英語で短歌

2022年05月10日 21時52分22秒 | 英語

 今日も朝夕曇っていて寒かったですが、明日からは更に寒くなるそうです。

今日は日中は晴れていましたが、明日からは雨の日が多くなります。

 昨日、ママ友にもらった小判草。

 

今朝は我が家のお花から。

「ドフトゴールド」

 

真っ白い「新雪」が今は一番よく咲いています。

  

 

 

陽の光がないと芍薬も蕾のまま。

 

 

 

 

お庭のお花ウォッチング後、お散歩へ。

今朝の空はこんな感じ

教会のお花

 

見れば見るほど珍しい色。

 

 

 

もう紫陽花の季節到来なのですねぇ。。。

 

 

 

 

ママ友ガーデンに陽が射して綺麗

 

 

 

 

 

 

ご近所の紫陽花

昨日買ったカサブランカ

芳香を放っています。

 

「ダームエディスヘレン」

捨てるに忍びなくて飾っています。

昨昼、ママ友にもらったピンク色のバラ

 

今日は又おじやに戻しました。

朝は胃に存在感(違和感)と鈍痛を感じます。

食べるとしばらく痛みますが、お薬が効いて1時間後位には何とか大丈夫になります。

今日はその後はずっと大丈夫でした。

 

 今日はバラ十字会のレポートに仕上げ。

午後、BSで1時から「武器よ、さらば」を観ました。

それから、又、レポート。

英語のレッスン後はウォーキングに行きました。

今は、朝夕、ウォーキングをしています。

 

 

 

 今日も教会が開いているかと思いましたが、今日は閉まっていました。

でも、夕方はベトナム人の神父様が住まれる為の作業を数人でされていました。

 

ママ友ガーデン前を通って別ルートで家に帰りました。

ランプが灯ると幻想的でこれも又素敵です

 

 

南天の生命力は強いです。

切っても切っても伸びてきます。

もっとも、お正月にはその葉と実が重宝します。

 

 

 

 

 

 昨日、アマゾンから届いた「平穏死」。

先に届いた「看取りの医者」を読んでいますので、その後読みます。

まずはレポートを終わらせるのが最優先事項です。

 

 

 

 今日のテーマは「英語で短歌」。

お散歩をしながら短歌を作る時、忘れるのでLINE英語通訳のところに以前から残してきました。

英語ではどう訳されるのだろうと言う興味もあって。

最近、魔女姉さまより、GoogleよりDeeplが良いと聞いて、何かとDeepl、重宝していました。

Googleも随分と良くなってきましたが。

そのことを昨日のブログで書いたところ、リコさんがそのことについてコメントを下さり、早速、英語で短歌を翻訳なさいました。

将来的には英語と日本語でブログを書きたいと思ってはいました。

(Facebookは写真の毎週も少なく、文章も短くていいので、何かがあった時には英語と日本語でアップしていますが、ブログは長いので今のところまだ無理です。)

短歌もありですね。

Facebookで日本通のアメリカの知人が英語で俳句をよくアップしています。

それは私が今日、初めて正式な場で翻訳したような長い説明的なものではなく、非常に非常にシンプルなものです。

本当に日本語の俳句のようにシンプルです。

いきなりそこまではいけませんので、お気に入りの短歌(まだこの歌は進化の途中ですが)をリコさんのようにアップしてみます。

元の短歌は、

「知らずしてはいりし道はあこがれし高みへさそう小径と知りて」

これをそのまま英語にしたらおかしいなことになると思い、書き替えました。

「知らないで入った道はずっと憧れてきたより高い場所へと私を導く小径と知りました」

Deepl:The road I entered unknowingly turned out to be a path that led me to a higher place I had always longed for.

Deeple訳:知らず知らずのうちに入った道が、憧れの高みへと導く道であることがわかったのです。

Google訳:知らず知らずのうちに入った道は、ずっと憧れていたより高い場所へと続く道でした。

 

Google:I knew that the road I entered without knowing was a small path that would lead me to a higher place that I had always admired.

