンセサイザーに合わせ
音楽が強く響くと虫の声も一段と大きくなる。
トークの時は虫たちも静かだ。
振動の問題だろうか。
和歌の披講にも反応して虫たちが声を合わせることは
信州で実際に体験したことがある。
半分は演奏を聴き、
半分はさまざまな虫(ひょっとして他の動物も?)たちの
合唱に耳を傾ける不思議な体験の音楽会になった・・・
さまざまな虫の声を聞くことができた。
ちょうどお庭のそばに座っていたことがよかったかも・・・
時として心地よい夜風が吹き過ぎる。
真夏の暑さの中でも
秋の気配が漂う法然院ならではのコンサート・・・
京都にあって昔ながらの自然が守られた不思議の森・・・
何処からか精霊たちのささやきも聞こえてきそうな気配・・・
二夜続けて月下美人が咲いた!二輪と一輪。
8月の初めは5輪一度に咲いたためか暑さのせいか
ちょっと元気が無い感じで咲き誇る時間が短かった。
今回はちょっと小ぶりだけれどじっくり時間をかけて
力強く咲き誇っている。
芳しい香りも辺りを漂い引き込まれる美しさだ。
夜の風が少し吹いて心地よい。
9月に入っても太陽ギラギラ。空は夏色。
ここ2,3年と違って今年は年の初めから
「動き」の少ない日々が続く。
じっと見るとき、何にも考えないとき、
「ただ在る」ときが過ぎていく。
たまらない暑さの中で主に人の生き死にに関わって、
いろいろ信じられない物事が起こり発覚し
今まで思っていた日本と言う国や日本人や
社会が面白いほどにほころびを見せている。
ただただ知らなかっただけで
その場所に居合わせなかっただけで
何でもありの世界がずっと展開されてきたのだ。
だからといって嘆くこともない。
綻び破れがはっきり見える時期がきたのだ。
村上春樹の「1Q84」を読んでいる。
2巻読んだら俄然面白くなってきた。
好みを言えば「海辺のカフカ」の方が今のところ好きな感じだが・・・
どうしてか分からないが「海辺のカフカ」を読んだことで
ボイド状態をぬけだすことができたのだから・・・
あと一ヶ月もすればまた見えてくるものがあるかもしれない。
幾らなんでもその時はもう少し秋の気配が強くなっているだろう・・・
これだけ暑さが続けばもう一度
月下美人が咲いてくれるかも・・・