駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

雨の大晦日

2023年12月31日 | 暴言
           

 雨のせいで朝七時でも暗い。雨の大晦日になった、以前にも雨の大晦日は経験しているはずだが、いつのことだったか思い出せない。思い出そうとすると半世紀以上昔のことばかり脳裏に浮かんでくる。
 生まれ育った所と違う土地に根を下ろして四十数年、人生で一番長い期間を過ごしているのに、いまだに年末年始は故郷の記憶が大きい。この世に生を受けて幼少年期を過ごした土地の記憶は特別のようだ。いつも初詣は夜が明けてから近くの天満宮に行っていたのだが、中学生になり真夜中一時間歩いて友達と伊奈波神社まで初詣に行ったことがあった。寒く森閑とした夜の街をうっすら覚えている。
 雨が上がってきた。元旦は晴れるようだ。少しづつ馴染んできた近くの神社に初詣に行くことになるだろう。
 いつも大晦日になると去年今年貫く棒の如きものという虚子の句を思い出して成程と思うのだが今年はちょっと違う感じがしている。多分それは繫がっては困るものが貫こうとしているからだろう。
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踵感覚、踵の思い

2023年12月30日 | 小考
         

 異例力づくの国の代執行を見ていると、辺野古が例えば山口県や千葉県にあったら国はどう判断行動しただろうと考えてしまう。爪先や踵は胸や首に比べれば冷遇されているようだが、それも生き延びるためにはやむを得ないと個体は判断するらしい。しかし、踵に入った菌が全身に回り致死的病態になることはしばしばある。ちょっと生々し過ぎるかもしれないが沖縄の日本感、本土の沖縄観を俎上に上げる必要がありそうだ。踵などとは失礼だと言われる人は国の代執行をどう見ておられるのだろう。踏み込んだ議論が避けられていると感じる。
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こぼすもあった

2023年12月29日 | 身辺記
           

 台所でコーヒーや紅茶を入れ書斎までコップを持って階段を昇降するのだが、気を付けていても十回に一回くらいこぼすようになった。
 物忘れが脳の老化で一番気になる兆候ではあるが、他にもいろいろある。物忘れの一つに固有名詞が出てこないのがあり、あれそれが増える。家内もあれが出てこないのだが何のことかはわかるので話が通じてしまう。
 数えればきりがなさそうだが躓く、転ぶ、震える、落とす、むせる、こぼす、漏らす、細かい字が読めない、活舌が悪くなり聞き返される、聞き取りが悪く聞き返す・・。
 よくそれで現役で働いているなあと言われそうだが、仕事は緊張しているせいか、五十年やってきたせいか、若いスタッフの助けもあってちゃんとできている。若いと感じるスタッフも実は四十代五十代で、眼鏡を外して細かい字を読んだりしている。
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スカートとオーバーコート

2023年12月28日 | 爺の呟き
              

 高々十五分ほどだが、電車に乗っていると妙なことが気になることがある。このところ寒いので女性もオーバーというかコートを着ている人が増えた。爺さん大きなお世話と言われそうだが、スカートが二十センチほどはみ出している人が居る。コートが短いのかスカートが長いのか、私の美的感覚からゆうと美しくないというか格好悪い。はみ出てもせいぜい数センチ、できればコートに覆われて見えない方がシルエットが綺麗だ。
 絵描きの端くれとして、見ず知らずの人の装いにも目が行く。
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シンギュラリティの陥穽

2023年12月27日 | 町医者診言
               

 シンギュラリティというのは人工頭脳が進化していつか人間の知性を越える時が来るという仮説のことで、それは2045年と言われていた。今ではその時期がもう少し早い否シンギュラリティには到達できないという学者評論家も出てきているようだが、そもそも日本と欧米ではシンギュラリティに対する考え方というか感覚が大分違う。シンギュラリティに対する恐れ方が違うのだ。日本の研究者や評論家はシンギュラリティをそれほど恐れていない様子だ。それは恐らく絶対の一神感覚と八百万の神感覚の違いから来ているのではないかと思う。
 AIの知性に支配される人間世界をどう考えるかどう感じるか想像も理解も難しいのだが、既にかなりAIに毒された世界に生きている気はしている。
 私が学者や評論家を差し置いて指摘しておきたいのは、AIがシンギュラリティに近づくと、AIがそう判断しているからとAIを錦の御旗に暴走を始める人物が出てくる危険があるということだ。馬鹿な大将敵より怖い。
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