Deepl訳:知らずに入った道が、ずっと憧れていたより高いところへ導いてくれる小径であることがわかった。

Google訳:知らず知らずのうちに入った道は、いつも憧れていた高台へと続く小さな道だと思いました。

 

 

そう言えば、宮中歌会始の皇族の方々のお歌も英訳されていることをその時教えて頂きましたっけ。

 

 

 

 今日も母から電話がありませんでした。

最近、調子が悪いのかあまり電話をしてきません。

あの真夜中の2時以降からのような。。。

気のせい

昨日はTVを観ていて気が付いたら8時を過ぎていたというようなことを言っていましたが、何だか最近元気がありません。

 

 

 

 

 

このシスター鈴木にはお会いしたことがあります。

娘に「将来の夢は」と聞かれ、

娘が「医者です」と答えると

「なぜ

娘は「母が病気だから治したい」と答えました。

するとシスターは

「お母さんは元気になるから大丈夫。お母さんの為ではなく自分の為に生きなさい」と確か言われたと思います。

でも、結局、娘は5歳からの夢を実現させました。

ですが、もう私の為ではありません。

医者になることが彼女の夢だったからです。

 

 

 

 

 

昨年の今日の記事

今日は大洗濯、大掃除、大片付けをがんばりました !(^^)!&Il Divo - Mama

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

50万人の悩みに向き合ってきたシスターの言葉

 

すべてを必然だと肯定していくことで、
人生に迷いがなくなり揺るぎない
中心軸が自分の中に育まれるんです

━━━━━━━━━━
鈴木秀子
(文学博士/50万人の悩みに向き合ってきたシスター)
━━━━━━━━━━

 

 

 


★致知出版社の「ご縁メール」


≪現代の名僧が語る「いのちの授業」≫

最新号では、比叡山で最も過酷とされる行を
戦後6人目に満行された宮本祖豊師に
ご登場いただいています。

実は祖豊師はいまから2年前にがんを患われ、
昨年にはステージⅣの宣告を受けたと
お話ししてくださいました。

若い頃から、志を高く持たれ、
修行に打ち込まれてきた祖豊師。

限りある命をどう生きるか。
本誌では「いのち」についても
思いを込めて語られています。

本日は、そんな祖豊師の
若い頃のエピソードをご紹介します。


───────────────────
★インタビューの様子はこちらから


故郷の北海道室蘭市で、
宗教とは縁遠い家に生まれ育った私が、
仏門を叩く一大決心をしたのは22歳の時でした。

高校まで順調に進学してきたものの大学受験で躓き、
浪人生活を余儀なくされました。

浪人になると時間が有り余ります。


勉強していく上でも自分の欠点を知らなければいけないと考え、
その時間を使って自分自身を振り返ることにしました。

東大に入れるほどの賢さはなく、
家も中流階級の少し下といった感じです。

昭和50年代当時は高度経済成長の真っ只中、
どこかの大学に普通に進学すれば、
就職に困ることはない時代でした。

果たしてこの安定した時代に、
何となくサラリーマンになってしまってよいのか。

自分の内なる能力、社会の情勢を見つめて感じたのは、
私には非常に「徳」が少ないという事実でした。

頭の良し悪しや家の貧富は
ある意味で徳がもたらすものではないか、
自分はそれが少ないと直感したのです。

ならばこの徳を積むことに自分の時間、
人生を使いたい――そんな思いが沸々と心に湧き起こり、
強い衝動となってきました。


【中略】


家を出て2年、24歳になっていた私は、
1分1秒でも早く十二年籠山行に入り、
精神レベルを高めたいとの思いでした。


しかし12年の山籠りは大変な難行であり、
生きて帰れるか分かりません。

過去の歴史の中で2~3割の方が、
病気その他の理由で満行できずに亡くなっていました。

戦後初めての満行者である師のすすめもあり、
両親に許可を得ることとなりました。

説得できないまま家を出たので困りましたが、
故郷に帰って両親に話をすると、意外にも
「おまえがそれほどなりたいというのなら」
と認めていただけ、
今生の別れを告げて帰山しました。


こうして昭和59年、得度受戒の儀式を行い、
晴れて正式なお坊さんとなったのです。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする