鼓を習っている友人のお供で京都観世会館に
観世会の12月の例会に伺った
今年最後と言うことで賑わっていた
場所柄ゆえかクラシックのコンサート以上にご高齢の方が多い
朝から夕方まで能の演目3つと狂言、それに仕舞も4曲演じられた
「今日はお勉強のつもり で・・・」と昼食や休憩もそこそこに
最後までしっかり見た
(以前家人と来たときは最後までもたず途中で抜け出した・・・)
能のゆかりの知人も結構いたりする
奈良でO流の宗家(大阪)と言う人を紹介されたり
以前ジャズボーカルを習っていた時には
京都の能楽堂の奥様と一緒だったり
能楽師の家に生まれたと言う人(大阪)や
能管の宗家(東京)の娘さんが家人の銀座の展覧会に来られたりした
(お兄様が宗家を継いでられて活躍されている)
男女を問わず、仕舞や大鼓等を習っていたとかやっていると言う人もいる
友人の声楽家は高名な能楽師(大阪)の弟子でもあって
能の舞台に立ったこともあるとこの前初めて聞いた
能の演目を漫画にして本を出版している人とも知り合った
学生時代にたしか能や狂言に関するレポートをかなりの枚数
書いた記憶があるのに内容は全く覚えていない
気持ちが入ってなかったと言うことだろう
最も格式高い古典伝統芸能としてある程度はおさえて置かねばとは思っていたが
いろんな場所で演目を見たり薪能等を見たりする機会があっても見方としては
とってもいい加減なものだった
今回演じられたの能の演目は「白楽天」「花筐・筐の伝」「枕慈童」
独特の「響き」と様式美にあふれる世界・・・
能舞台上での約束事や 主役をなすシテやワキの他にツレの役割や
子方を使う意味等々
知識の残片を実際にじっくり見てちょっと整理することが出来た
囃し方、能管や鼓(小鼓・大鼓)、太鼓のリズムとあの独特の声
地謡の響き・・・
能(楽)と言う連綿と受け継がれてきた独特の世界観・・・
今回は違ったが能と言えば「夢玄能」と言われ
死者が中心となっているべたに言えば「うらみつらみの世界」だが
「死者の世界からものを見る」という独特の世界観が
その深さに繋がっている
今ではパワースポットと言われている神社でも
実際にその場に立ってみるといろいろな意味で
「御霊鎮め」のために建てられたのではないかと感じられる場所が多い
能の世界でもそうした役割は大きいのだろう・・・
(本来、神社はもっと宇宙的な意味が込められて
建てられたらしいのだが・・・)
そうしてみると深める方向性に違いがあるので
ご縁がありながら縁が深まらなかった意味もわかったような気がする・・・
狂言は茂山一門(千五郎、七五三、宗彦)で面白かった
能や歌舞伎でもそうだが後継はしっかりと育っていくもんだなと思った
友人のホールで仕舞やワークショップ的なことを何回かされているが
見る機会の無かった味方玄さんの仕舞も見ることが出来た
謡の声良し、舞良し、若さもあり力強く
まさに中堅と言う感でなかなかのものだった
12月らしい、いろいろな面で意味深い1日となった・・・
時はアクエリアス(水瓶座)の時代に入っているという
しかしまだまだ社会や人々の意識はパイシス(魚座)の流れで動いている
魚座の時代は科学・産業の時代であり地球や大気を
考慮することなく活動した時代
お金、力、支配、階級、人種の「優劣」などを多くの人が求めていた
科学的論理的に考え、正しいか間違いかが大事であり
「競争」が重視され
あらゆることに対して証明することが求められた
成功はお金の額、名声で示され、他人、地球、自然等に与える影響を考えず
身勝手な成功、願いが許された
倫理性に欠けており、エゴ的な性格レベルからの
「より多く達成すること」が最も重要で
個の大切さや平等も軽視された時代・・・
この時代は左脳が重視されチームやパートナーシップでは
誰が最善の考えを持っているか
誰がパワフルかということに囚われていた
またバランスを実現する変化を恐れ、バランスに欠け、
すべてがシリアスで真の笑い、微笑み、祝福が欠けていた
・・・時代と言われる
客観的に見るとまさにその通りと言わざるを得ない
そして自分が如何にパイシス的素養を持つ人間ではなかったかと
思い知らされる
でもその時代のエネルギーの中を生き仕事をして来た
そして人間とは人間社会とはそんなものだと多くの時間思って生きてきた
別の時代感覚があるなんて、別の現実を創造していけるなんて
