<・・・ 残念なことだが、この事態を背景にして
(しばしば善意や無意識によって)
「自らの主張(しばしば政治的)に対する動員」を行なう方々が
たくさんいらっしゃる。
そういう方々は、「事実」「仮説」「意見」を(しばしば意図的に)
ごっちゃにして情報を発信する。
個人的にはこういう方々は平時にあっても信頼できない。
無謀な陰謀論や政府や当局への批判は
当面の事態が収拾されてからでも遅くはないはずである。
自分も含めて、慎重で知的に誠実な態度を保持したい。・・・>
身近な人のブログからだがきわめて良識的な意見だ
20年ごろ前からさまざまな個人的なネットワークを通して
いろいろな「情報」が入ってくるようになった
その頃はインターネッ等ももちろんほとんど普及しておらず
出版物等にしても特殊なものは一般のルートでは手に入れることが難しかった
政治・経済・環境・医療・食関係・スピリチャル等々の
知る人ぞ知る「情報」…
「直感」と簡単には物事を信じない性格ゆえ
感覚と十分に筋道たてて考え抜いた上で受け取ってきたつもりだ
個人としても、それらの「情報」を得ることによって
多くのこと・知識・実践等々…生きて行く上で随分助けられてきた…
この20年の歳月のなかで
それらの「情報」が少しずつ世に広がることによって
世の中全般に多くの警鐘が発せられ、改善されたり
広く認知されるようになったことも数多くある
しかしである
今この未曾有の出来事のなかで思うことは
「情報」とはネガティビティに根ざしたものが多くあるということだ
全てと言ってもいいほど…
きれいな言葉を使ったり
たとえ善意のつもりのものだとしても
根の部分に不安・恐怖をあおるもの、我欲等々
「分離」感があればそれはブラック情報となる
今このときはなおさらだ
いつにあっても根本におおいなる「命の一体性」があるかどうか
しっかり見極めなければならない
日本中からまた世界各地から
「ともにある」「いっしょに・・・」と言う声が響く
「光は希望だ」と言った子がいた
光ある想い・光に向かう思いがより良い現実を創っていく・・・