駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

船出に立ち会う

2019年11月23日 | 

         


 今朝は雨が上がり気持ちの良い秋晴れで、気持ちも穏やかだ。街のあちこちに空き地が増え、人口減少の影響を直接感ずるが、中には新しい街作りを目指して飲食店や小さい芝居小屋のようなものを招いてどことなく活気を見せる界隈もある。有能果敢なプランナーが居るようで、贔屓にして繁盛していたイタリアンも店をちょっと大きくしてそこへ移転するという。街には相乗効果というものがあって、良い店が集まると1+1+1が3ではなく5の賑わいが出てくるものだ。

 移転先は小と言えども一軒家で、今の店の倍くらいの広さがある。あと二週間くらいで移転オープンなので、どんな店なのかなあと先日帰り道午後八時頃、ちょっと遠回りして前を通ったら、シェフがポツネンと一人客席に座って考え事をしていた。新しいメニューでも考えていたのだろうか。覗いている私に気付き、近づいてくるとドアを開け見ていって下さいと言う。新築なので靴を脱いで新しい木の香りがする店内を一回り見せて貰った。個室が二つあるがやや小さく、シェフもちょっと小さいんですがとこれで良かったのかなという迷いを見せていた。確かにもう少し大きい部屋が一つあっても良いように感じがしたが余計なことと黙っていた。

 「ちょっとは休まないと、働き過ぎだよ」と声を掛けると「若いですから」と破顔一笑、開店一週間後の夕食の予約をして別れた。女性客にはちょっと不便な場所だが、必ず繁盛すると思う。何がどうしてというのは説明が難しいが、彼には何かがあるのだ。

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華の都パリの怖さ?

2019年03月13日 | 

   

 

 ブラタモリのパリ編後半を録画で見た。二千年の古都を大改造した知事が居たのを思い出させて貰った。とは言っても名前も忘れ下水道を整備した人物位にしか憶えて居らず、いやはやオスマンさんは凄い人、爪の垢が残っていないだろうか、あれば日本の知事さん達に飲んでいただきたい。糞尿で汚れた古都パリが如何にして華の都になったか、タモリ林田と一緒に合点した。

 その花の都パリの魅力は実は恐ろしい。幸い私は一寸引きつけられるだけなのだが、魔力に魅せられ日本に帰らず住み着いてしまった人は多い。多くは女性で、私が二人ばかり知っているくらいだから、全国では相当な数になるだろう。一人は患者さんのお嬢さんで、もう呆れたのを通り越し諦めました(これは母の視点)と、もう二十年になるので話題にも上がらなくなった。

 今回タモリを案内した女性もパリの魔力に引きつけられた人と見受けた。なぜ女性が多いかは多分言葉が達者になる確率が男性よりも高いからだろうと思う。林田さんも目を丸くして驚いたり喜んだりしていたが、パリの魔力に気付いただろうか。

 魅力と魔力は紙一重。

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謎の都、大阪

2019年03月11日 | 

    

 

 首都と言えば東京、杜の都は仙台 単に都と言えば京都なのだが、私に謎の都なのが大阪だ。どのくらいの人が私と同じような感想を持たれているか分からないが、食道楽はなるほどと思ってももう一つその笑いには馴染みにくい。えげつないと言うと言い過ぎかもしれないが、もう一つしっくりとこない感じがしている。それが京都神戸となるとまあ理解できる感じがして腑に落ちるから、私の感覚がずれているのかもしれない。

 この馴染まない感じは維新の会に端的に現れている。不思議な辞職をして知事市長入れ替え立候補のダブルクロス選挙はどうもえげつない感じがしてしまう。勿論、二重行政の不合理は問題だが、なぜ今辞職する形でと思ってしまう。自民党が担ごうとした辰巳琢朗さん、この人には大阪の人の感じが薄い。出れば勝てたと思うのだが断られた。大坂愛は人後に落ちなくても、もう一つ大阪人ではなかったのだろうか。

