☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

鞍馬山へ

2011-03-25 01:15:13 | 徒然

 17日小雪が舞い散る中、鞍馬山へ向かった
 
 前夜、京都の実家へ帰った鏡リュウジ氏が
 「今日、いても立ってもいられず、事態の沈静祈願のため鞍馬山へ・・・」と
 言うブログを 家人がたまたま読んでいて
 「鞍馬山?」
 「鞍馬山には魔王尊が祭られているからじゃない!」
 「護法魔王尊=サナート・クマーラ!!」

 「破壊と創造・再生の神!!」とか話していると
 背の高い裾の広がった真白い着物で頭を中国風に結い

 (「レッドクリフ」の曹操のよう)
 背中に大きな翼のある男性のイメージが浮かんだ
 「サナート・クマーラ??!」
 不思議な翼の生えた仏像は観たことがあるけれど
 また違った初めてのイメージでちょっとビックリした
 その方に仕えているらしい白装束の男の子(童子)のイメージも浮かんだ
 何か感じる所があって何はともあれ

 2人で鞍馬山へ出かけることにした

 前日に続き京都市内は春の雪というにはあまりに冷たい雪模様
 鞍馬街道に入るとさらに寒く辺りの山々に静かな雪景色が広がる
 真冬の寒さの中鞍馬寺の仁王門からケーブルに向かう
 いつもながらの「宇宙エネルギー・・・」の放送が流れる

 ケーブルを下りると、雪があがっている。
 鞍馬山の清らかな大気に包まれる。

 清々しい気が満ちている。
 長い参道を息を切らしながらのぼり、

 身を清め山々を眺めながら最後の階段を上る
 空が青い。
 ピンクの梅が美しく咲く枝々にはきらめく雪が積もる
 本殿でこの未曾有の大惨事の沈静と再生と

 新しい世界の創造を一心に祈願した 

 鞍馬山は不思議な所だ

 (一般には義経と天狗で有名だが)
 本尊が「宇宙の生命・宇宙エネルギー」
 「宇宙の生命・宇宙エネルギー」を「尊天」と称して祀っている
 その働きは「愛と光と力」となって現れる
 愛を月輪の精霊「千手観音」、光を太陽の精霊「毘沙門天」、

 力を大地の霊王「護法魔王尊」の姿であらわし
 この三身を一体として「尊天」として称している

 千手観音、毘沙門天を祀るについてはそれぞれいわれがあり、
 鞍馬寺の奥の院がある場所に650万年前、

 金星から(シリウス星という説も)
 サナート・クマーラが降り立ったという言い伝えもある
 護法魔王尊としているようだ
 (神智学ではサナート・クマーラは最高位としているところもある)
 「
お釈迦様の教えのように平和を守る憲法を大切に・・・」
 と言うような文もケーブルの待合室に掲げられていた
 
 20年近く毎年のように通っている「五月の満月蔡」も
 鞍馬山で遠い昔から秘儀として続けられてきたようで

 戦後東南アジア一帯に同じような祭事が
 行われていることがわかり「ウエサク蔡」として

 一般公開されるようになった

 「自分の霊性に目覚め与えられた生命を輝かせて生きること・・・」
 「共に生かされている万物の調和を祈る・・・」
 仏教のエキスと神智学と土着の素朴な信仰が

 融合したような「鞍馬山の信仰」・・・

 この清々しい鞍馬山の大気に、
 事態の一刻も早い沈静と

 新たな目覚めに基づいた再生・創造を深く深く祈る・・・
                                       


   

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今このとき大切にしたいこと

2011-03-21 00:09:23 | 徒然


 <・・・ 残念なことだが、この事態を背景にして

しばしば善意や無意識によって)
 「自らの主張(しばしば政治的)に対する動員」を行なう方々が

たくさんいらっしゃる。
 そういう方々は、「事実」「仮説」「意見」を(しばしば意図的に)

ごっちゃにして情報を発信する。
個人的にはこういう方々は平時にあっても信頼できない。
無謀な陰謀論や政府や当局への批判は
当面の事態が収拾されてからでも遅くはないはずである。
自分も含めて、慎重で知的に誠実な態度を保持したい。・・・>
 
身近な人のブログからだがきわめて良識的な意見だ

20年ごろ前からさまざまなネットワークを通して
いろいろな「情報」が入ってくるようになった
その頃はインターネッ等ももちろん普及しておらず
出版物等にしても一般のルートでは手に入れることが難しかった

政治・経済・環境・医療・食関係・スピリチャル等々の

知る人ぞ知る「情報」・・・
「直感」と簡単には物事を信じない性格ゆえ
感覚と十分に筋道たてて考え抜いた上で受け取ってきたつもりだ

個人的にも多くのもの・知識・実践等に随分助けられ
この20年の歳月のなかで 
世の中全般に多くの警鐘が発せられ
改善されたり広く認知されたりしてきたことも数多くある

