駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

貫く棒のようなものに

2017年12月31日 | 小考

      

 東京に来ている。何時の頃からか、年末の一、二日間を東京で過ごすようになった。数年前からだんだん高級ホテルに泊まるようになった。お金はあの世に持ってゆけないし、大した財はないが、美田は残さずという気もする。残させないという時代も来そうだ。

  高層階から皇居越しに見える東京、整然として美しい丸の内のビル街、華やかで賑やかな銀座、目も眩むほど様々な食品が並ぶデパ地下、なんとまあこの国、特に東京は豊かで恵まれていることかと驚いてしまう。

  高層ビルを縫って走る高速道路を支える柱を見上げながら、果たしてこの平和と繁栄を、どのような土台で支えているのだろうかと空恐ろしい気もした。敗戦後、黙々営々と先達が働き、残された美田を貪っているのかもしれない。土台のコンクリートに鉄筋だけでなく、謙虚で正直、信頼と信用、切磋琢磨しお互いを尊重して骨身を惜しまず・・・という精神が通っていないと平和と繁栄は支えきれないだろう。辛くも誤魔化し不正、不備が大事故の前に露見したが、まだまだ不十分だと思われる。凡夫の責務は本当に優れた公平無私の人物を見出し後押しすることと自覚する。

 果たして貫く棒のようなものに精神は編み込まれているだろうか?。

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普段出来ないことを

2017年12月29日 | 身辺記

 

 どうして色々なことを知りたい理解したいと思うのか分からないが,この年になってもそうした欲求が湧いてくる。内容は若い時よりも洗練されているのは確かで、それは若干の蓄積が出来、物を見る目が出来てきたことと、本能的な衝動が弱まったことに関係しているように想う。

 矩を越えずというのが、どういう境地かよく分からないが、衰えと洗練というか物を見る力のバランスのことを言っているのだろうか。自分は規範から遠く生きてきたし?、今と昔では老化の中身も違っているだろうから、あまり参考にならない気もする。

 好奇心の内容には遺伝的な影響がありそうだ、というのは旅行や旨い物が好きだった父と本の虫だった母親の好みを自分も持っているからだ。

 過ぎ来し方を振り返れば、出来ることは限られているとわかるが、思えば叶う側面があるのも事実と知っている。

  普段出来ないことを少し年末年始の休みにやってみたい。

  安くて旨い店が休みになってしまうのはとても残念。

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今日で今年の仕事はお仕舞い

2017年12月28日 | 人生

  

 今日で今年の診療はお終い。今までの経験からゆくと、最終日はさほど混まない。嫌も応もなく、自分も世の中も少しづつ変わってゆく。六十を過ぎた時は心に変化(視点)が起き、七十を過ぎると身体に変化(衰え)が起きた。還暦や古希という年回りのせいもあるだろうが、振り返るとそう感じられる。

 個人差は大きいが八十三、四までは、元気な人は殆ど六十代と変わらず活動できるようだ。さすがに九十ではお元気ではあっても、六十代と同じように動ける人は居られない。勿論、五十年前と同じような年の取り方をされる方も居られ、六十代後半からお爺さんお婆さんの感じになられる方も居られる。

 元気だから好奇心や活動性が保たれるのか、好奇心旺盛で活動的だから高齢者になっても元気なのか微妙だが、高齢者になっても六十代の能力を保てれば僥倖、運が良いことを祈りたい。七十を過ぎて将来計画などと言うと鬼が大笑いする、それにそれほどの将来があるわけでなし、毎日毎日を毎月毎月を大切にという平凡で現実的な年の終わりの反省と希望になる。

 高齢者になって思うことは、自分がそんなに年寄りとは思えないということだ。確かに体力の衰え記憶力の衰えはあるが、まだ世の中のことを世界のことをほんの僅かしか知らない経験していない。神様に、これでやがて卒業というのはおかしいと申し上げたい心境だ。好奇心だけは残っているようで、明日は本屋に行って本をしこたま買い込んでやろうと、とぼけたことを今朝は考えている。

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負債の返済が待っている

2017年12月27日 | 身辺記

         

 私は水で太るという患者さんと逆にたくさん食べているのに太れないという患者さんが居られる。確かに、太りやすい体質太りにくい体質があるようで、患者さんの嘆きも全く嘘というわけではないようだが、実際に食べている内容を精査すると、本人の感覚と実際量にはズレがあることが殆どだ。食べ過ぎると太り控えれば痩せるというのは、私自身体験して骨身に染みている事実だ。勿論、運動量も関係しているが食事内容が一番体重に直結している。

 十二月は太る月で今朝の測定で1.3kg増えていた。今夜は異業種の友人達との忘年会だ。今年最後の忘年会だが、あと一週間はご馳走が多く体重を減らそうとしても無理だ。体重負債を1.5kg以下に押さえないと、2月までにいつもの体重に戻すのが難しくなる。今年はちょっと自分に甘すぎたようで、口酸っぱく患者さんに体重を落とすように指導している身としては面目ない。

 宴会というのはダイエットの敵だ。勿論、食事の内容にもあるのだが、食べてしまう言い訳になるのがよくない。私は飲めないのでとアルコールを断るのは受け入れられるようになったが、私はダイエット中なので半量半額では難しいようだ。

 両親から受け継いだ太りやすい体質が恨めしいが、食べる楽しみは人一倍味わっているので由として、あと一週間したら少量を美味しく食べる食生活に戻したい。

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忘れられる少子高齢化対策

2017年12月26日 | 世の中

   

 人口構成がどうなってゆくかはもう何十年も前から分かっていたことで、そのマイナスの影響についても二十年くらい前から問題視されていたと記憶する。しかし、政府や政治家はその重大さ深刻さを十分には認識しておらず?、効果的な対策を取って来なかった。今年の出生数は100万人を切り戦後最低で小手先の対策では全く効果がないことが現れている。フランスでは出生率は上がり、中国では人口爆発が抑えられた。有効な対策がないわけではない証左だ。

 内閣はあたかもアベノミクスで失業率が下がっているようなことを喧伝していたが、どうかしているのではないか。働ける人口が減れば失業率が下がるのは、経済学のけも知らない医者でもわかる。当然3Kの職種は深刻な人手不足に陥り、勉学に来たはずの留学生を流用してその場しのぎをしているのが実態だ。

 二十年以上前から分かっていた若年人口減から起きてくる労働力不足、高齢者増からくる福祉負担増にまともな対策が立てられなかった。私は人間の病気を診るのが専門だが、これは日本病だと思う。

 問題や批判から目を逸らす戦術を繰り出し、抜本策を先送りにする内閣とそれに流されてしまう有権者の相乗効果で、病は重症になってきている。日馬富士が若手をぶん殴ったことが日本の一大事だろうか、あれこれ論評は面白いかもしれないが、マスコミを総動員して世論を席巻する問題とは思えない。

 面倒な問題から目を逸らし先送りにする体質によって折角のきめ細かく誠実な日本の良さが台無しになる危険が迫っているような気がするのは私の錯覚だろうか?。

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