子供の頃、嘘つきは泥棒の始まりと近所のガキ大将と言い合った記憶がある。今、考えるとこれは妙なことわざだ。なんだか泥棒の方が嘘つきよりも悪いみたいだ。こそ泥なら嘘つきの方が悪いと憤慨するかも知れない。確かに泥棒は悪いが、嘘つきはそれに劣らず悪いのではないか。
嘘も方便とか可愛い嘘というのはさほどの悪事ではないだろう。親切な場合もあるかも知れない。しかしながら多大の損害を与え、多数の犠牲者を生みだす嘘は泥棒以上に悪いと思う。
恐ろしい嘘は自分が嘘をついているとは思っていない人物の嘘で、物の怪が取り憑いたか自己暗示か、信じ込んで主張されるとつい本当のように聞こえてしまう。冷静に本当かなと批判力を保ちながら聞ければ、いくつかの反証を挙げることができ、騙されることはないのだが、これは中々難しい。
巧みな嘘はこちらの顔色を見ながら、少しずついつの間にか内容をすり替えてゆく人物の嘘で、これも中々手強い。これには記憶力で対応したい、確か三週間前にはこんな事は言っていなかったと思い起こせば、騙されるのを免れるだろう。
まあ、嘘と言えば人聞きが悪いが、言葉巧みに誘導する手法は世に溢れている。私は大丈夫と思わないで、時々頬を抓り、眉に唾を付けよう。