☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

桜月夜

2010-03-31 16:19:33 | 徒然

30日は今年2度目のブルームーン。
満開の枝垂れ桜を愛でながら満月を見る。
月見会を兼ねた友人のお宅での恒例のお花見会。
今宵は「夜桜の宴」。
 
まずは、ブルームーンの出を観月橋近くの
歩道橋の上から眺める。
煌々と光を放ちながら大きな紅い月が
ゆっくり上り始める。
今宵の満月はまるで日の出のように大きく鮮やかだ。
本当に大きく見える。
真冬並みの冷え込みの中歓声をあげて見守る。
ブルームーンに相応しい神々しい月の出だ。
 
宇治川沿いの道に出てみると
濃紺の空にオリオン座が見える。
「あれはシリウス!」
よく見ると北斗七星も。
北極星さえもかすかに見えている。
夕方から曇り始めたので心配していたが
本当によい「桜月夜」となった。
この辺りの桜はまだ2・3分咲きだ。
ブルームーンはあくまでも美しく冴え渡る光を放っている。

京都・円山公園のあの「藤衛門桜」の分かれという
このお宅の庭の枝垂れ桜。
今は盛りと妖艶に見事咲き誇っている。
下から見上げると艶やかな桜天井。
でも優しく清楚でもある。
そこが桜の魅力。
枝垂れ桜は山桜に属するとか。
幹の筋が立てに流れて
確かにソメイヨシノの木肌と全く違う。
 
100年以上たつという桜は
どれも妖艶さが違う。
鮮やかさと共に妖しさが漂う。そ
こが美しい桜のちょっと怖いところ。
そちらの方には魅かれないほうなので
特に今はあくまでも優しく艶やかな
光に向かう桜が好きだ。

丁度その時円山公園に花見に行っているという方から
友人に写メールが届いた。
本当によく似ている。
どちらも麗しき「日本の桜」である。
 
お花見弁当をいただいてる間に
「満月」は満開の桜近くに上ってきた。
あまりに美しい情景にしばし見とれる。
 
今宵会う人 みな美しき、、、
麗しき国に浸るこの時もまた美しい!

                
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フェアリー☆メッセージ・・・他人はあなたの鏡

2010-03-27 13:22:35 | フェアリーメッセージ

 

      他人はあなたの鏡です。

      自分の内側にすでに苦痛があるときだけ
          他人はその苦痛に引き金を引 きます。

  自分の愛が試される状況に身を置くとき、愛を学ぶことができます。

  他人の幸福に責任を感じる必要はありません。

  他人との親密な関係を望むなら、本当の自分に気づいてください。

  直観から行動する時、物事はつねに簡単起こります。

  守るべき物が何もないと、人生は楽になります。
 

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春色をさがして

2010-03-24 16:15:59 | 徒然

今日はしとしと冷たい雨が降っている。
今年はいつもの春にも増して季節が入り乱れている感じ。
でも日に日に開きゆく幾種もの桜や
何ともいえない萌黄の色を見るのは気持ちが弾む。
 
この1週間ほど「春色」さがしも兼ねて
京都市の北や宇治方面、奈良へと車を走らせた。

先週行った久し振りの植物園
まだ春は遠い感じだったが林は気もちぃ良く
バイモの花が咲き野鳥の声が聞こえた。
幾種ものクリスマスローズが咲き乱れ独特の形が美しい。
サンシュユやレンギョウの黄色が色鮮やかだ。

いち早く咲き始めた白木蓮がどこも満開。
紫木蓮も美しい。
宇治川ラインを少し上ると
幾千、幾万もの萌黄の色が何とも美しい。
淡く柔らかく芽吹きの熱を内に秘めて
あくまでも優しく穏やかだ。
黄緑を少し帯びた薄桃色が何とも言えない。
 
行きつけの山荘の小彼岸桜(はっきりしないらしい)は
もう満開を過ぎたという。
濃いピンクの花がとても可憐だ。
幾羽ものメジロが来ている。
小ぶりな姿は若鳥らしい。
縣神社の枝垂れ桜が満開でびっくりした。
仏徳山を登る。
風は冷たくても清清しく気持ちがいい。
枝枝が美しい。
見下ろす宇治川と街並みが綺麗だ。

北山へ向かう道筋の枝垂れ桜が満開だ。
特に嵯峨野の「桜守」で有名な佐野藤衛門さんの屋敷辺りの
枝垂れ桜の林が見事。
夕方には満開の桜の木に篝火が炊かれていた。
京北の山々には少し山桜も見え
はや山ツツジの藤色があちこちに。
そう思うと少し伸びかけたふきのとうが。
ラッパ水仙が何処も満開だ。
21日の夕方にはこの辺りではみぞれが降ったという。
季節の行きつ戻りつが激しい。

23日奈良へ。
ソメイヨシノが結構開き始めているのでびっくり。
鹿の姿はのんびり感を誘っていいものだ。
 
桜の並木を歩くと
「もう咲くよ」「もうすぐ咲くよ」と
が聞こえる気がする。
「桜の国」が待ち遠しい。

              
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シャーロック・ホームズ!

