駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

変わりない朝

2009年08月31日 | 世の中
 切れ目に青空は見えるが、鉛色の雲が空の大部分を覆っている。気温は摂氏24,5度くらいか、もう夏ではない。初秋の何の変哲もない朝だ。昨夜、日本で政権交代が起きたことなど、天地は我関せず、無言で運行してゆく。
 天体の動きは宇宙人が首相になるという人間の営みの激動にも微塵の変化を示さないのだ。
 次期首相になる鳩山さんは育ちが良く根が正直でやや迂闊な所があるが、筋金入りの科学素養があり、自然に対する理知的な眼をお持ちのはずで、それは策動する人間の罠を避けてゆくのに有効に働いてゆくだろう。
 マスコミは民主党への地殻変動にはマスコミへの痛烈な批判も含まれていることを自覚し、うらみつらみ等人間の駆け引きばかりでなく、事実を客観的冷静に報道してゆくことだ。大衆は愚にして賢と言われるが、何万年の歴史はごく僅かに賢が優る?のを示しているようですよと申し上げておきたい。
 今しばらく診察室では天候の挨拶代わりに時折選挙も話題になるだろう。勿論、患者さんは私が何処を支持したか知る由もない。
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勝利ではなく

2009年08月30日 | 世の中
 怒りの鉄槌が下りた。選挙は政党には勝負でも、国民には選択。
 勝ってではなく、選ばれて兜の緒を締めて欲しい。いみじくも鳩山由紀夫さんの言われるように、国民のよりよい生活が実現されなければ何の意味もない。
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診察室から(一)

2009年08月30日 | 町医者診言
 男は客観視する能力に恵まれ、女は比較する能力に優れる。
 比較に優れる男は内に、客観視に優れる女は外に生きる。
 両者を欠く者は愚かしく、両者に恵まれる者は力あるも幸せに遠い。
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歴史の審判と歴史の力

2009年08月29日 | 世の中
 「明日は怒りの鉄槌が下る日」。と還暦過ぎは表現したいのだが、若い人達には単に変化を求めて旧体制に別れを告げる日なのかもしれない。
 いずれにしても間違いなく旧態依然既得権益のこびり付いた自民党はレッドカードで退場する。
 勿論、明るい明日が直ぐ来るとは思えない。根深い病巣を取り除き再生するのは容易なことではないからだ。まして、良く言えば多彩、悪く言えばまとまりのない民主党にそれができるだろうかと心配になるだろう。
 しかし、私は楽観している。紆余曲折はあってもなんとかやり遂げてゆくと思う。というのはほとんどの幹部と党員に十年を越える苦節があるからだ。昨日今日思い立って野にある訳ではない。それが間違いなく力になる。十年先を見つめ、二三年先の目標を立て、日々努力してきた蓄積は大きい。
 自民党の再生には懸念がある。これから鼎の軽重を問われる。権力を失っても整合性のある政党組織を維持できるだろうか。それが即ち、今までの総括なのだ。総裁を取っ替えたって中身は変わらない。名が挙がる桝添さんにどんなに人気があるといっても、テレビ露出で得た知名度で直ちに権力の側に付いた人だ。それが彼の資質を物語っている。相手の誹謗でなく自らの深い反省なくして、明日への展望は開けない。
 有権者は自分たちが主人公になれると気付いた。そして自分の一票に責任を感じるだろう。短兵急に結果を求めることはないはずだ。自分の一票の重みを感じることこそ、成熟社会への第一歩だと思う。
 
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多趣味悠々

2009年08月28日 | 身辺記
 先日、一年ぶりに防波堤からの五目釣りに出かけた。僅か二時間、釣り上げたのが一匹逃がしたのが二匹という釣果であったが十分楽しんだ。もはや釣れなくても楽しめる心境に達しているので、浮子を見つめながら陽が陰ってくるのを感ずるだけで心和らぐ。浮子が波間に踊るのを飽きず眺めているのは、何とも言えない心地で大自然に抱かれ別世界に浸る気分になる。
 幼い日近所の遊び友達と田や森の池へ、家庭を持ってからは子供達と川や堤防へ釣りに行った日々を思い出す。一番幸せな時間だったような気がする。
 残念なことに女房は私のあれこれの趣味を好まないので一人で来たが、それもいい。釣れなくても、釣れるかも知れないとうい期待があれば何度でも竿を出せる。不思議だ。
 同業者にも釣り好きが居るが、皆沖に出て鯛とか鰹とか烏賊の大物を狙う。一緒に行きたいが、船で海に出るのは二の足を踏んでしまう。揺れると酔うのだ。酔っても誰も陸へ戻ろうという人はいない。独りげーげーやるのは懲りた。それと沖の釣りは繊細な駆け引きの妙味に欠け、生意気を言えば面白くない、負け惜しみかな。
 趣味というか道楽というのは不思議というか厄介なものだ。朝、駅までの道で時々「先生」と手を挙げてすれちがう自転車乗りはK病院呼吸器科部長のA先生だ。彼は毎日10キロの道を自転車、といってもママチャリでなく何十万の高級自転車、で通勤している。そんなに毎日乗っていれば十分だと思うと、この前の日曜日M市まで行ってきましたなどと言う。往復150キロ、殆ど病気だ。そういう私にも重症の趣味がいくつかある。
 医局に入る面接で、趣味はと聞かれ色々挙げたら「あんたね、それじゃあ勉強できないだろ」。と一喝された。さすが教授、何十年先までお見通しだったようだ。最近はブログまで書き出して、多趣味という病気も病膏肓で、毒喰わば皿までの心境だ。
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