駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

繋ぐもの

2022年12月31日 | 人生

          

 

  去年今年 飛び付く鵺の ようなもの 

  去年今年 流れる灰汁の ようなもの

  去年今年 絡まるぬたの ようなもの

  去年今年 伝わる夢の  ようなもの

 時の流れに切れ目はなく、大晦日から元日にかけて特別な変化があるわけではないのに、人間は変化を感じてしまう。良いことの少なかった人は殊に良いことを期待したいだろうと思う。小学生のように溌剌とはゆかないが、後期高齢者の私も何か何処か新しい気持ちになるだろう。

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寒波連動?

2022年12月28日 | 小考

          

 

 この一週間ほど例年になく寒いと思っていたら、24日北米を厳しい寒波が襲い何十人という人が亡くなっていた。日本の寒気と関係があるかどうか分からないが、どこかで繋がっているようにも思われる。地球温暖化と言われているのになぜ大寒波という気もするが、地球規模の変動幅や局在は人間の感覚スケールを超えているので、大いに有り得ることだろう。

 今年は長引く新型コロナ、ウクライナ侵略戦争、物価高など問題の多い年だったと振り返るけれども、来年は良い年であって欲しいと強く願う。勿論、そう簡単には問屋はおろさないだろうが、希望がなくては足が前に出ない。何か良いことがあると思って年末年始は普段出来ないことをして過ごしたい。

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自分周辺心配症

2022年12月27日 | 世の中

             

 

 女性に多いのだが自分と自分周辺心配症と呼びたくなる患者さんがおられる。精神科の病名をすべて知っているわけではないがこういう病名はないようだ。病気とまではいかなくてもこうした病態はあると実感している。精神科的には軽度の神経症になるのかもしれない。昔は取りこし苦労とよく言った。

 この心配症によって過剰な医療費が費やされることがある。勿論、そのことによって早期発見や病気が未然に防げている場合もあるのですべてが過剰とは言わないが、貴重な公費が必ずしも適切に使われないことが出てくる。

 公的な資金使用には費用対効果の評価が必要なのだが、医療費の場合は全体的には賛成、自分と自分周辺には反対になりやすく線引きが難しい。心配なら人間ドックと言うのが筋かもしれないが、どういうわけか心配症の人はあまり利用されない。

 心配性は日本民族の一つの特徴で、それを塩梅し有用に活用出来ればいろいろな方面でもっと良い判断と費用対効果が生み出せると思うのだが、神経の太い悪賢い連中にに利用されているようにも観測している。

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勝てるわけがない

2022年12月26日 | 世界

           

 

 ユーチューブにアメリカ空軍士官学校の校長が伝言板に書かれた人種差別の侮蔑的な発言に対し教師学生全てを集め断固としてこうした発言を許さないと訓示している動画がアップされている。https://www.youtube.com/watch?v=XtyCvA8eN18&t=198s

 単に批判するにとどまらず、こうした侮蔑的な考えに抗するにはそれ以上の考えを示し行動することだと強く明快に説いている。こうした人物に率いられる組織に勝てるわけがないと感じた。

 粗野で単純無教養な人が結構多そうなアメリカが何とか強固な国であり続けられるのは、辛くも優れた人物が上官として認められ部下を育て率いているからだろう。

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年賀はがきを書きながら

2022年12月25日 | 小考

                

 

 今朝はせっせと年賀状の宛名書きをしている。昨年もうこれで年賀状はお終いにしますや喪中の連絡もあり、枚数は年々十パセントくらいずつ減っている。まあ年一枚の年賀はがきが生存証明の友人知人も居るので字が読み書きできるうちはたとえ二三十枚になっても続けていきたい。尤も三年先のことはともかく十年先のことは自分が生きているかも覚束なく年賀はがきも無くなっているかもしれない。

 人間はいつも今が曲がり角と言っている気がするが、技術革新とそれに追いつけない人間の落差をどう埋めてゆけばよいのか、私は一介の街中の臨床医に過ぎないが、診察室で自分の手に余る問題を時々考えている。サッカーの天才メッシも将棋の天才藤井聡太も万能の天才ではない。何も優れたところがないように見える人にも何某かの能力があるものだ。平凡かもしれないが、短絡せず広い視野を持って僅かでもよい方向を目指して生きていくよりない気がする。後期高齢者は誰もが生けるレジェンド、後世に何かを良いものを残したいと思う。

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