2010-03-20 15:18:22 | 徒然
 霧深いロンドン・ベーカー街、蹄の音が行き交う。暖炉に向かいパイプを燻らす横顔はとてもとてもクールだ。

 子供の頃から慣れ親しんだホームズ像は、シャーロック・ホームズを愛する人びとにとって細かい所では人それぞれなのだろう。
 「緋色の研究」「バスカビル家の犬」等の長編から「・・・の冒険」「最後の事件」「帰還」[叡智」「最後のあいさつ」の等々短編シリーズ、出版されているコナン・ドイルのホームズものはほとんど読んでいるだろう。それも繰り返し・・・
 子どもの頃のナンバーワンは何といっても「まだらの紐」だ。 
 
 大人になってからも、やっぱり新しいホームズに会いたくて、シャーロキアンたちが著わした「ホームズもの」も本屋で捜しては読んでいた。あまり心に残るものはなかったけど、若い女性がホームズの弟子になるというシリーズは、ホームズ物独特の細かいレトリック等や、不器用であくまでもクールなホームズと女弟子の恋愛模様もなかなか面白かったのを思い出す。

 そんな訳で今回の映画、随分楽しみにしていた。あの宣伝ぶりにちょっと危惧もしていたけど、、、。なかなかのエンタテーメントではあったが、あのフラッシュバック的な先読みや推理はちょっと馴染まなかった。あっと驚くじっくりしたクールな推理がほしかった。
 
 お茶目で人間臭いホームズもなかなか面白かったが、あまりのクールさが滑稽さを誘うホームズ像がやはり見たいものだ。それにしてもワトソン博士が、強くてカッコよすぎる。見ている分にはちょっと嬉しいけど、、、。原作でもワトソンはモテルことにはなっているのだが、、、。

 原作に忠実?!というのもどうだろう。あくまでもハリウッド映画的!?だと思う。でも陰惨な所はなく、あくまでも明るいところはいい。(暇つぶしに見た「神々と人間の子どもの冒険、パーシー・ジャクソン」の方が面白かったかも・・・)
 でもやっぱり、シャーロック・ホームズというと、魅かれてしまう。次作が公開されたならきっと喜んで駆けつけることになるだろう。

 
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空っぽ

2010-03-16 13:45:12 | 夢話
  柔らかい風が吹いている
  いろいろな花が開き始めた

  これからは
  あたまを空っぽにして歩きたい

  まいにち
  ちがった風が吹いている
  のを
  きっと感じとれるように

  からだがびりびり
  ふるえている
  辺りに放射
  地面にアース
  しなっくちゃ

  空っぽのあたまには
  きっと
  おもしろい楽しい景色が
  溢れだす

  いろいろな花が咲く
  柔らかい風の中に
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お水取り・・・火の舞 

2010-03-09 14:43:48 | 徒然・・・お水取り

今年も「お松明」と「声明」に会うために
修二会(お水取り)・本行の始まった二月堂へ向かう。
籠松明(12日)や満了日(14日)土日も避けているのに
近年は本当に人が多い。

これは「行」なので「お松明を待つ時間も大切」と
人がどんどん増えてくる風も冷たい中で
張り詰めた空気と時間を味わう。
 
「お松明」は11人の練行衆(籠もりの僧)が
一人ひとり二月堂へ入堂するために
階段を登る足元を照らす灯りだ。
童子と呼ばれる人が一人で持つ。
素早く箒で火の粉を掃く役目の童子も付き従う。
たしか1本60キロ、籠松明は80キログラムぐらい
と聞いた気がする。
その後、二月堂の舞台を火の粉を撒き散らせながら走る。
ここが童子さんたちの腕の見せ場?!と言えば見せ場だろう。
角に止まってお松明を振り回す。
この時見物の衆から歓声が上るのだ。
 
1日から14日まで毎日行われる。
12日の籠松明のみ11本。
後の日は10本。
参籠見舞いの時松明にするまっすぐに伸びた立派な
8、9メートルもある孟宗竹の確保が難しいと聞いた。
普通に考えてもそれだけで141本はいるのだから。
松明に使うヒノキや杉の葉を固定する藤蔓は
地中にあるものを使うらしい。
それでないと燃える火の中で持ち堪えるのが難しいのだろう。
それの確保も本当に大変だと思う。
京田辺の竹が使われているらしい。

1259回目の今年まで各地の
実に多くの人びとの信仰の心と熱意
熱く高い志と心意気とが支えているのだろう。
 
今年は階段横から登って行かれる練行衆の様子を
少し見ることができた。
燃える杉とヒノキの香りも何ともいえない。

「お松明」が終わると一気に人の波は引いていく。
これからが本番?!なのにもったいないことであるが
あれだけの人が二月堂に押し寄せると
どうにもならないのでこれで良い。
あくまでも1259年もの間途絶えることなく
続けられてきた「行」なのだ。

局に入る。
ここに入ると瞬く間に時間が過ぎる。
声明が重なり合うと一気に堂内の「気」が高まる。
今日は頭の辺りにしびれるような「圧」を感じる。
頭上の中心(サースララ)と眉間(アジナ)の辺り、、、。
僧の姿が少し見えるが
ここからはどんな行をしているかは見えない。
 
