駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

払うもの、受け取るもの

2008年02月28日 | 医療
 医療費の設定には患者も医者も国も神経質になる。懐に直接響くことには、皆柳眉が逆立ってしまい、なかなか将来を見通した妥当な判断ができない。押しくらまんじゅうのせめぎ合いの結果、再診料は譲って、管理料で取り返すような、差し引きゼロに近い、見かけの問題解決で手を打つことになる。それが政治というものかもしれないが、それでは近い将来の医療劣化を食い止めることはできない。
 官と民が切磋琢磨しながら連携して、今の無責任体制対無限責任追求の構図を打破しなければ、明るい明日は来ない。もっとも、こうした問題は指摘するよりも、いかにして解決するかを考える方が何十倍も難しいわけだが。
 前置きにしては大上段に振りかぶり過ぎた。駅前の診察室では、できるだけ効率の良い診療を心がけ、医療費が妥当な範囲に収まるように努めているが、有り難く頂くお支払いの他にも払われているのを感ずるものがある。それは信頼と敬意だ。血圧や糖尿病は他院に掛かり、風邪の時だけいらっしゃる患者さんや知らないうちに総合病院の専門医を受診される患者さんには、どうしてもあまり信頼されていないのだと感じてしまう。余計なことをしてお互い気まずい思いはしたくないので、そういう患者さんには主訴だけに対応することになってしまう。
 内科系の町医者には専門性がないように思っておられる方も多いようだが、幅広く長く診るが我々の専門性で、浅くてもほぼ全科にわたる知識と経験を持っている。それを生かし引き出すように利用して頂けると嬉しい。どの仕事でも、信頼し認められれば自然それに応えようとするだろう。信頼や敬意が払われるのを求めているわけではないが、それを感ずれば自分の技術と経験を最大限に使い、元気で長生きして頂きたいと思うものだ。
 医療はコンビニで求められるものではない。医師とは相性もある。掛かり付け医を生かすのは患者さん。
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あなたは印象派?

2008年02月26日 | 診療
 落語の枕だったか、歯医者さんが通りで患者さんに挨拶され誰だか分からず、「どなたでしたっけ、ちょいと失礼」と口の中を見せてもらって、「ああ小沢さんですか、お変わりありませんか」とゆうのがあった。確かに病気や病態が思い浮かぶのだが名前が出てこないことはよくある(よくあるようになった)。患者さんの方は二、三年に一度、風邪や腹痛で受診する程度でも、医者のことは印象に残るようで、デパ地下などで会釈されたりする。こちらの方は、なんとなく患者さんなんだろうなと、よくわかりもせず中途半端な会釈を返すことはよくある。そんな時もだぶん、診察室の椅子に腰掛けてもらえば思い出せると思う。
 そうはいっても不思議なことだが、明らかに印象には濃淡がある。たった一回受診されただけでも、数年後に再受診された時、ああこの患者さんねと鮮明に憶えている人と、カルテを見てももうひとつピント来ない人とがいる。不勉強で記憶の大脳生理の新知見には不案内だが、この想起には何か感情が絡んでいるのは間違いないと思う。診療とは直接関係なく、感じが良く楽しい思いをした、高飛車で嫌な思いをした、というようなことがあるとどうも良く憶えているようだ。そこまではっきりしなくても、ちょっとした仕草や表情の特徴に心が動く(あの人に似ている、眠そうに見えるなど)とそれが印象に残って、思い出すきっかけになるらしい。そして多少は差があっても、大抵はスタッフも同じような印象度を持つようだ。総じて印象に残る人はいわゆる派手な人個性的な人が多く、大人しい控えめな人は印象が薄い。
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日韓戦を見た

