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御器所西城址~沓掛城址~桶狭間古戦場跡

2014-01-11 17:45:40 | 城 -東海
11月9日   

    南山大学の講座終了後、放送大学のある中京大学へ。

    お昼は中京大学学食で、ごくごくふつう味カレーを。

    
    


    御器所西城址     名古屋市昭和区御器所


     
      御器所西城  1440年頃、佐久間家勝によって築かれたといわれる。

      佐久間氏は名古屋台地の南東部に勢力を持つ小豪族で、この城のほかにも
      御器所南城・川名城などを築いていた。


     

      御三家筆頭である尾張徳川家初代の義直は、関ヶ原合戦のあった慶長5年(1600)家康の第九子として
      側室お亀の方との間に生まれました。慶長12年には8歳にして尾張国主に封じられ、ここに尾張藩は始まりました。
      

      
        御器所の名は、このあたりが熱田神宮の領地であって、その祭りに使う土器をつくっていたことから
        起こったのだろうと言われています。村雲学区辺りには、多くの寺や神社あります。
        これらは武士が栄えた時代に建てられたものばかりで、住宅地となった今日までの時の変遷を感じさせます。
     


        十四代慶勝(1824~83)は、藩内闘争の末に実現した分家出身の藩主で、
        その期待に応えた政治を行いますが、井伊直弼と対立して失脚します。
        弟の茂徳(1831~84)が十五代となるものの、卓越した政治力を買われて慶勝は復権し、
        茂徳が退いた後、実子の十六代義宜(1858~75)を後見して、激動の幕末、明治維新を乗り切ります。


           


         




            沓掛城址~    愛知県豊明市沓掛町          
          
          今川義元は、約2万5000人の軍勢を率いて永禄3年(1560年)5月12日に駿府(静岡)を出発
           した。17日に岡崎へ、18日には沓掛城に入り、尾張大攻撃の準備をした。
     


     鎌倉街道が二村山を越える丘陵の端に築城されたもの

     
         小学生の男子数人が走り回るでもなくゲームをしていた。


           



         
        1560年5月19日 織田信長、尾張桶狭間で今川義元を討つ。

        1567年      信長、稲葉山城に攻め破り稲葉山城へ入る。

        1570年      姉川の戦い。織田・徳川-浅井・朝倉。

        1573年      武田信玄死去。

              信長、越前一乗谷城に朝倉義景を攻め、義景は越前大野賢松寺で自刃。
              8日後、小谷城、浅井長政を攻め、長政自刃。

        1578年      上杉謙信死去。

        1582年      本能寺の変。
        
        1583年      賤ヶ岳の戦い。秀吉は柴田勝家を破る。

        1590年      秀吉、小田原城を攻め、北条氏滅亡。

        1598年      秀吉、死去。

        1600年9月15日 徳川家康、関が原の戦いで石田三成を破る。

      

             堀跡~
                  
       

          本丸~


          
           


     
   
   同じ豊明市にある桶狭間古戦場跡            11月30日

     1560年(永禄3年)、約2万5千人と圧倒的な大軍を引き連れた駿河・遠江(静岡)を中心として
     巨大な勢力を誇っていた今川義元に対し、その約10分の1程ともいわれる寡兵(かへい)で立ち向かった
     尾張を統一したばかりの小大名織田信長が、今川義元を討ち取り見ごと勝利した。
      
        小さな公園になっている。


      
 
      デジカメを持ったお兄さん方が訪れている。

     
 
                 


   高徳院の開基は智泉大徳(弘法大師の高弟)です。弘仁元年(810年)開創以来高野山上にあり、
   明治27年(1884年)桶狭間古戦場に移転しました。
                  
       

          桶狭間の戦いの時、今川義元は42歳であった。
           海道一の弓の名手ともいわれた。

         
         


       
        

          鷺之森碑(新栄町六丁目220 はざま公園内)
          
           子どもたちの遊び場。

          

           信長が桶狭間に進軍途中、熱田神宮で戦勝祈願をしたところ、
           白鷺二羽が社殿より飛び立ち、信長軍の進路を導き、石塚の森の大木で羽を休めた。
           明治9年、山口正義がこの伝承に基づき記念碑を建立した。
            


          公園内のどこのあるのかわからないくらい、、、でした。        
       



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