☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

ひかり日和

2010-01-29 16:29:18 | 徒然
光が変わった。強さと輝きが変わった!

「光が明るくなりましたね・・・」
「風は冷たくとも光はもう春・・・」
二月に入ると毎年のように仕事関係の便りに書いていた
 
光の変わり方が今年はいつもより
1週間か10日ほど早い気がする
光が変わると気持ちが変わる
ちょっとウキウキするようなワクワク感が
生まれて来るのが不思議だ

5月の芽吹きも美しいが
冬枯れの中で冬陽を浴びて緑を輝かせる野草や
ほころびかけた水仙のそよぎ
冷たい水の中で泳ぎまわるカモ類
じっと川面を見つめて身じろぎもしない青鷺
舞い落ちる雪に花と見紛うほどの紅を見せる新芽たち・・・等々

営む「命の輝き」を一番に感じる
特に光が変わり始めた頃・・・

明るく柔らかい陽射しの中で
草も鳥たちも木々もそして我も
「生かされているんだなあ」と感じる瞬間

そしてすべてがいとおしくなる
命の一体感を感じる時
光が変わり始める頃・・・

今年はこの新しいひかりのなかで
見つかるものがきっとあるはず・・・

                                                          
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顔判断

2010-01-26 15:09:53 | 夢話

失礼な話だが、「人」は「顔」で判断する。
「顔」そのものそしてその表情。
勿論、直観によって。
きっと幼い頃からの習慣だと思う。
実物は勿論、写真・映像の場合もある。
その場合は写り方もあるので注意が必要。
また実物の場合も第一印象が大きいけれど
ふとした瞬間に見られる表情が大切。

「顔」は本人からは見えない。
その表情も作ってばかりはいられないので本人は何処で
自分がどんな表情を見せているのかは分からない。
そこが大きい。
それが面白いところだ。

従って「人は顔でまず判断」の私だが
自分の「顔」や「表情」については
全く分かっていないことになる。

今まで生きてきてまず、
ほぼ間違いはなかった。
他の人も同じように
「顔で分かる」「判断できる」ものだと思っていた。
「どうして騙されたのだろう」とか「裏切られた」とか
「あんな人とは思わなかった」とか言う話を聞くたび
「顔を見たら分かるのに」「初めから分かってるだろうに」
「どうして分からないのだろう」と
いつもいつも思っていた。
 
つい最近「多くの人が分からないのだ!」
と言うことがやっと分かってきた。
人とは自分が苦もなく出来たりわかったりすることは
「他の人たち」も当然できたりわかったり
するものだと思うものなのだ。
そうではない事を知るにも時間がかかる。

「顔」やその表情に象徴されるのは
その人の現在や生きてきた道筋とともに
その時に放っているエネルギーやその方向
よく言われるオーラの感じなど。
それを直観によって瞬時に見分けていると言うことだろう。

でもここで言いたかったのは
物事の捉え方や意識の方向性によって
「顔」は変わっていくと言うことだ。
それは「瞬時に変えることも可能だ。」
ということでもある。

近頃良く出会う人にビックリするほど
「顔」の印象が変わった人がいる。
昔はメディアに良く出ていて、
私にはとってもお近づきになりたくない・なれない
「お顔」をなさっていた。
数年前友人とともに大きなイベントをすると
いうことでお目にはかかったけど
遠く離れていた。
少し変わった気がしたがまだまだだった。
そして2年前、小さなパーティで見かけた時
「誰?」「確かにあの人だね!」と思うくらい
変化が現われていた。
「顔」の相が変化したのだ。
でもまだ「お話」や「挨拶」はしない。

それからお目にかかる回数が増えるに従って
会うたびに表情が優しく柔らかくなっていく。
ちょっとお話しするようになった。
近頃では「可愛らしい」と思える面も出てきたのが面白い。
 
思い切って聞いてみた。
「随分感じが変わったけど、心境に大きな変化でもあったんですか?」
「皆に言われます!」
「硬くカッコをつけて守るものや守ることがなくなったから
と違うかな、、、」・・・
道筋は分からないが意識が大きく変化したことは
間違いないだろう。

豊かな、柔らかい、いい「顔」を、目指したいものだ。


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言の葉

2010-01-23 14:14:15 | 夢話

言の葉(ことのは)とは美しい言葉だ。
ひらひらと言葉が美しい葉のように
舞い落ちるイメージが浮かぶ。

昔から深い思いや難解な考えをできるだけシンプルな
優しい言の葉で伝えられたらいいなと考えてきた。
本当は「言の葉」を内に秘め
雰囲気や感覚だけで伝えられたらもっといいと。

しかしどうしてもつい説明が過ぎてしまい
簡潔且つ響きの良い文には遠くなってしまう。
言の葉がひらひら舞い落ちる文には今だ遠く及ばない。

しかし言葉をいろいろな修飾語で飾り立て
一見心地よさそうな言葉をたくさん連ねている
文章に出会うとちょっと引いてしまう。
また難解な言葉を実に多く並べて連ねる文にも
「結局何が言いたいのかな」と思ってしまったりする。
 
