再び、入院

2022年05月23日 23時58分00秒 | 医療、病気

  今朝、母は又、入院しました。

折角帰ることが出来、この2日間は調子もよく以前のように戻りつつあった矢先でした。

私は私で午後から、胃(多分、胃ではなく胆嚢)が痛くて、お薬をあれこれ飲んでいますが、収まりませんので、夜間の救急に行こうかと迷っています。

 昨日の母の転倒後、0時半過ぎまで私は様子をみていたのですが、母も目をぱちくり。

その後、母はぐっすりと寝て、4時半過ぎの時点でもよく眠っていましたのでちょっとお散歩に出て、帰ってから瞑想をしました。

 

5時半に教会に着いた時にはすでに二人のベトナムの男の子がいて、ちょうどそこへシスターが車で来られました。
そして今日は大阪に行くのだということで神父様と四人で出かけられました。
シスターは多分私よりもご高齢だと思いますけれど、随分とお元気でとても毎日お忙しくなさっているようです。
 
 

歩いている時、6時頃訪問看護ステーションから電話がありました。
状況を説明したところ母の主治医のドクターと相談しまた電話を下さるとのことでした。
 
ママ友ガーデン

 
 
 
バラのとってもいい香りがします。
 
 
 
 
 
 
我が家のバラ
 
 

 
 昨日母は寝たのが遅かったので起こさないでいました。
そして、7時にヘルパーさんが来て下さいました。
血圧は良かったのですが、お熱が37.7°cもありました。
しばらくして測り直しても37.6。
私が昨日骨折した後に測った時は35.6°cでした。
今朝のヘルパーさんは土曜日の男性のヘルパーさんと同じなのですが、本当に心配して下さって8時過ぎまで(多分、次に行かれるのが遅れたのではないかと思いますが)お世話をして下さいました。
骨折による発熱なのかあるいは誤嚥性肺炎なのか、あるいはコロナか。
この三つを疑いました。
昨夜9時から11時まで母はゆっくり食事をしました。
姿勢があまり良くありませんでした。
直しても直しても斜めってしまいます
 看護師さんからお電話があり、「とりあえず検査をしましょう」ということでした。
「もちろん骨折していてももう年齢が年齢ですから手術のリスクを考えるとそれは出来ないけれども検査はした方ががいい」ということで連れて行くのにケアマネさんと相談するようにと言われて、ケアマネさんに相談しましたが介護タクシーは契約をしていないし、とにかくストレッチャーのある車が少なく先生が言われた10時半に行くことが出来ない状況でした。
そこで訪問看護ステーションに相談したところまた色々と相談して下さって「もういっそ緊急性はないけれども救急車にお願いしたらどうだろうか」ということになり救急車に最終的にはお願いしました。
お電話した時に「緊急性はないので申し訳ないのですが」とお話ししたら「いやいや、もちろん行かせてもらいますよ。そういう時は救急車です」と快く引き受けて下さいました。 
ありがたい😭
そして来て頂いて本当に良かったと思ったのは3人の方が母を動かしてストレッチャーに乗せて救急車の中に運んで下さったわけですが、もし介護タクシーなら運転者さんと私ではとてもじゃないですけど母を持ち上げることは難しかったと思います。
母は静かに眠っていましたが動かすと痛いようでした。
10時半に間に合うように救急車を呼んだのですが救急車が来て、それから行き先は決まっていますが、病院到着までには30分はかかるのでもう少し早く呼べばよかったかなと反省したところです。
救急車に乗って時間を見ると10時48分でした。
早速、酸素酸素吸入が始まりました。
病院に着いてからはお熱がありましたので PCR 検査がありました。
(その後私が測った時には36°c台でしたが救急車の中で計るとやはり37°c以上ありました)
その後 CT を撮り病棟へ上がりました。
救急車を呼ぶまで時間が十分ありましたから入院の準備も全て出来上がっていましたので、それを持って救急車に乗ったので準備万端。
帰りは久しぶりにKちゃが来てくれてちょうどランチの時間でしたのでパスタを食べて帰りました。
するとやはり朝からちょっと胃が痛かったのですが、益々痛くなって頓服を飲みました。
病院で院長に廊下でばったり出会った時、調子はどうかと聞いて下さったので「カロナールはあまり効かなかったような気がしますが油もの控えるとかなり痛みが減った気がします」とお話しますと「やっぱりね。詳しく検査しようね」と言われました。
やはり胆嚢かも⁉️
母は意識はあり、呼びかけには答えますが眠たいのかしんどいのかお熱があるからしんどいのか目をつぶって寝たような状態でした。
その顔を見てると少々心配でしたけれども、研修医のドクターは前も母の入院の時にいて下さったそうですが、前とあまり様子が急変した様子もないしコロナでもないだろうし、 CT の画像もまだはっきりと出てないけれども恐らくそれほどひどい骨折もしてなさそうだし誤嚥性肺炎の疑いもあまりなさそうなので、また主治医と相談して血液検査が出次第、明日正式に治療方針を決めてからお話をさせてもらいますということでした。
明日はいずれにしても5時に病院に行かないといけないのでその時にゆっくりとお話を伺って帰ろうかと思っています、
折角帰ってきて二日間は眠り姫、あとの二日間は元気になって色々なものを食べ始めることが出来てきた矢先にまたこんなことになって、私がもう少し気をつけていれば良かったのかも、とまた思いましたが病院に着いたらいつも往診に来てくださる看護師さんが「本当によくやってるよ。こんな状態はいつでも起こり得るから。本当によくやってる」と言って下さっていつものことながらここへ来るとホッとして涙がじわと出ます。
病棟
 
