どこからか 秋の香りがした
アジサイの葉に落ちる雨の雫に
秋を知らせる フェアリーがいる
ひとり ひとり 舞い降りて
秋を運んでいる
実りの秋と 淋しい秋
ひとつの完結と 再生へ向けての安らぎの時
フェアリーといっしょに
やさしい秋に 会いに行こう
時は「魚座パイシスの時代から水瓶座アクエリアスの時代へ」
とは以前に書いた。
もうひとつ「I beleive…」の時代から
「I now…」の時代へ
と言う言葉を知って非常に感覚に沁みた。
「わたしは全てを知っている。」ことに気づく時代へ
時は流れて来ている。
人はそのことに気づき実証するために長い人生を生き
輪廻転生を繰り返してきた。
「全てはわたしの中にある」
「わたしはすべてをすでに持っている」
と言う感覚が育ち始めてこそ本当に「豊か」に
そして「幸せ」になれるのだ。
長い長い間わすれてしまっていたこと。
いくら言葉で聞いてもいくら書かれている言葉を読んでも
「感覚」としてわからない。
いや「頭脳」としても理解できない。
その「感覚」に少し手が届きそうな気がしている。
「我是知足」禅の言葉。「われたるをしる」。
よく、「今あることで満足しなさい。」とか
「よく考えて見なさい。今の幸せで十分なことがよくわかりますよ。」
とかというように解釈されているが
本当の禅の意味は「「I now 」
「私はすでに全てを持っている」ことを、なのだ。
すぐどこかに行きそうなこの「感覚」を捕まえて
しっかり育てていくことが
これからの「仕事」のような気がしてきた。
花を描き始めて半年がたつ。
描く対象があり時間が許すときは毎日ののように描いてきた
「1分間で絵を描こう」を始める前は
何を描くにしても抵抗があり
絵を描く気持ちもあまり持っていなかったが
他の面(毛筆やクラフト等)では大胆なのに
絵では、何か萎縮する感じがあった
それが「1分間で絵を描こう」で取れたのだろう
不思議なことに、、、
本来の自分が持つ大胆さで描けるようになってきた
それが楽しさの原点であり続いている源だろう
花の持つ表情を描きたいと思う
その花らしくまずは描ける力がほしい
花ばかりでなく、野菜なんかも面白い
半年たっても描けるようになった自分が
まだ不思議だ
この3日間は花を待って過ごした。
丁度「中秋の名月」をはさんだ3日間。
9月に入り、2年ぶりに「月下美人」が4つ芽をつけた。
日に日に大きくなり、(去年は蕾の途中でダメになった)
「今年はきっと咲く」と期待に胸が脹らんだ。
直径20センチはある大輪の真っ白い花。
でも一夜かぎり。
華麗さの中に何か神秘さが漂う花だ。
夜七時ごろから開き始め徐々に開いていく。
花の艶やかさとともにすばらしいのが香り。
何とも芳しく馥郁たる香りが漂う。
家の表に咲いていても裏まで届く芳しさだ。
徐々に開いて10時から12時頃までが花の盛り。
それから徐々にしぼみ始める。
出かけていると終わってしまう危険もあるのだ。
13日も開かなかった。
「中秋の名月」の昨日も開かなかった。
そして満月の今夜、見事に4輪とも開いた。
(「中秋の名月」が満月とは限らないことを始めて知った)
あいにくの雨でお月様は見えない。
でもいつものようにライティングして
御近所の方々にも見てもらった。
12時を過ぎ家の中へ。
今も見事に咲き誇っている。
素晴らしい香りを漂わせながら。