何事も過ぎると美しさを失う。
足していく時代ではなくて
引いていく時代だと感じている。
 
あるがままに、ありのままに、と言いながら
ついつい自分を飾ってしまう。
それが今までよりずっと短い時間で剥がれてしまう
そんな時代になってきているように思う。

自分らしい響きをもったシンプルな
「言の葉」を持ちたいものだ。

                  
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散歩日和

2010-01-19 17:45:31 | 徒然

空は青空、久々に風もなく陽射しが明るい。
柔らかくすじ雲が流れる。
散歩日和に野鳥や花に会いたくなった。
 
O川には暖かな陽射しの中
大きさも種類も様々な鴨がゆったりと泳いでいる。
水中で水をかく足も今日はせわしさを感じない。
土手にはたくさんの水仙が葉を伸ばし
日当たりの良い所では花をたくさん咲かせ始めている。
うっすらと香りも漂う。

電線にはムクドリの群れ。
小鷺も河原を散歩している。
じっと獲物を狙って動かない青鷺が
今日は水中を観察しながらチョコマカと動いている。
顔が大きく体が若感小さく見える。
若鳥かしら…
やっぱり散歩はバードウオッチングになってしまう。

お花屋さんで小さな水仙とストックの鉢植えを買った。
今年は長年続けてきた我家での「新春茶会」をやめたので
ずっとのんびりのまま日が過ぎていく。
新年会は何回か参加して珍しいものもたくさん食べたけど。
 
そろそろ「始動」しなくてはと思いつつ・・・

                 
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アバター

2010-01-12 15:19:26 | 徒然

話題の映画を見た。
全く見るつもりはなかったのだが
友人がとても面白かったと言っていたので見る気になった。
 
ところが何と「今度の上映は「3D」ではないのですがいいですか?」
とチケット売り場で言われてしまった。
「いいですけど・・・」「3Dでない上映ってあるの?」と思ったけど
上映時間に合わせて来たので「まあいいか」。
ちょっと残念な気もしたが…
でも十分に見ごたえのある映画だった。

近未来、地球人がある星の資源価値のある物質を
手に入れるためにあの手この手でその星に住む人たちに近づき
最後には武力で征服しようとする。
ある種、西部劇のようなものだ。
ちがうのは征服されるもの側に立って創られている所。
そこが20世紀と違うところだ。

自然とつながり、自然を愛し
自然に大きな畏敬の念を持ちながら
でも自然の過酷さとも戦わなければならない。
食物連鎖のしくみのなかで共存の道を探りながら
生きているアバターたち。

それに比べ地球人の支配者はまだ
欲深いバイシスエネルギーで生きているという設定。
どちらが「美しい」か自ずと分かるというものだ。

話の設定も面白いしとにかく映像が素晴らしい。
アバターたちも背景もCGで創られているというが
背景の奥行きが見事だ。
よく言われていることだが、
本当に初めはちょっと気味悪かったアバターたちに
3時間近く見ているうちに親近感と共感を覚えている
不思議な感覚が面白い。

ジェームス・キャメロン監督の話等が
映画評等で載っているのを見ると
とても軽い感じで書いているが
画面からはもっと奥深い何かのメッセージが
伝わってくるような気がした。

主人公がその星のくらげのような精霊たちに
歓迎される場面があったが
家人が映画を見終わった時
「あんなふうに精霊たちがよって来てくれるように
ならなければね!」と言った。
本当にそうだね!

                 
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新年は満月

2010-01-04 00:00:20 | 徒然
2010年が明けた。元日は立待(17夜)の満月だ。

「月食」もしかっり見ることができた。
情報は得ていたのに明けて元旦4時前に
「月見」に外へ出て空をを見上げた時
美しく輝くほぼ満月に近い月が少し欠けている。
「乱視が進んだかしら?」なんて思ってしまった。
「月食だったんだ!」と後で気がついた。

元日は夕方から伏見の「観月橋」で友人家族と待ち合わせ、
曇ってきた空を気にしながら寒風が吹く河原へ向かう。
車で家を出るとき「初雪」がちらほらと降っていた。
「ホワイトニューイヤーだね」なんて話しながら出かけてきた。

東の空が曇り「満月」は見えそうにない。
ぐっと冷え込みが増し河原には冷たい風が吹いている。
「今夜は大雪になるかしら?」
 
友人が暖かい「おぜんざい」を作ってきてくれていた。
「元旦にこんな場所でこんな機会は滅多とないね!」
とみんなで大喜びでいただく。美味・暖まる!

初めての元日体験を良しとして
「今夜はこれでいいことにしよう」と
河原から歩道に出ると随分暖かかった。
 
帰り道1年生のMちゃんが
「Nさん、ちょっと家へお邪魔してくれないかな?」
「ちょっとお邪魔してくれたら嬉しいんだけど・・・」と
とっても可愛いことを言ってくれたので
思いもかけず急遽お宅へお邪魔することになった。

Mちゃんのゲームのお相手をし
イセエビのお刺身や海釣りで釣ってこられた魚のお刺身
御節料理や子供たちが巻いたという巻き寿司等々
思いがけない美味しいお正月を堪能させてもらった。

外に出ると何と、天頂に「満月」が輝いている!
ズンズン雲が流れていくのでいろんな表情を見せながら
「立待の満月」が煌々と煌いている。
 
「いつもよりすごく明るいね!」
「お正月で工場やいろんな機械が止まってるから
 空気がいつもより澄んでいるんだね。」
クレーターまではっきり見える。
 
みんな表に出てきて空を見上げ
今日本来の目的であった
「観月」の時を楽しんだ。
 
2010年、輝く月のように
それぞれがいろんな表情に輝けるように・・・
 
                
 
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