母の居ない97歳のお誕生日。
朝から雨予報のはずが、朝は陽が射して青空も見られました。
ラッキーなことに今朝も教会の門が開け放たれていて、玄関も扉は閉まっていましたが、カギは開いていましたので、中に入って祈ることが出来ました。
公園の緑の小径
光が射すと椿の葉っぱがキラキラと光ってとても綺麗なのですが、なかなか写真には写りません
今日はとても忙しい日でしたが、充実していました。
お散歩から帰ってからは母のお洗濯物2回分を干して、まずはクリームチーズケーキ作りから。
途中で、なんと生クリームを買い忘れていたのに気が付き、急いでスーパーへ。
365日24時間営業なので助かります🤭
そして、9時半からご飯を炊き始め、ばら寿司を作りました。
我が家の山椒、とってもいい香りがしました。
これは母用に小さく具材をカットしました。
クリームチーズケーキ
2個分作ったらレモン汁がレモン1個では足りなくて、小夏を使いましたが、小夏は甘いので今日のケーキの出来ばえはちょっと酸味が足りませんでした。
母も後から「今日のチーズケーキは甘過ぎた」と言っていました。
これは私用のミニサイズです。
ミントを飾るのをすっかり忘れていました。
11時半に母から電話がかかってきました。
久し振りの電話ですし、最初なかなか声が聞こえてこないので寝込んでいるのではないかと心配しましたら、いきなり「まだ」。
一瞬、何事が起ったのか、何のことかわかりませんでした。
後で、スタッフの方が私がお寿司やケーキを持って行くことを話されたのだとわかりました。
(朝、訪問看護ステーションにお話しし、行く前にソーシャルワーカーさんに電話をすること、ケーキは皆さんで召し上がって下さいと電話を入れておきました)
ですから、母は待っていたようです。
この時点ですでにお寿司は出来上がっていましたが、チーズケーキのデコレーションがまだでしたので、「ちょっと待って。大急ぎで持って行くから」と言いました。
そして、12時、Yさんに電話をし家を出ました。
Yさんは待っていて下さいました。
大きなケーキを見られて「すごい」
帰る途中で、庭のバラや柏葉紫陽花、その他をアレンジしたブーケを持って行くのを忘れたことに気が付きました。
それに母の4月分の入院費も用意していたのに昨日お金を持って行くのを忘れていましたので、それもあって、再び病院へ。
慌てていましたのでお花の写真を撮るのを忘れました💦
そして、「やれやれ」と私もご飯を食べ始めたのは1時。
BSで懐かしい「小さな恋のメロディー」をしていました。
このTVを付けたまま、時々観ながら食後から3時まで片付けをしました。
かなりすっきりし、満足
そして、やっとゆっくり3時にソファに座ってお茶を飲みました。
この1年(と言うかここ数年、もっとですね)、今年は桜を見ることができるだろうか、お誕生日を祝うことが出来るだろうかと耐えず思ってきました。
ですから、安堵ししみじみ「良かった」と思いました。
2時過ぎ頃母から電話がありました。
母はお寿司を(も)皆さんに差し上げるのかと思っていたようです。
もちろん沢山作りましたのでそれでも良かったのですが・・・。
お祝いに母に関わって下さっている方が皆さん来て下さったようです。
以前我が家に来て下さっていたリハの主任さんがたくさん写真を撮って下さったそうです。
そして、昨年に続いて、訪問看護ステーションが中心になって色紙に寄せ書きを書いて下さっているようです。
病院は嫌でしょうが、私と2人よりも多くの人にお祝いしてもらって良かったなぁ~と思いました。
退院はソーシャルワーカーのYさんのお話ですと、ケアマネさんと今日お話をなさったそうで、ヘルパーさんやショートとの兼ね合いもあるので、それに合わせる形になるようです。
それまでは歩く練習とか、今はポータブルも使えないようですので、その練習とか(母曰く、「帰りたいけど腰が持ち上がらない」そうです)するようです。
母に夕方又ゆっくり話をしようと言っていましたが掛かってこないので掛けるとうとうとしていたようです。
今日は久し振りにいつもより元気な母でしたので、安心しました。
「待っているから、しっかり歩く練習をして、早く帰って来てね」と言いました。
あ、そうそう。
病院へ向かう時、少々お疲れモードでしたが、ふと見ると前の車のナンバーが22-22でした。
12時22分に時計を見たり。
22は私のラッキーナンバーにいつしかなっていましたが、時折、嫌なことも起こるようになって構えるようになっていました。
大難が小難に、小難が無難になったに違いないとは思うのですが。。。
でも、今日はとってもいい日でした
今日の果物
バナナと🍓いちごです。
Today was my mother's 97th birthday. But now she is in the hospital because of aspiration pneumonia. So, after consulting with her doctor, I made and brought to the hospital her favorite foods, "Bara Sushi", cream cheese cake and also a bouquet. The staff congratulated her, that's what my mother told me. My mother seemed to think I could join her in the lounge and she was waiting for me since 11:00. She seemed to have forgotten that I was not allowed in the ward because of the corona. Then at 11:30, she called and asked me" Are you still at home? ". I had already made the sushi but had not decorated the cheese cake yet, so I hurriedly decorated the cake and took them to the hospital. I made a whole cake for the rest of the staff who always take care of my mother. My mother said she could only blow out one candle.
(She was too weak to blow two candles.) She was admitted to the hospital by ambulance on April 22, but probably within another week she will be able to leave. Thank God! I am also grateful to everybody who prayed for her during her sickness.
I changed the hanging scroll. This is the hanging scroll of "Kaguya Hime" that my mother drew and made.
今日は掛け軸も変えました。
この「かぐや姫」は母が友禅で描いて、自分で表装したものです。
竹は今に季節にぴったりですね。
Tracy Hyde - MELODY / 小さな恋のメロディ 1971
1971年のイギリス映画だったのですね。
昨年の今日の記事
昨年の明日、5月13日の記事
母のお誕生日会&The Rose - Bette Midler
★致知一日一言【今日の言葉】
1分で学べる人間学 ~もし両足を切断されたら、あなたならどうしますか?~
「足無し禅師」と呼ばれた
小澤道雄氏の4つの信条
1 微笑みを絶やさない
2 人の話を素直に聞こう
3 親切にしよう
4 絶対、怒らない
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小澤道雄
(シベリア抑留で両足を切断し、
義足で托鉢を始めた禅僧)
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大東亜戦争に従軍、終戦後のシベリアで
重度の凍傷にかかり、麻酔もないまま、
メスとノコギリで両足を切断――。
崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国し、
義足で托鉢行脚をはじめた禅僧がいます。
「足無し禅師」と呼ばれた、
小沢道雄氏です。
「比べるから苦しむのだ。
比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止めて、
今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で今日生まれたのだ。
そうだ、本日たったいま誕生したのだ。
足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、
痛いまんま、足がないまんま、
動けないまんま、生まれてきたのだから、
何も言うことなし。
本日ただいま誕生!」
その深い深い覚悟をもってして、
小沢氏は四つの信条を掲げました。
それが本日紹介した言葉です。
命を燃やして生きた師の言葉を
深く噛みしめ、
私たちも日々真剣に生きたいものです。