  
 
お部屋の前にお花が飾ってあります。
 
 
 
ラウンジ
 
 
 
面談室
 
 
 
 
 
 
 
Kちゃんと行ったカフェ
 
 
私はレモンとたらこのパスタ。
Kちゃんはキーマカレーを食べました。
 
 
 
家に帰ってからは母のシーツとかおねしょシートとかシューズまでまた洗い始めて2回ほど洗濯をしました。
 胃が痛いので頓服を飲んでいますがイマイチ。
パスタでも胃(多分、胆嚢)が痛くなるなんて、食べるのが怖くなります。
もう一度カロナールを試しに飲んでみました。
空腹でも痛くなりますが食べるとやはり痛いです。
食べる楽しみがなくなると人生つまらないですね。

★致知出版社の「ご縁メール」

≪幸福のかたちを『孝経』に学ぶ≫

最新号では、古典の名著『孝経』を
取り上げています。

長きにわたってご自身の
拠りどころとしてきた『孝経』について、
思いを込めて語られているのが、
中国思想史家の竹内弘行さんです。

家族の大切さを強く加味してこられた
竹内さんならではの、
心に深く染み入る『孝経』講座。

本日はその一部をご紹介します。


───────────────────
★取材のダイジェストはこちら


かくいう私は、親孝行をしたくてもできない
生い立ちを背負って生きてきました。

私が生まれたのは昭和19年の3月ですが、
その僅わずか2か月後に父が出征し、
そのまま帰らぬ人となったのです。

幸い、母と再婚した新しい父親から
とても大切に育てられ、30歳まで
学問をさせてもらったおかげで今日があります。


こうした経緯もあって、私は家庭に対して
人一倍強い思いを抱いてきました。

ありがたいことに、大学院在学中に
妻と結ばれて3人の子宝に恵まれました。

いまは8人の孫から慕われて、
家族の素晴らしさ、ありがたさを
心底実感して心穏やかな毎日を過ごしています。


国家という言葉は、国が家の集まりによって
成り立っていることを示しています。

一人ひとりが孝の精神を大切にすることによって、
家庭に幸福がもたらされ、
それが国の安寧にも繋つながるのです。


自分さえよければという独りよがりな
考え方から離れて、日本という国家、先祖や
両親あっての自分という原点に立ち返ること。

そのためにも、一人でも多くの人が『孝経』を繙き、
家族を大切にする文化が後世へとしっかりと伝承され、
日本が心豊かな国であり続けることを、
私は願ってやみません。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする