『問題は悪意より無知から生じる』
「ハンロンの剃刀」とは
「相手の行為が単なる愚かさで説明できるのであれば、
必要以上に悪意を想定してはいけない」
と いうことを表した定理らしい
勝間和代氏がA新聞の「人生を変える『法則』」にかいていた
氏は個人的にはあまり好みではないのだが
この定理には思い当たることが多々ある気がした
「私もこれを知って日常的に思い浮かべるようになってから
さまざまな怒りを静めるのに役立っています・・・」
よく分かる気がする・・・相手の言葉や出方に瞬時に反応する時、
無意識に「悪意」を想定して、「怒り」や「憤り」の感情が生じる
「ハンロンの剃刀を知ると、何か不満が生じたり
トラブルに遭ったりした場合
相手の態度が本当に悪意に基づくものなのか
純粋に無知や愚かさに基づくものなのか
一瞬待ってから判断する癖がつくようになります」
「そしてほとんどの場合、実は悪意によるものは大変少なく
ほとんどが後者なのです・・・
愚かさは、知識不足とか、
専門外という言葉に置き換えてもいいいかもしれません」
ビジネスに関わるの場合は、「悪意」は相手の自覚的な行為であり
「無知や愚かさ」は無自覚なものであるので
かえって対処に手こずる場合もあるだろう
しかし日常の人間関係においてはこの定理が身につき習慣化すると
「怒り」や「憤り」は生じにくくなり
「赦し」の感覚も随分持ちやすくなる感じがする
「多角的にものを見よ」「判断には時間をかけて・・・」
「待つことが大切」とか言うより
このような定理として表現された方が随分わかりやすい気がする
生きていく上で、有効且つ有益な定理・・・
こころして活用できれば・・・
しんしんと雪が降っている
午後に降る雪は今年初めてだ
しんしんと降る雪を眺めていたら
三好達治の「雪」を思い出した
太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降り積む
はじめに「しんしんと」がついていると思っていたが
思い違いのよう
きっと太郎と次郎の屋根に降り積む雪は
「しんしんと」したにおいを幼い私に残したのだろう
清めの雪
雪景色を見ると心持が真っ白になる
雪の中を歩いていると
いつもの景色が一変して
何処を歩いているのかわからなくなる
一瞬遠い世界にただ一人来てしまったような・・・
ふと立ち止まって
辺りを見回してしまう瞬間があるのも「いとをかし」だ
雪と言えば、清少納言の枕草子の雪の場面も思い出す
しみじみと降る雪を器に盛って
梅の一枝を挿し
月明かりにそれを見ながら歌詠みをする
なんともの風情であること・・・
地球も
自分の身の内も
浄化の雪ですっかりと洗い落としたいもの
新しい明日に向かって
雪がしんしんと降っている・・・
久方ぶりの雨、
まだ一雨ごとに暖かく・・・とはいかないようだ
氷雨、冷たい雨が降る
でも少し
優しさの香りがする
やはり春は息づいている
木々は薄紫から薄桃へ
新芽がゆっくりと伸び始めている
四季ある国のありがたさを思う
酷暑から極寒へ
季節性インフルの発生レベル
鳥インフルから厳しい花粉情報 ・・・
季節に関してだけでも、様々な情報が溢れる
自分の立ち居地を何処に持っていくのか
何処で自分の姿勢をを保つのか
自己の中心を何処におくのか
問われる時
試される時
選べるときとも言えなくない
風の強さの中で
風の温かさを知る
あふれる光の中で
ひかりの輝きを知る
時折強く吹く風の中で
春に向かう雨が降っている
新春の高校サッカー
京都代表の府立「久御山高校」のキャッチフレーズ
「君は君らしく!」
ご当地と言うこともあったけれどおおいに気に入っていた!
言葉が新しかったからではない
闘魂逞しい代表校のキャッチフレーズの中
何と京都らしく公立高校らしい素敵な言葉ではないか!
「君は君らしく」
久御山はのびのびとリラックスした笑顔で風を呼び
決勝まで駆け上った!
アジアカップ!
個性派揃いの若手メンバーで
「君は君らしく」優勝を勝ち取った!
