渦巻き

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岐阜城

2013-12-22 19:50:37 | 城 -東海
12月22日   晴れてきたか。

  でも寒いっす。


   金華山は市の中央に位置し、標高329m。かつては、稲葉山と呼ばれていました。
   山頂には岐阜城がそびえ、戦国時代には歴史の表舞台にたびたび登場しました




      岐阜のKさんが金華山は一日に2度登る人もいるんだよと言ってましたが。
        本当か?
      そんなに普通にハイキング的か、、、。行ってみたいと思ってから半年ほどたってしまった。


      今日、ようやく行くことにした。 
      最近まともに本を読んでいない。
      名古屋駅で 「住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち」を買った。
       JR大垣行きに乗る。

      岐阜駅。ツリーが飾ってあった。


      バスに乗って岐阜公園駅まで200円。


     
        七曲登山道。 おじさん連れ、単独おじさん、中高年ご夫婦~いろいろな方が登山口に。


  
 
     さあ、行くか。
          


    ずんずん歩いていくうちに暑くなってきてまずダウンを脱ぐ。

     汗かいてきた、マフラー、帽子、手袋も外す。


    11時半くらいから登り始めたけどこの時点で下山している方たちとすれ違う。

        


     犬の散歩をしている人も。

     さすが道幅がある歩きやすい登山道。



      と、そのうち霰が降ってきた!!! 寒いんだ。ガンガン歩いているから汗ばんできてるくらいなのに。



 岐阜城。

   金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により
   初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は
   難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした
   戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。
   その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。
   信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています



   1539年 道三は、稲葉山城を修築。
   山頂に天守閣・米蔵・武器蔵・貯水場などをつくり、山すそに家臣や奉公人などの
   建物を建て、二重の堀と石垣をめぐらした。

   岐阜城は1601年 壊され、以後廃城となった。   


    武将隊さん。
       一番前で見得を切っている男の子さんしっかりしているよ。
    

    
 天守から。

      お昼を食べてから資料館へ。休憩したら体が冷えてきた。

       

    帰りは めい想の小径ルートを行ってみることにした。   

      
いきなり「ええっ!」って感じの急で狭い道が、、、。  この道で めい想????ってくらいの
 急な道だ。ゆる~い坂道を想像していたので、、、。


 長良川が見える。
   

    

        めい想の小径って歩いていくうちに理由がわかった。

        この道は単独の男の人(若いのからお年を召したかたまで)が多かった。




      

        風が強く寒くなってきた。  バスでJR岐阜駅に。普通電車で名古屋まで帰る。

      

 
  ジュンク堂で本を見る。  それから「ノリタケの森」へ歩いていく。
  風が冷たくてとても寒い。

    
      クリスマスのイベントをやっていた。


   




今日は本当に寒い、、、。でもたくさんの人が来ている。





     
      

 
      名古屋駅周辺もライトアップ。
    
       





 ここからバスに乗って帰った。   
      バス待ち後ろにいた若い女の子二人出連れさんが「寒い、寒い、帽子がほしい」と言っていた。
      厚着をしなされや、特に首回り、足首も、、、心の中で言った。
    

    19500歩。歩いた。





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