声明と沓(高下駄)の音、
五体投地の激しく板に体を打ちつける音
鈴の音、ほら貝を吹く音
激しく堂内を走り回る沓の音・・・
「気」が満ちてなんとも心地よく清々しい。
心根をしっかりと正される気もする。
 
毎年、もう十数年欠かさず
その時々でご縁のある人たちを誘って来ているが
きっと毎年ここで浄化され
大きなパワーを貰っているのだろうとあらためて感じた。

  

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お水取り「参籠お見舞い」…あおによし奈良の風

2010-03-06 16:27:55 | 徒然・・・お水取り

久し振りの青空、でも風は冷たい。
朝から車を走らせ、平城山を越えて奈良の本通りへ。
春日大社や東大寺へ向かう辺りは松を中心に
いろいろな木々が生えている。
原生林を残しているのだとか。
鹿の姿が何処彼処に見られ
いつもながらののどかな柔らかい風が吹いている。
あおによし奈良の都だ。

3月1日からお水取り(修二会)の本行が始まっている。
恒例となった参籠見舞い伺う。
今年も十数年前からご縁をいただいている東大寺のS師が
3年続けて大導師(お水取りを取り仕切る役目)をされている。
 
二月堂の宿坊に向かう。
向かう道筋も心地よく整備されいつ来ても美しい。
今は満開の紅や白の梅の花が見事だ。
ことに境内の環境保護等に近年は「E・M」を導入されていて
あちこちの池も本当に綺麗。
鹿の糞の臭いも消え
松の木々も元気を取り戻し
いろいろな面で大きな成果を挙げていると聞く。

本行が始まった二月堂は
いつもにも増して凛とした気を漂わせ
清々しさがが広がっている。
小さな宿坊にはお見舞いの人たちが次々に訪れて
賑わっていた。
焚き火が勢いよく燃えて暖かい。
宿坊は女人禁制。外でお茶を頂く。

たまたま本屋で見つけて、
一昨日から読み始めた本(随分前に出たエネルギー関係の本)に
思いもかけずS師の話が出ていた。
興味もあったのでさっそくその話をした。
ほんの短い時間だったが、ちょっと面白い方向へ話が進んだ。
一度じっくりお話をしたいものだが
4月よりま役職も変わりますます忙しくなられるので難しいだろう。
でもきっといつか機会が訪れることだろう。
久々のちょっと不思議なシンクロだった。

もう十数年毎年出かけている「お松明」。
燃え上がる炎と香り、声明の響き、練行衆の沓(高下駄)の音、、、
気持ちに沁みて、毎年春を迎える。  

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春の歌・・・「グランド・トリオ」リサイタル

2010-03-02 14:41:30 | アートライフ
 早春の香りの中、静かにメンデルスゾーンの「春の歌」が響く。チェロの優雅な響き、ヴァイオリンの哀愁漂う調べ、歯切れ良く美しいビアノの旋律、、、

 芦屋の小さなサロンホールへ、ピアノトリオ「グランド・トリオ」リサイタルに出かけた。1年ほど前ピアニストの田尻洋一氏を紹介され、コンサートに伺っって滅多とないほどいたく感銘を受けた。次の機会をと楽しみにしていたが時間が合わず今日になった。

 チェロは長明康郎氏、ヴァイオリンは渡部基一氏、お互いに音楽家として非常に忙しく活動されていて「グランド・トリオ」としての活動の機会はあまりないらしい。技術的にも芸術的にも素晴らしく、レベルの高い音楽家であることは一目で(一耳で)わかった。

 今日はハイドン・ブラームスそしてメンデルスゾーンの「ピアノトリオ」を聴いた。
ハイドンは優雅でしゃきっとした気品ある調べが素晴らしく、ブラームスは荘重・重厚で重々しい感じ、オーケストラを凝縮させたような感じがした。

 ビアノトリオを代表してるような、メンデルスゾーンの第1番ニ短調は優美で哀愁が漂う。でもポディティブな明るさが基調をなしていていつまでも聴いていたい気持ちになった。メンデルスゾーンはその生き方を少し知ると本当に魅力的に感じ、音楽にも興味が一層わく。メンデルスゾーンの一つの特徴をなす、あのヴァイオリンやチェロの哀調・哀愁を帯びた何ともいえない調べは「ユダヤ節」と呼ばれることを初めて知った。
 日本人にも何か(演歌っぽいとも言われたが)深く内面に響き、感性を揺さぶるものだろう。DNAの奥深くに感じ取るヒビキ・・・思わぬときに古代ユダヤと古代ヤマトの関連性を考えさせられてしまった。

 三人三様の優雅な指の動きその美しさに魅せられた。サロンコンサート(でも100人ぐらいは入っていた)ならではの、全ての動きを間時かに見られたり、一音の響きを感じ取れたり、本当に優雅な時を感じることが出来た。
 
 「芸術はヒカリを届ける」ものでなければならない。特に今の時代においては・・・と感じている今日この頃、たくさんの光が届いた素敵な音楽会を堪能した。
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