しかしである
今この未曾有の出来事のなかで思うことは
「情報」とはネガティビティに根ざしたものが多くあるということだ

全てと言ってもいいほど…
きれいな言葉を使ったり

たとえ善意のつもりのものだとしても
根の部分に不安・恐怖そして我欲等々

「分離」感があればそれはブラック情報となる
今このときはなおさらだ
 
いつにあっても根本におおいなる「命の一体性」があるかどうか
しっかり見極めなければならない

日本中からまた世界各地から
「ともにある」「いっしょに・・・」と言う声が響く
「光は希望だ」と言った子がいた
光ある想いがより良い現実を創っていく・・・                
                                            


 

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祈り

2011-03-16 00:08:42 | 徒然

思いもしなかったことがおきた
しかもまだ終わってはいない
 

回避できると信じていた
だからこたえた
何をどう考えればいいのかと

被災者の人たちを思うと胸がいっぱいになる
そこで力を尽くしている人々 
命を懸けて懸命に自分をささげて奮闘している人々を思う
強くあつい感謝の思いが湧き上がる
泣いてはいられないと思いつつまた涙が流れる

2つの原爆の惨禍を受けた日本が
またここで身をもって原子力発電の脅威を全人類に示すのか
と思うといたたまれない気持になる

辛さと悲しさと恐怖に打ちのめされそうな気持ちを
「インビクタス!」
今こそ光に向けなければと強く思う
 

「 日本にこれだけの災難が襲ったのは、ここを乗り越える事で、
日本から世界を変えていくという事なんですね。
残ったものが、やるしかないです。・・・」
「大変な事態ですが、これからは逆に夢と希望を持って
生きていきましょう。
最悪の事態を先に受け入れていたので
かえってこれからのことは夢をもって考えることができる時期です。
悪いことも起こりましたがよいことも起こります。
悪いことが悪いことのように見えて

意外な未来を切り開く入り口になっていることに
きっと私たちは気づいていくと思います。
人類共通の危機は人が生きる意味を

地球とともにある意味を
人と人がともに生きる意味を私たちに気づかせます・・・」
知人たちのブログに励まされる
 

「どうかどうかもう・・・」と祈る気持ちとともに
こんな形でやってきた新しい時に
命の一体性を教えられ 

愛を教えられ
今なればこそ大いなるものを信頼し 
揺れ動く自分を中心に保ち
前へ光へ向かわねばならない

分離感に囚われることなく
ネガティビティの餌食になることなく
こんな時にあっても「ありがとう・・・」と

穏やかな笑顔を見せる被災者の
東北の粘り強く生き抜いてきた人たちと
同じ生命の一体感を持って
新しい光の道へ踏み出す柔らかさを内に溜め込んでいこう・・・
 
 

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東大寺お水取り

2011-03-13 00:32:01 | 徒然・・・お水取り

幼い頃この季節になると祖母が「東大寺のお水取り」の話をよくしていた
「お水取りが始まると寒の戻りがあってすごーく寒くなる・・・」
「今頃、お水取りやってはるんやろなあ・・・」
毎年聞かされる奈良の「お水取り」と言う言葉、お松明の写真・・・
幼い身には奈良はずっと遠く思いを馳せるだけだった
 
出かけるようになって13年目
1260年目の観音悔過(かんのんけか)東大寺修二会
今年は初めて「お松明を二月堂の舞台で」見せて頂こうと出かけた
7時から始まるお松明6時少し前に着き

ぎりぎりガードマンに止められることなく
練行衆が通られる二月堂の石の階段を上って

舞台に上がることができた
人は少なく(少ない日を選んで来たのだが)ほっとした
 
舞台は大きなカメラを抱えた人が多かったが、
お寺のご好意でここでの見学が赦されるようになったが
 あくまでも「行」であることをしっかり認識した上で
注意事項をしっかりと守って頂くこと
守らないとカメラの即没収や即退場等があること」などなど
童子の方々から再三再四注意を受けた

規制があるので舞台上は人は増えず
今年は良く整備されている舞台下の芝生や
広場は見る見る人であふれ

もういっぱいになっていた(少ないどころではない・・・)
 
舞台では
童子の方から
「お水取り」の起こりや行についてまたエピソード等
要点よく分かりやすいお話を聞くこともできた 
お水取りフリーク!?の我々にとっても改めての説明はとてもよかったし
一般の人たちにとってもこの上ないものだっただろう

童子が大きな声を張り上げながら階段を駆け下り
お松明が始まる
松明は練行衆が内陣に入られる足元を照らす灯り

1人がすでに内陣で行の準備を始めてられるらしい 
内陣から差懸(さしかけ・木沓)の音が聞こえる

燃える木の香りとともに赤々とお松明が上がってくる
童子に抱えられたお松明は
目の前で大きく赤々と燃え上がり舞台を流れて行く
歓声が上がる
お松明に導かれた練行衆は舞台正面の局の前から

タッタッタッタッタタタタタと
差懸の音を歌舞伎の拍子木のようなに高らかに響かせて

幕を開け内陣に入られる
幕に映る僧の姿・所作がとても美しい
 
舞台は燃え上がる炎と火の粉、杉の燃える香り、差懸の音・・・
静かな冷気の中で視覚・聴覚・嗅覚を刺激され

厳粛な行の真っ只中にいる興奮を味わう
 
10本のお松明の後局に入って行法に接する
声明の声が合わさると一気にあたりの「気」が高まる
内陣からは練行衆の激しい動きが伝わってくる
五体投地の音が聞こえる
時が瞬く間に過ぎていく・・・

