姥捨て山など遠い昔の話と思って居られる方も多いだろう。ところが平成にも似たような事象は多い。むしろ増えていると思う。時々、息子さんが家を出られ、一人暮らしが困難になったので貴院近傍の**という施設に入所されます。つきましては引き続き診療をお願いしますという紹介状が舞い込む。生活保護になっていることが多く、連れてくるのは施設の人だ。何かやむを得ない事情や辛い別れがあったとすれば捨てられたと言うのは申し訳ない表現だが、家族の気配が全く感じられず、捨てられたと感じることもある。
捨てるわけではないが、病院から家庭へと押し出された要介護の配偶者を施設へ送る例は多い。半年ほど家で介護したあと、とても体力が続かない、あるいは自分の生活がめちゃくちゃになるからといった理由からが多いようだ。そうした症例で、奥さんは引き続き当院へ高血圧などで通われている場合がある。奥さんになかなかご主人はどうされていますかと聞けないものだ。向こうからご主人は元気ですと言って戴けるとほっとする。こうした場合は、自分の生活を犠牲にして五年十年と家で面倒を見るというのは大変な負担なので、事情は理解でき非難することではないかもしれない。
たくさんこうした症例を見ていると、結局個別の問題で、その人やその家族の人生が反映していると言わざるをえない。唯、社会のあり方や経済的な側面は大きく、政治的な問題でもあるだろう。