2008年02月24日 | スポーツ
 土曜日は「不明熱の現況」の講演会のあと、いつも出席する食事付きの情報交換会には出ず、そそくさと帰宅した。見逃せない日韓戦がある。
 引き分けに終わった。非常に残念、何とも歯切れが悪い。まあ実力が拮抗していたと認めよう。フィジカルと敵愾心は韓国に劣っていた。敵愾心などというものが、必要なものかどうかはよくわからないが、それに対抗するものは必要。中沢が居なければ負けていた。サイドバックに人材が居れば勝てた。鈴木のできが悪かった。ということは素人の私にもわかった。別にサッカーに限らないが、走り出すと止まって体制を立て直すことの出来ないゲームは立ち上がり15分くらい(布石や駒組みに近い意味あい)が非常に大切なのだが、どうも腰が据わっていなかった。
 出だしが悪い場合、走りながら修正していかなければならない。どうもまずいなとまでは分かっていたようだが、どうすればとまではいかなかったようだ。まだそこまでチームとして成熟していない、リーダーが育っていないのだろうと思う。
 あながち的はずれではないと思うのだが、課外授業として柔道や柔道を少しやってはどうか、朝青龍や山下あたりに2,3回教えてもらうだけで少しは違いがでるのでは。
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サッカー観戦

2008年02月23日 | スポーツ
 いつ頃からか見るスポーツの種類が変わった。20年くらい前までは結構野球を見ていたのだが、このごろは野球をほとんど見なくなった。知らない選手が増えたことと動きが少なく退屈だ感じるようになったせいだ。場外戦略で読売のやることにも嫌気がさした。変わりにサッカーのAマッチをよく見るようになった。アメリカからヨーロッパに興味が移った時期と重なるような気もする。サッカーは得点が少ないので面白くないという人が居るが、それはサッカーを知らない人の見解で、逆に0対0でも面白いゲームがあることの方を凄いと思う。
 年を取ってせっかちになったのか、間断の無い流れと状況判断の妙を面白いと思うようになった。不思議なことだが、実力に差があってもいつも強い方が有利というわけでなく、たかだか10%くらいでも弱い方に流れが行くことがあって、唯一のチャンスが得点に繋がったりするので手に汗を握る。サッカーのルールはオフサイドがちょっとわかりにくいだけで、極めて単純明快だ。ルールは単純だが戦略と作戦はなかなか複雑で、日本代表の戦い方など口角泡を飛ばす議論になる。重厚映画評論家蓮見重彦先生まで登場する位だ。
 それに東アジア選手権を見ているとメタミドホスが思い浮かぶから、Aマッチ観戦は止められない。
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幻の味・・1

2008年02月19日 | 旨い物
 戦後は終わったと白書が宣言しても、どこかつましく薄暗さが残る昭和30年頃だったと思う。両親に映画に連れて行ってもらった帰り、「月見食堂」という洋食屋でオムライスを食べたのを鮮烈に憶えている。一個の卵をほぐし、薄くフライパンにのばすと手早くチキンライスを包みケチャップをかける。卵の内側は半熟でチキンライスに染み込み、外側はきちんと火が通っているが、薄いので米粒に沿って凹凸があり中が微かに透けて見える、絶妙の技だった。小学校3年くらいだった思うが、ケチャップをスプーンの裏で延ばして、ゆっくり全部平らげた。以後「月見食堂」へ行けばいつもオムライスを食べさせてもらった。それでも全部で5,6回だったと思う。
 残念なことだが、自前で外食をする資金が出来た頃には店もなくなり、オムライスも廃れてしまった。
 どういうわけか平成になって再びオムライスが復活してきたが、今度は卵を2個以上使う立派のものがほとんどで、一個の卵で上手に包み、しかも内側が半熟でチキンライスに染み込んでおり、単純なトマトケチャップがかけてある、あの「月見食堂」製に勝る物にはお目にかかれない。
 もっとも薄暗い電灯、無言で手早く調理する無骨なコック、そして何と言っても久しぶりのご馳走に目を輝かせ、カウウンターにちょこんと座った小学生の魂がなければ、もう味わうことはかなわないのかもしれない。
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