南アのワールドカップ以来 安心して見ていられる
日本人も本当に逞しくなった!と思う
世界の中で自然に普通に当たり前に笑うことができる
そんな「時」が来ている・・・
「国を背負うと国を背負えない」
「がんばるとかんばれない」
言い換えれば
「国を背負わなければ国をも背負うことができる」
「がんばらなければがんばることができる」
そんな「時」が自然に流れ出している
実はそれが本来の姿だったんだろうけれど
わたしはわたしらしく
きみはきみらしく
あたりまえに ありのままに あるがままに
その感覚が「時」を変え「時代」を変えていく
その「感覚」としか言いようのないものが・・・
光が少し明るくなった
今年の関西の冬はとっても寒い
暑い夏と寒い冬
自然といえば自然なことなのだが
光が変わると何だか嬉しい気持ちになる
寒さの中でちじこまっていると
体が硬くなって 思考も固まってくる
外からの情報はほとんどが
不安をかき立てられることばっかりで
もっと体も心も硬くなる
やはり解き放つ光が必要だ
内から光が放てるようになればいい んだけれど
明るくなった光を少しばかり溜め込んで
ふくらませてみましょうか
寒さの中で春を待ってほの赤く萌えたつ新芽たちのように
水仙は優しく甘い香りをかすかに放ちながら
もうあちこちで咲き始めている
日ごとに木々の新芽は大きくなる
寒気の中でも
内に光をふくらませて
花を咲かせて見ましょうか
小さい小さい花でもいいから・・・
近頃、「思考」についての考察をよく目にするようになった
深いところで見れば、かなり高度な世界観・人生観だと思うのだが
真の意味で「大いなるものに委ねる」ことができるようになれば
ずっと人生は楽に生きられるし上手くも生きられるという・・・
それには「思考」をはずすと言うかやめることが大事になってくる・・・
なんていうと人間は「考える葦」である
「考える」から人間としての値打ちがあるのだとか
考えない人間が多いし又増えてもきたから社会は問題だらけなんだ等々
の声も聞こえそうだ・・・ 本来は違う意味なのだが・・・
私だって一番大事にしてきたものは「知的思考」だと言えなくもない
「人間の思考の90%以上が、過去の後悔や未来の心配
期待などで占められていると言われている。
つまり私たちが考えている90%のことは
考えなくてもいいことなのだ。
しかし多くの人はもし自分があれこれ過去や未来について考えなくなったら
自分は人間として機能しなくなるだろうと恐れている。
事実は反対なのである。
過去や未来のことをあれこれ考えないほうが
人間としてうまく機能するようになっているのである。
実際、パソコン作業、料理、スポーツ、テレビ鑑賞、
その他目の前でやるべきどんな人間的活動であれ
集中しているとき私たちはあれこれ考えていない。
反対に私たちのトラブルの多くは
過去や未来を考えすぎることによって生まれている・・・」
送られてきたメルマガの抜粋だがそう言われればよく分かる気がする
スピリチュアルな世界では「思考を止める」のは
困難な修行だとされているごとく
常々、本当に難しいことだととつくづく思っている
「知的思考」が「考えることを止めてしまったら
あなたじゃなくなるよ」と邪魔をしたり
無駄とわかっている思考も隙あらば入り込んでくる
昨日会った小さい時から知っている三姉妹のお母さんが
「私は末娘のことを心配し、末娘は次女のことを、
次女は長女のことをあれこれ想い、長女は私のことを心配している・・・」
「私がこの心配の連鎖を断ち切ったらきっとみんな
無駄な心配はしなくなるしみんな楽になる・・・」
「心配は私の勝手なエゴから来ていると前からわかってたけど、
どうしてもやめることはできなかった・・・
でも今日からきっぱりやめるわ・・・」
「きっぱりここで宣言したから証人になってくださいね・・・」
と話された
とってもいい話だと思うし
大いに賛成したのは言うまでもない
心配もとてもやっかいな無駄な思考のひとつだといえる