思いもしなかった
今も殆どと言っていいくらいの人たちがそう思って生きているだろう
表面意識的には・・・
しかし喜ばしいことに新しいエネルギーの時代の幕は開いている
今まで慣れ親しんだものは再構築され書き直されている
慣れ親しんだすべてのものは新しい風味と方向性が加えられているという
この変化は人間にとって簡単なものではないので
人間には何が本当に起きるのかわからない
だからフラストレーションがたまり意識下では慣れ親しんだものに
しがみついている
なぜなら新しくこれまでやったことが無いものは定義が不可能だから
しかし新しい考え方に適応するように
この水瓶座のエネルギーに日々人は駆り立てられる・・・
水瓶座・アクエリアスの時代はバランス・調和・平和・悟りの時代といわれる
この時代はバランスを実現するためにあらゆる変化が起き
「自分」に対する心地よさ、外見がどうであろうと、
人にどう思われようと、「自分は自分」の生きる方向に満足であるという
「自分」との心地よさを構築する時代
しかしその自分とは「本来の自分」エゴを体現している自分ではない
言い換えれば「本来の」自分を如何に表現して
生きるていけるかを問われる時代
常に変化にすばやく対応する準備が出来ていなければならない
いつまでも考えていて行動を起こさないと状況が完全に変化してしまうのも
この時代の特徴だといわれる
この時代のエネルギーが仕事をしてくれるわけではない
覚えておくべきなのは私たちの一人一人が
この新しい時代のあり方を実践する必要があるということだ・・・
まずはすでにアクエリアスの時代に入っている意識を
常にしっかり持ちたいと思う
日に日に冬の色が濃くなっていく
12月は「ベートーヴェン」の季節
京都・長岡京のホールで大阪交響楽団(元大阪シンフォニカ)と
仲道郁代のコンサート
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と
交響曲第5番「運命」を聞いた
初めての生仲道郁代、演奏する姿もなかなか素敵で
あの華奢な体からとは思えない華麗かつ力強い演奏が聴けた
見せる(魅せる)演奏と言うのもパフォーマーにとっては
大切なことだと改めて感じた
常々ビジュアルは大切だと言う考えではあるけれど
それも本来の実力があってのものだ
久々のオーケストラ、やはり壮大さがいい、音の厚みがいい・・・
ベートーヴェンの力強い世界観、苦悩や苦難の道もあくまでも前向きに、
強い意志を持って進みゆく・・・
子どもの頃持っていたベートーヴェンについてのイメージが
このところ大きく変ってきた
パンフを見て申し込んだときは名前を見て「大フィル」と間違えていた
大フィルも聞きたかったけれど・・・シンフォニカもがんばってるんだ・・・
第五番「運命」もなかなかいい感じでオーケストラならではの
音の広がりはさすがの世界だった
兵庫・伊丹ホールでは田尻洋一氏のピアノコンサート
ベートーヴェン交響曲のすべてpart3「第九」
交響曲をすべてピアノ1台で表現する取り組み
伊丹では第三「英雄、」第六「田園」に続いて今回は第一と第九「合唱」
どんな冬の華が咲くのかとっても楽しみにしていた
会場は人でいっぱい
場が力強く美しいピアノの音でで満たされていく
若きベートーヴェンを彷彿とさせる第一番ハ長調が終わって
いよいよ「第九」が始まる
大震災をはじめ多くの苦悩にあふれた2011だったからこそ
注目を集めた音楽史上最高傑作ともされるこの作品
「人類愛と多くの人たちの団結によって成しうる
人間解放を理想として高らかに歌う・・・」
混沌とした苦悩・闘争を経て歓喜に至る・・・
流麗に雄大に静かに高らかにズンズンと「内なる宙に響き渡る」ピアノ・・・
1時間30分続く壮大なドラマ
息つく間もないほど浸りきる華麗な音の世界
十二分に満足した何とも贅沢な時間が流れた
やっぱり12月はベートヴェン・・・
玄関(裏鬼門)の南天の紅葉が今年はとても美しい
鉢植えながら大きく育ったライラックやアジサイまでもが綺麗に紅葉している
毎年小さな玄関の若葉の美しさは目に染みるけれど
こんなに美しい秋の風景は覚えが無い
昨日も過ぎ行く秋を惜しんで桂坂辺りまで行ってみた
本当は空に伸びた美しい虹のかけらを見つけて追いかけたのだ
空にかかる場所があるかと・・・
見え隠れする虹を追う
前に見える山々は全山紅葉!
