私が学校に行っていた半世紀前は夏休みは八月三十一日まであった。つまり、餡は鯛焼きのしっぽの先まで入っていたわけだが、最近は八月二十五日頃から二学期が始まるところも多いようだ。果たして一週間短くして何ほどの意味があるのだろうかと、孫に同情する。
嘘のような本当の話なのだが、四半世紀前には処方された薬の半分近くが捨てられていた。医療費の負担も少なく、医者が呉れるのを断るのも面倒とひどい患者さんは袋ごと捨てていたのだ。今ではコンプライアンスとかアドヒアランスとか言って患者がきちんと指示を守っているかを確認することの重要さが強調され、自己負担額も上がってきたので、薬の服用率はかなり上がっているはずである。しかしそれでも、ある日突然、カプセルは50日分くらい残っているから今日は要らないとか言い出す患者さんが居る、ほとんどが高齢者。なんでかと聞くとあれを飲むと気分が悪くなると言う。
どうして六種類の薬を一度に飲んでいるのに、犯人はこれだとわかると聞くと、勿論きちんとは答えられない。あれが悪そうだからあれだ、カプセルは気に食わないと言った程度だ。確かにやめたらよくなったので、そのカプセルのせいかもしれないが、殆どの患者さんは一つ一つ試したわけではなく、錠剤やカプセルの面を見て犯人を決めているのだ。そうした心には、こんなにたくさん飲みたくないと言う気持ちや、隣のおばさんのそんなに薬ばかり飲んでいると体に悪いよと言われたことがある。
診療は信頼と意思疎通の上に成り立っているから、薬の数が多すぎるとか、この薬は合わないようだと言うのは遠慮なく言ってほしい。医者は中止するのにやぶさかではなく、無理強いすることは決してない。
医師である私も、できるだけ薬の数を減らしたいと考えながら診療している。唯、高齢者は複数の疾患があり訴えが多いので、どうしても薬の数が増えがちだ。尤も、厚労省はそんなの関係ない、とにかく薬を二種類以上減らしたら報奨金を出すという制度を導入した。これは嘘のような本当の話だ。但し、当院では二種類以上減らしても報奨金を請求していない。煩雑だしそこまでしたくないと思うからだ。しかし、役人の心にはそうした利益誘導で医者を動かそうと言う根性が居座っている。勿論、有効だったからという経験があるからだろう。誠に遺憾だ。