駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

かぐや姫はあなた、かぐや姫はわたし

2013年12月31日 | 映画

                          

 日本にもショッピングモールがたくさん出来てきた。とてつもなく大きい駐車場と映画館まであるたくさんの店舗が詰まった建物、ここだけでほとんどすべての買い物ができる。映画でも見てゆこうかと寄ってみたら「かぐや姫」の上映時間がちょうどよかったので、見てみることにした。

 スタジオジプリの作品ということで、いつの間にか宮崎駿の作品と比べてしまう。「風立ちぬ」よりも心が動いた。絵は宮崎作品の方がやや通俗的なところがあるかもしれないが、私は風光を感じるので好きだ。「かぐや姫」は余白を生かした絵作りで、絵物語の感じがした。

 語の展開はやや冗長で繰り返しが多く、竹取の夫婦の心の動きに飛躍があると感じた。かぐや姫は女というよりも少女の感じが抜けず、男を狂わせる女性としての魅力がもう一つ乏しい気もした。尤も、それではおとぎ話にならないのかもしれない。かぐや姫が本当は何を望んでいたのか、かぐや姫は何に気づいたのだろうか。それはわかるようでわからない。わかるのは時が流れ、運命というものが動いてゆくことだ。

 高畠勲さんという方は七十を過ぎておられるのに心の奥に少年のような素朴な感性を秘めておられるように感じた。これは宮崎駿にも言えることだろう。

 かぐや姫の罪と罰というコピーは違っているように思うのだが、違っていていいのかもしれない。かぐや姫はあなたそして私。

 年末にいつも感じる去年今年貫く棒のようなものが、今回は少し撓んでいるような気がする。今暫く留まって撓みを和らげたいと思う。

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「漂流」を読む

2013年12月30日 | 

                    

 生活を考える人のお勧めで、吉村昭の「漂流」を読んだ。

 船は大量の物を運ぶ交通手段として古くから使われ、日本でも江戸時代には沿岸を航路とする千石船によって大量の物資が運ばれていた。この千石船は運搬能力には優れていたが、外洋航海には適さない構造になっていたためシケで難破しやすく、殊に太平洋岸の航路では嵐で黒潮に流され毎年数多くの遭難者を出していた。溺死餓死病死を免れ漂着しても孤島や異郷では生き延びてゆくのは肉体的にも精神的にも大変なことである。 

 「漂流」は江戸時代天明五年(1785)に起きた土佐の千石船の遭難者の記録を基に書かれた小説である。

 今の高知県赤岡の在に長平という若い(二十三歳)の男が居た。彼は主夫(船員)で天明五年一月二十八日、米を運んだ帰り船で嵐に会い遭難する。昨日まで番屋で酒を飲み仕事があれば船の舵を取り港から港を行き来する生活をしながら、気に入って脈のある娘を嫁にしようと決意した矢先のことだ。生死をさ迷う漂流の挙句、絶海の孤島に流れ着き、飲む水もろくに食べる物もない極限状態に置かれてしまう。小説といいながらまるで実録を読むような臨場感を持って、彼が何人かの仲間を失ないながら、新たな漂着者を迎えながら、絶海の孤島の中で生き延びてゆくさまが描かれてゆく。

 大変面白く読んだのだが、こうした物語には異例な?感想を持った。それは日常と極限状態の間には結び難い断裂があるということだ。

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患者と病気を繋ぐアフォリズム

2013年12月29日 | 診療

                

 岩田健太郎という人が居る。人と言うと失礼だと怒るかも知れない。個人的にすれ違の経験があったので、こうした書き出しになった。十年以上前だったと思うが、氏の研修医向けの感染症の講義に出させて貰い、私は治療戦略の変遷に付いて質問したのだが、「えーっとその質問はまたに」。とか言って「はい、若い人に質問は」。と無視されてしまった。

 今は神戸大学の感染症治療学の教授である。講義を聞いて著書を一冊解説をいくつか読んだだけで、口幅ったいかもしれないが講釈のともったいの多い先生である。一ページで書けることを三ぺーじも四ページも掛けて書かれる。

 勿論、それにはそれなりの理由があってのことと思うのだが、小医は病を治し中医は人を治し・・とか芭蕉の言葉とかが出てくるのには過ぎている感じがする。

 講釈やもったいが多くなる理由は感染症治療の勘違いに対抗したい、臨床教育に力を入れたいという強い思いがあるうえに教え好きだからなのだろうと推測する。 

 私は半世紀近い昔に医学教育を受けたのでよく分かるのだが、昔は患者と病気を別個に扱う所があった思う。半世紀を掛けて改善されてきてはいるが、まだどこかに臨床を大切にして深めようとする姿勢が不十分なところがある。感染症では特に抗生剤メーカーの宣伝攻勢の名残りがあるので、岩田先生は多分もっときちんと考えて感染症を見て欲しいという強い思いがあり、アフォリズムが登場するのだろう。

 

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輪ではなく転の年

2013年12月28日 | 世の中

           

 年末年始の休みは基本的に六日間としている。年によって七日間休んだこともある。今年は4日を休むと八日間になってしまうので患者さんの便宜を考えて4日からの六日間とした。

 最初と最後は意外に患者数は少ないもので、これなら休んでもよかったのではと思うほどである。それでも、開いてて良かったと言う患者さんが居られるので、職員の気持ちよりも患者さんの便利を優先している。

 勿論、彼女達は休みは長い方が嬉しいのだろうが、私の決定に不平そうな顔を見たことはない。プロ意識があるのだと思う。大企業でもない僅か七名の小組織なので、連続六日の休みが取れれば御の字だろう。

 今年は当医院にとって、激動とまでは行かないが、変化の多かった一年だった。業務体制では受付一名がご主人の転勤で辞められ交代したこと、パートの看護師確保に苦労したことがある。診療では五年十年と往診してきた患者さんや十五年二十年と通院されていた馴染みの個性的な患者さんが何名も亡くなられたことがある。これには猛暑と急激な冷え込みが関係していると思う。

 世の中でも大きな変化があった。激動の2013年だったと歴史に残ると思う。何だか手品を見せられた様な気がする。手品なら笑って済まされるのだが、衣の下の鎧には後でしまったということがありそうで、広く世界を見渡して二十年三十年後、孫の時代のことまで考えれば、爺としては余生を楽めば良いとばかりは言えない気がする。

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何だか変だ

2013年12月27日 | 小考

                  

 相手がおかしい間違っていると非難しても自分が正しいことにはならない。

 戦争の犠牲者に祈りをささげない人は居ないだろう。

 今、口を開けることができる誰に、失われた言葉を忖度することが出来るだろうか。

 恩師はいつも言っていた真実は間にあると。

 自分のことさえ定かでないのに、相手のあることで、私に落ち度はないと言っても、私にも落ち度はないとこだまが返ってくるだろう。

 何だか、心配になる。

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