「考えない練習」と言う本も出ているらしい・・・
いろいろな角度から、無駄な思考をはずす練習をしていきたい・・・
と思う今日この頃である・・・
12月24日聖夜
クリスマスイブ
空は深く澄み渡り きりっと清らかな気が張り詰めている
月は辺りにかすかな虹色をまきながら力強い輝きをはなち
オリオンやぺガスス
星たちが
それぞれの色でまたたく
優しい聖夜
2000年の時を経て
新しい明日が始まる
発せられる声に耳を澄ませ
心を澄ませ
自分らしく
ありのままに あるがままに
成したいことを 成すべきことを
大いなる信頼をもって
ひとあしひとあし
12月24日聖夜
個人的にも特別の日
今年は特に記念すべき日
星降る夜に
オリオンの三星に思いを込めて
新しい明日へ歩き出そう
大阪での家人の展覧会の間中ギャラリー会場には
ショパンのバラ-ド1番とドビッシーの
「月の光」のピアノ演奏がずっと流れていた・・・
展覧会は本来無音を好むだが
「このピアノ」は心地よく響いてじゃまになることもない
そうした音楽は実はありそうであまりないのだ・・・
オーナーに聞いてみると
「ある人が生まれて初めて弾いたピアノを録音し
それをCD化したものだ」と言う。
「どういうこと?初めて弾いてどうしてショパンやドビッシーが弾けるの?」
「うらやましい限りだけど・・・」
聞いた話では十数年前
ある男性(お百姓らしい)が学校の音楽室でピアノの前に座った。
何気なくピアノに触れると勝手にピアノ演奏が始まった・・・
そこに居合わせた知り合いの音楽の先生が
あまりの素晴らしさにビックリして
(今まで習うどころかピアノも殆ど触ったこともないこともわかって)
「ちょっと待って!」ととりあえず手近かにあった
テープレコーダーに録音した・・・
その録音を聞いた人たちの反応やその素晴らしさから
何とか残しておきたいと言うことで、
演奏した方の知人の元大学教授が最近CD化されたという・・・
その先生とお話しする機会があったので聞いてみた。
この演奏ピアノが弾けたのはその一回限りだったらしい。
たった1回きりの演奏。
初めてその録音を聞いた時
本人と長い付き合いでどんな人かも十分知っているのにも関わらず
「信じきれなかった」という。
それでこの2曲が収められているCDその時発売されていたものを
すべて購入して一つ一つ聞き比べてみたらしい。
どの人の演奏とも全く違っていたので「信じざるをえなかった」・・・
「弾き手の我が全く入っていない」
「自意識の介入が微塵もみられない・・・」
その方はどんな方かと問えば
「50年以上のコンタクターで・・・わかりますか?」
「はあ、まあ・・・」「どこですか?」
「宇宙連合・・・」
宇宙連合!?バシャールなんかも使ってるけど
その宇宙連合と同じなの?
もう少し突っ込んで聞きたかったけど場所も場所だし残念・・・
ほんとうに音源はいいことないはずなのに
そのCDは「いい演奏!・いい音」に仕上がっっている
聞き続けてもとても気持ちの良いものだった・・・
展覧会が終わった時
その貴重なCDをオーナーからプレゼントして頂いた。
このCDタイトル「クリントールン」は
平和を意味する宇宙連合の言葉であるとのことである・・・
桜紅葉が美しい色合いを見せ始めた
きっといち早く色づく欅並木は美しかろうと出かけてみた
本当に今を盛りの欅紅葉
黄緑・黄色・橙・赤・紅・・・まばゆいいほどの気持ちの良い美しさだ
ずっと続くケヤキ並木を往復した
空気の流れが美しい
こんなに美しく色づく欅の紅葉を目にするのは初めてのこと
今日は誕生日
今日から新しい日が始まる
いつものように家のあちこちに色とりどりの薔薇が香る
明日に向かうための 気づきと学びの秋
本当にたくさんのことに気づき学んだ気がする
3次元から5次元へ
新しい日々を創って行くのは自分でしかない
人とのつながりをを大切に
新たな出会いと縁を楽しみに
新しい今日と明日と未来のために・・・
カネタタキ想い出ジワッと沁みる宵
胡弓聞く胸の赤き血紅葉月
雲晴れてさんしゅゆの実の熟すなり