「人は見た目が九割」だかという本があった。立ち読みでパラパラと読んだような気がするが内容は殆ど憶えていない。今ネットで調べたら人の情報は九割が見た目由来で、それによって印象が形作られると言うことらしい。
私は九割の人が見た目で人を判断していると言い換えたい。私の解釈もそこそこ真実と思う。しかしまあ、誰しも人は見かけだけではないという経験を持っておられるはずだ。特に私の様な人の採用経験がある人間は、人は見かけどころか十五分話してもでも分からないことが多いと学んでいると思う。勿論、三分話してこの人は大丈夫と閃くことも時にある。
私のボスはよく新顔に会ってから「あいつは結婚しているか」と聞いた。結婚していれば見かけはもう一つでも、まあいいだろうということになる。その心は女という難しい生き物と一緒に暮らしているからには、そこそこの常識や忍耐力があるはずだという理論というか経験論だ。尤も、最近ではこうした発言は差し障りがあるようになってしまった。
しばしば事件を起こした人が、大人しそうな人だとか穏やかそうな人だとかと近所の人に言われる。どうも見かけではわからにことも多いのに見かけで判断してしまいがちなのだ。そうはいっても親しくなれる人の数は限られているから、見かけに頼るのはやむを得ない。ただ、それは見かけの印象に留めて、決めつけないことが大人の知恵だと思う。
長く生きて来た人は気付いておられると思うが、大人しそうというのは実は当てにならない印象で、大人そうな人は隠れているあるいは隠している部分が大きく、とんでもないことをしでかすことがあるので要注意だと申し上げておこう。
私はもう何万人にもの患者さんを診てきたから、一般の人よりも要注意人物の見分け方には長けているかも知れない。それでも、こういう人と決めつけるのは危険で間違いの元になると心に留め、いつも少し見直す窓を開けておくようにしている。幸い一度も医院に警官を呼んだことはない。