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神社め~ぐ~り~

2013-08-20 14:37:17 | 寺社-三河
8月18日  猿投神社~足助神社~足助八幡宮~松平東照宮~高月院

  愛知県豊田市猿投町大城猿投神社 の標高は 約139.88m
  猿投神社
三河国の三宮のひとつに数えられています


主祭神は大碓命。古墳時代の皇子で、日本武尊という名で知られる小碓尊の双子の兄にあたります。
大碓命はそんな弟、小碓尊に殺害されたとも、父、景行天皇(けいこうてんのう)の命に背き、
逃亡したことで美濃国に封じられたなど、英雄的な扱いである弟とはまったく逆に出来の悪い兄として
知られています。が、他説やこの地によれば、大碓命はこの地の開拓に力を入れ、
最期には猿投山の山中で毒蛇に噛まれ亡くなられた、といわれているなど、
他に比べ、少しは救いがあるのが印象的。その後、大碓命は猿投山に葬られ、
この地に神として祀られました。墓は現在も西の宮に建てられています。

毎年10月には猿投まつりが開催され、日本武術の形をした踊りの伝統芸能
「棒の手」を披露、奉納することで、多くの観光客から注目されています。




  猿投山は日帰りトレッキングスポット
  標高は629メートル。


  



       御祭神が「大碓命(おおうすのみこと)」であることです。  
   大碓命は景行天皇の第一子ですが、日本武尊とは双子の関係にあり兄弟でした。
   景行天皇は日本武尊に西国の平定を命じ、尊は無事平定を成し遂げ大和に帰ったのですが、
   次に東国を平定しようとした際に「今度は兄の大碓命が行くべきだ」と主張したそうです。
   ところが大碓命が拒んだので、やむなく日本武尊が東征に赴くことになったのでした
 

  
   
   日本武尊に双子の兄がいたなんて知らなかった。


                 


               
                足助神社

                  鎌倉時代末期に、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の旗をあげ、
笠置山に立て籠ったときの
                  篭城軍総大将となった武将 足助次郎重範を祀る。この時の戦は、
                  歴史上「元弘の変(1331年)」と呼ばれている。
                     足助次郎重範は弓の名手であった。
   
               
                


            足助八幡宮
 
           本殿は、国の重要文化財。1466年に再建されたもので、室町時代の特色が遺されている。   

              境内には、わらじの像が置かれている。
その昔、「足を助ける神」として信仰されていた。




         
                         龍とカエルの手水舎




    松平東照宮は、徳川家康と、松平氏の始祖松平親氏をまつる神社。
   松平親氏がこの地に居を構え、氏神として若宮八幡を勧請したのが
はじまりであると伝えられている。
                      



          手水舎                      



             ここに落ちたら怪我するよ。                           
                       

                              
                  産湯の井戸
           現在あるものは、
          7つあった井戸のなかでもっとも古い井戸と言われている。
          松平家では代々、この井戸の水を産湯に使っていて、
          徳川家康も産湯として用いたと言われている。 
 
                             ハチがブンブン飛んでいて、
日傘をブンブン振り回しながら参拝。
                       


          

            松平郷園地内の天下池、ハス(蓮:ハス科の多年生水生植物)の花。   
      
               


                  月院は、松平氏の菩提寺。元々は「寂静寺」といい、
          在原信重(親氏の妻の父親)が建立したと言われている。
          親氏が1367年に本尊阿弥陀仏をはじめとした堂・塔のすべてを寄進してから「高月院」と改め、
          松平氏の菩提寺になったと伝えられている。
       家康は寺領百石を寄進し、以来、松平家・徳川家ゆかりの寺として、
        明治維新まで時の将軍によって手厚い保護を受けてきた。現在の山門や本堂は、
      1641年に徳川家光によって建立されたもの。松平氏の歴史に深く触れられる。
                
              


                  お釈迦様の足跡。仏足石は、インドにおいてお釈迦様の代理を意味し、
           そこで説法されたことを示す。足裏には、
千輻輪相(せんぷりんそう)という図が描かれている。
           
           



徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏




                  
              
                                         
                      
                      松平郷 松平城址

                       松平氏・徳川氏の始祖とされる松平親氏(まつだいら ちかうじ)が、
                  松平館の詰めの城として築城したと言われている。


松平親氏-泰親(やすちか)-信光--親忠(ちかただ)--長忠(ながただ)--信忠(のぶただ)--清康--広忠--家康
           家康は松平九代目として誕生。二十四歳の時徳川姓に変えた。


                                     
                       松平館からほど近い、標高298mの山頂に築かれた山城。
                
   

 
                        駆け上ってまいりました。






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