   悔過の行内なる宙(そら)に響き居り

これを書いているときに揺れが来た!
京都でも揺れた!身近な阪神大震災の時より堪えている・・・
何ができるのか今・・・いろいろな意味で・・・
感じながら・・・考えている・・・


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「軟酥の法」

2011-03-09 00:15:47 | 夢話

不思議なご縁?!で「軟酥の法」(なんそのほう)と
いう呼吸法?!を始めてもう5・6年経つだろうか。

だいたいは就寝前ほぼ毎日続けてきた。
今は15分かまあ20分程度

1本のお香が燃え尽きるまでと決めてやっている。
  
「軟酥の法」(なんそのほう)は

禅式呼吸法とか丹田呼吸法とか呼ばれ
多くの呼吸法の基礎となっていると思われるものだ。 
 
後世臨済宗中興の祖と言われ

気の達人でもあった白隠禅師が伝えたとされる「内観法」で
言わば潜在的な心の力を使ったイメージ療法と考えられる。

白隠は20代の後半激しい修行のあまり

重度のいわゆる禅病にかかってしまった。
現在で言えば極度の神経衰弱と重い肺結核である。
当時としては治癒は絶望的な状況であったが

白隠禅師はこの難病を克服するために
名僧・名医を捜し求めてひたすら旅をし

ついに京都近郊の白河山中に住む仙人
(天文、医道を極めた白幽道人らしい)に出会った。

病気の克服法の教えを請い初めは断られたが
白隠の状態を詳細に見て
これ以外に治療法はないと

内観の秘法である「軟酥の法」を授けたといわれている。

白隠禅師はこの教えを実践すること3年

難病(肺結核等)を克服し何と83歳まで生きた。
白隠はこの教えを「夜船閑話」(やせんかんな)と言う

文書に残し伝えている。
この話はいろいろな形でここ数年いろいろな人が

取り上げたりしているのをよく目にするようになった。

「軟酥」とは金色に輝きえもいわれぬ

馥郁たる芳香を放つ今で言うチーズのような
霊薬の固まりでそれが頭上にあるとイメージする。
やがて体温によって溶け始めた軟酥が呼吸法とともに

頭部から胸部、腹部へと
徐々に全身のあらゆる部分に浸透し

一切の病毒、邪気を祓い清めながら下降して足まで達する
とイメージしてこれを繰り返す。

丹前に意識を於いた腹式呼吸

できるだけ長い時間をかけて息を吐いていき
しっかり吐き切るきることが大事。
集中してやると体があったかくなり、

手のひらや足の裏がじんじんしてくる…

一応指導は受けたが1、2年はなかなか上手くできず
感覚を掴むまで試行錯誤をくりかえし
資料等を読んだり誘導の音源を見つけてそれをもとに
やってみたりあれこれ研究しながら練習した。
自己流である。
スシムナカンと呼ばれる気の背骨に当たる所に

流していくことを意識してをやっている。

だからどうだと言うことがはっきりあるわけではなく

「何のために」と続けているわけでもないが
今では1日の大切な日課となって暮しの中に定着している。
 

気づいていないところでいろんな面で
確かな何かを与えて貰っている気がする。

人に伝えるのは非常に難しいのだが、

いろいろな意味もあって一人若い鍼灸師の友人に伝えた。
真面目な彼は朝夕真剣に取り組み今も毎日続けている。

彼はもちろん彼の家族に
「仕事が終わった後、顔色が悪く大変疲れていたり

頭痛があったり、休みの日は
体調不良に悩まされることも多くて心配していたが
軟酥を始めてからそんなことはほとんどなくなり
休みの日もすっかり元気で喜んでいます…」

と会う度に感謝されている。
 
気持ちが散漫になって内観法には

なってないことが多い今日この頃…
ここでもう一度気を入れなおし

初心にかえって取り組みたいと思っている…
                                           

                                                                                                                                                                         

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ポピー♪花便り

2011-03-01 00:43:34 | 徒然

 光の明るさが増してきた!

 梅の木は芳しい花をつけ
 土手や畑の水仙は今は盛りと
 陽だまりのなか優しい香りを振りまく
 
 房総から50本のポピーが届いた
 1昨年に続いての花キューピット 
 感謝感激!
 少しずつ少しずつ、今年は赤いポピーから開き始める
 
 表玄関のスノーマンのトールペイントをあわてて片付け
 いつものように
 小さなお雛さまを、家のあちこちに飾った

 大輪の白い椿
 ちょっと小ぶりな赤い椿は
 見目麗しく味わい深く開き始めた
 白いカラーにピンクバリエーションのガーベラたち
 スプレーカーネーション、シンビジューム
 それに見事なポピーがいっぱい
 小さなお家はお花にあふれて
 とってもとっても幸せな気もちになる
 

 時は瞬く間に過ぎていく
 春3月を迎える準備は万端・・・
  
   あざやかに帽子脱ぎ捨てポピー咲く
 
                                       
                                

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