処暑とは言っても日中の暑さは尋常ではない。尤もこれは年寄りの感覚で小学生には普通の夏ということになるのかもしれない。
一周遅れで短い夏休みの小旅行に行ってきた。円安のせいか不思議の国日本のせいか旅先でやたらと多くの外国人に出会う。まだまだ鑑別診断力が足りないのだが、どこか微かに日本人と違うなと思うと中国人ということが数多くあった。同じくらい日本人と思っていたら、話し出したら中国人ということもあった。顔はじろじろ見るわけにはいかないから一瞥するだけだが、それでも立ち居振る舞いからちょっと違うなと感じる。しかし、日本人ですと言われたらああそうでしたかと納得する程度の違いでもう少し経験を積まないと見た目での鑑別は難しい。おそらくホテルの受付や店員さんなどはすぐ見分けるだろうと思う。
まあ、例外はあると思うが東京圏の店の店員さんは丁寧で感じの良い人が多い気がした。値上がりで密かに恐縮して、余計丁寧になっているのかもしれない。
コロナの影響で暫く東京に遊びに行けなかった。一昨日、マチス展を見がてら東京駅周辺を散策した。上野の森の木々がこんもりと素晴らしい。神宮外苑の木を切ろうなんて、貧脳の発想だ。
半世紀前の昔だが十年住んだことのある東京、以降も毎年二三回は遊びに行っていた東京駅周辺が様変わり、三年でお上りさんになっていた。新型コロナが五類になるのを先取りしたか、人出はかなりのもので、昼ご飯を食べようとしても多くの店が満席だった。
折角なので丸善に寄ったのだが、溢れる本に圧倒された。本屋健在、これでなくちゃと思った。ネット情報は本に取って代わることはできないと確信しているが、高齢者の誤認だろうか。物事を二分で理解することはできない、浅い理解に留まりしばしば錯覚に陥る。勿論、すべての事柄に時間を掛けることはできないが、鍵となる物事は何時間も掛けて読み考えないときちんと理解できず自分のものにならない。
一泊何十万円のブルガリホテルを覗いてきた、一体誰が泊まるのだろう。世の中には濡れ手に粟の金持ちが結構居るらしい。
時々覗くブログで村上春樹の「ラオスに一体何があるんですか」を知り、早速購入して読んでいる。本当は一気に読めるのだが、子供が美味しいケーキを少しづつ食べるようにゆっくり読んでいる。村上春樹は読める作家で多分著書の十分の一くらいを読んでいる。
唯、最近の作品特に小説には食指が動かず読んでいない。小説よりも紀行文が好きで、雨天炎天などは何度も読んでいる。久しぶりに「ラオスに一体何があるんですか」を読んで懐かしい感じがした。懐かしさは昔読んだせいかほぼ同年代のせいか、たぶん文章の力だろうと思う。
村上春樹は広い世界を知っている。ギリシャ、イタリア、イギリスやアメリカには住んだこともある。はっきりした個性はあっても視野は広く、世界と人生を文章にする力を持っている。ハルキストなどというのは浅薄な括りに感じる。好きな人が数多く居るとどういうわけか貶す人が出てくる。
年明けに
年が明け2023年になった。時及行楽と母が教えてくれた。長い休みは取りにくいので年末年始の機会を取らえて三泊四日で遠出をした。この写真で何処かお分かりになる人は少ないと思う。
五十五年前同級生五人と九州を回った。既にTとHは亡くなり、昔話ができるSやOと会う機会も中々ない。懐かしの長崎の市電と坂道は健在だったが、あとは往事茫々飲み食いしたスナックの場所は皆目分からなかった。ただ異国情緒は今も残り、今回は出島を親しく見学することができた。二百六十年もの長い間、こんな狭い所にオランダ人を閉じ込めて僅かな交易を続けることができたのがとても不思議に感じられた。ジパングは謎の国、徳川時代とは何だったのだろうと改めて疑問が湧いてきた。
唯一の被爆国で不戦の憲法を持つ国、運が尽きた太平洋戦争後奇跡の復興を遂げながら二十一世紀にはふらつき始め、絶滅危惧国の恐れが出てきている。信長秀吉家康、殊に家康なら今の時代にどうするだろうと考えてみたくなる。