駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

底に残ったウイスキーを見て

2018年07月19日 | 医療

 余程財力と介護力がなければ、認知症の老人の行方は施設と相場は決まっている。入所施設も甲乙丙というか松竹梅というか、いろいろある。勿論、同じ乙や竹でも施設によってお値打ちとやれやれとばらつきがある。

 原則としてこうした施設の往診はお断りしているのだが、浮世のしがらみで十年前までは数か所、徐々に減らして今も一か所往診している。有体に言えば丙と言うか梅と言うか最低限の介助が行われているグループホームである。職員はそれなりに頑張っているが、人手が少なく管理的な傾向がある。おそらく私を手放さないのは、私が月一回の往診で随時に対応するので廉価便利だからだろうと思う。

 職員は入居者を決してぞんざいに扱っているわけではなく、限られた人数でできるだけのことがされている。しかし、人手が限られているので、手が掛かることを非常に嫌う。常に夜寝ない、騒ぐ、乱暴する・・を何とかしてくれと言う要求がある。教科書的には、理解ある対応でこうした周辺症状は軽減できるとされているが、中々現場では十分な対応が追い付かず、薬に頼る割合が大きくなってしまう。

 こうした現場を見て国会議員やマスコミは何と言うだろう。勿論与党野党で違うだろうし、マスコミも売れ筋を追うから、よくやっている(実際に現場はできることをしている)から不十分な扱いだ(経営的には万全なことはできない)まで、色々な見方がされるだろう。

 家族の対応も臨終に駆け付ける家族から、死んだら連絡呉れという家族までさまざまだ。しかし、はっきり言えば家で亡くなる人に比べれば寂しいというか手薄い感じがある。

 願わくは死ぬまで殆ど呆けないで、十日ばかり家で寝込んで終わりたいと思うが、こればかりは鬼が笑うかもしれず、控えめ微かな希望である。

コメント
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