京都は針葉樹の植林が多いので全山紅葉は珍しい
「あっ!」
空には大きな大きな虹の橋がかかった!
「・・・!」
深く息を吸い込む
「虹を見つけるの上手いね・・・」
長く続く銀杏と欅の並木ももう盛りを過ぎて葉を多く落としている
でも葉を落とし空に向かって大きく伸びた欅の枝々もとても美しい
辺りには晩秋の気配が漂いやはり少し寂しい感じがする
近頃の茜空に色づく秋の夕景もなかなかのものだ
マジックアワーの夕暮れどき
揺れ動く心を少し静めて
自然の美しい営みとともにある「時」を
大切に味わいたい・・・
2011年この秋の終わりに
もう一度「豊かさの意味」を問い直している・・・
今日から12月
家の中や玄関はすっかりクリスマスメーク
でもどうしてか今年はなかなか年末気分になれない
八ヶ岳の黄葉は満喫したが
深まる「京の紅葉」も見て置かねばと連日
他の用事と合わせてちょっとドライブ
この時期、京都の名だたる紅葉名所は車も人もいっぱいで
なかなか身動きが取れないので
地元のものは敬遠する(人を案内するとなれば別だが・・・)
その辺りをはずしても他に美しいところはたくさんある
しかしこのところ曇り空が続いて晴れ渡る空の下で・・・と
なかなか行かないのが残念だけど
宇治橋の辺りは山々も色づき始め
赤く色づいたものやまだ緑を多く残しているものなど
始まった紅葉が光に照らせれて美しい
宇治川の流れに合わせて紅葉狩の気分も高なる
散策する人たちが木々をゆっくり眺めながら行き交うのも
ちょっとした風情だ
平安の昔に返ったような川の流れに浮かぶ中ノ島や喜撰橋の眺め
色づく辺りの山々・・・こじんまりとしている分まさに別天地の感じ
山々が織り成す紅葉と美しく清らかな色深き水の流れ
宇治川にそって宇治から大津へ抜ける道はどの季節も本当に美しい
洛西の銀杏とケヤキ並木が今年は本当に綺麗だ
毎年は銀杏が綺麗に色づくころにはケヤキはもう茶色く枯れている
でも今年は銀杏の輝く黄色と高くそびえる欅の緑を残した黄葉が
見事なバランスで長い並木を創っていた
ナンキンハゼの並木も美しい
去年もこの頃友人の子供たち二人の受験生のために
祈願のお守りを求めに行った長岡天満宮
(二人とも志望校に合格して嬉しかった)
今年の紅葉は数倍美しい
様々な楓が本当にたくさん植えられて赤・紅・朱・黄・・・
色鮮やかに見事な錦を織り成している
「綺麗!」思わず声が出る(あちこちからも「声」が聞こえる)
まさに京の紅葉!と言う感じの見事な赤だ
整備された八条が池の風情と相まって素晴らしい秋があった
桜紅葉も残り銀杏や様々な木々の黄葉も素晴らしい
秋の恵みに浸りながら八条が池を巡る
大きな青鷺が首をすくめている
そばで甲羅干しするカメたち
杭に置かれたみかんには大きなカマキリが・・・
(ツクリモノかと思ったら動いた)
たくさんの鯉が・・・停まって池を覗くと集まってくる
宝物のような落ち葉をいっぱい拾って・・・
今年の紅葉はことの他美しい
過ぎ行く秋の中でたくさんの生の営みが沁みてくる・・・
散紅葉錦織り成し流れおり
散紅葉虫食い穴も生の跡
肩先で何を語るや散紅葉