 大阪と聞いて各分野に思い浮かぶ才能あふれる人は枚挙に暇がない。全てを束ねて謎などと言うこと自体が、無茶で行き過ぎたことなのだが、辞職してダブルクロスで選挙をやらかすのをちょっと大阪的と感じて謎などと書いてしまった。

 歴史的に見れば大阪のずれ、意識されない屈折?は大阪の陣辺りから来ているのかもしれない。

 大阪の人はこれを読んで気を悪くされたかもしれない、小野十三郎や開高健のファンですと申し訳をしておこう。

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変わる繁華街事情

2018年12月10日 | 

  

 

 もう師走も十日になるが、今朝は風がなかったせいか予報に反しさほど寒くなかった。夜は冷え込み、街中はイルミネーションが輝き、賑わって師走の雰囲気が出ているようだ。

 街も生きており、少しずつ繁華街の勢力図が変わってきている。三十年前の所謂繁華街がちょっと寂れ、純粋にアルコールや食事を楽しもうという店は五十メートルばかり周辺に移動し、中に何だか怪しげな店が残った。まあ、全体としては夜半の人出は減って芋を洗うような混雑はなくなってきている。

 店の種類も変わり、市内で河豚を食べさせる店は一軒だけになり、其れも規模を縮小している。正式のすき焼きを食べさせてくれる料亭も老舗が一軒残っているだけだ。接待がなくなったからですよというのが、同年代の医者仲間の診断だ。確かに十年くらい前までの医療界には濃厚な接待習慣が残っていた。おそらく他の業界でも接待は減っているのだろう。あまり接待とは関係ないと思うがフレンチも激減しイタリアンが増えた。これはお値段の関係だろうと思う。いくらディナーといっても一人一万円近い料金を自腹で払う人は少ない。

 それでも堅実というか適当な飲食店は結構繁盛しており、ふりに入っては満員です、予約が入ってますと断られることが多い。勿論、競争の激しい業界だから長く繁盛するには、裏で凄い努力と工夫があると見ている。飲んで食べればすぐわかってしまうから、難しいはずだ。我が業界でも皮膚科は素人でもすぐ結果が分かるから、その点が難しいと言われている。

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山形便りを戴く

2018年02月10日 | 

  

 今日は薄紙一枚暖かい。北国の雪も収まってきたようだ。雪のある暮らしを経験したことはないから、話に聞くだけだが、雪国生まれの人にも雪は鬱陶しいものらしい。中にはマジそれが嫌で引っ越す人も居られるようだ。

 こんなことを書くと南洋の人に怒られそうだが、科学技術は熱帯や亜熱帯では生まれず、ほとんどが亜寒帯の国から生まれている。脳は熱しやすくどうもちょいと寒い所の方がよく働くらしい。雪国は脳がよく働くせいか味わい深いものを生み出す。

 当院にも東北から移って来られた患者さんが何名か居られる。言葉に興味があって、患者さんの出身地をそれとなくお聞きするのを趣味としているので、定期的に通われる患者さんの出身地は九割方把握している。佐賀県の方がいないくらいで、全国からの患者さんが揃っている。山形出身の患者さんが三人居られる。四人だったのだが一昨年鶴岡出身の人が亡くなったので三人に減った。高々四人で山形がどうこうというのは言い過ぎかもしれないが、田舎から送ってきたと色々なものをお裾分けしてくださる。どうも山形の人は情に厚いと言うか、故郷との交流が切れないようで、だだちゃ煎餅をよくいただく、なんだか病みつきになってしまった。

 そう言えば椎名さんも山形が好きだったと記憶する。盛岡が気に入ったらしい(確かに良い所)川本さんにも山形に出向いていただきローカルな街歩きの報告が聞きたい。椎名さんも川本さんも少し年を取られたか?、書く物がちょっと重くなっている。今一度、寝しなに読める軽いものを所望する。

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