母の容態(入院27日目)&友人のイタリア旅行&ケアマネさんとの顔合わせ&牛窓へ

2024年09月06日 22時06分00秒 | 医療、病気

 今日も暑かった(34.8℃)ですが、もう夏もエンディングに向かっていると思うと気分的に違います。

母の面会や用事でどうしても外出しないといけないからでもありますが、「籠る」ことがなくなってきました。

 

 朝のお散歩より

 

何となく秋の雲

 

今日は4周歩きました。

 

薬品がかかって椿が枯れています。

工事はまだ10月末までかかるようで、そばに立っているポプラちゃんが気になります。

 

今日は西側と南側と、大きな朝顔が1輪ずつ咲きました。

 

 

毎日暑いので、朝は蕾のバラも昼には咲いて、一日で終わりです。

 

 

 

今日の果物

 

 

 

 朝5時、友人から写真が届きました。

無事にローマのホテルに着き、これからシャワーをして寝ると言っていました。

フライト時間は14時間。

「疲れた~」

私、機内食、大好き

 

🍙おにぎりが冷え冷えで硬かったようです。

どのあたりかな

私がヨーロッパに行った時はまだアラスカ経由でした。

伊丹から羽田までエールフランス。

ブリティッシュエアウェイズがなぜか飛ばなかった為です。

それから羽田からアラスカまでが8時間、アラスカで2時間の給油があり、それからロンドンのヒースロー空港まで更に8時間だったように思います。

マッキンレーが美しかった

アラスカには大きな白熊のはく製が置いてありました。

まだあるかな

テルミニ駅の近くのホテルのようです。

印象を聞いたら

「教会かな。立派な建物が見えたよ」

シスターが1人飛行機に乗られていたそうで、ローマ空港にお迎えのシスターが来られていたと言っていました。

 

何だかローマらしいホテル

 

私が泊ったのはサンラザール駅の近くで、目の前の教会の中に普通にミケランジェロの「モーゼ像」がありびっくりしました

今日は一日、ローマ観光のはず。

日本との時差は7時間です。

 

 

 

 私の方はZoomでカウンセリングのお勉強をし、3時半過ぎに病院に行きました。

母は昨日師長さんから言われていた通り、お部屋移動していました。

何でも朝方、おしゃべりをするらしく。。。

今回のお隣の方はお耳が遠いそうで

 

母は今日も良い表情でした。

3時まで実習生さんとおしゃべりをしていたそうです。

お食事もまずまず食べたようで、今日はとても活発で、ベッドから落ちるのではないかと思えました

 しばらくすると、MSWさんに連れられておふたりのケアマネさんがご挨拶に見えました。

その後、4人で今後のことについて打ち合わせをしました。

一番びっくりしたのがMSWさんが「看護師さんは日に何回まで来ることが可能ですか」と聞かれると何と3回だそうです

でも、緊急時の為に1回は取って置きましょうということで、日に2回、午前と午後に来て下さることになりました。

それ以外をヘルパーさんに来て頂くわけですが、これも驚いたことがあります。

今までのヘルパーさんではなく「定期巡回」というのがあり、何度でもヘルパーさんが来て下さるそうです。

この方がまるめで安いと言われました。

私さえ良ければ介護でも看護でもどちらを使っても23時とかでも訪問OKとか

夜勤の看護師さんも待機しておられ、文字通り24時間365日のサポートです。

又、嬉しく思ったのが訪問診療のドクターの方で、訪問言語聴覚士さん、訪問管理栄養士さん、訪問リハを派遣して下さるとのこと。

情報共有のネットワークも積極的に使っていらっしゃるとお聞きして、嬉しく思いました。

それから退院までに、もう1回病院の言語聴覚士さん、それに管理栄養士さんに会わせて頂くことにしました。

「ムース食を自宅で作ってもいまいち上手く出来ない」と言いますと「そんなことする人はまずいないから、泣いて喜ぶわ」

私も一応管理栄養士なので~~~

同じ24時間365日でも随分と差があります

これがクリニックを持たない訪問診療です。

母は難病指定のパーキンソン病なので医療費の上限が決まっています。

ですから「可能な限り医療を使いましょう」と言われました。

又、昨日の障害者用の介護サービスはやはり使えるそうです。

昨日は詳しく知っている職員がいなかったとか。

ですから、このサービスを使ってヘルパーさんに長く滞在してもらうことによって、母がショートに行けなくても「(私が)通院出来ますよ」と言われました。

ショート先からはまだお返事がないそうですが、何とも手厚い介護体制。

ずーっと母が家にいることで私が外出することが出来なくはなりますが、あんまり疲れた場合は母が1週間ほど入院ということも可能で、大きな病院は大抵この制度を持っているそうです。

ショートに行けない場合、お風呂も訪問入浴を週に2回入れて下さるようです。

人の出入りが今まで以上に多くなります。

 予定では来週の11日~13日の間に退院カンファレンス予定です。

(ケアプランが出来次第)

参加者はすごい人数になるので病院ですることになっています。

病院からはドクター、看護師さん、言語聴覚士さん、MSWさん、この4人は最低でもいつも参加されるそうです。

それにもしかしたら管理栄養士さん。

訪問診療の方からは、ドクター(理事長さん・・・牛窓繋がりの)、看護師さん、ソーシャルワーカーさんを始め、訪問言語聴覚士さん、訪問管理栄養士さん、訪問リハ。

訪問看護ステーションからは看護師さん(何名かは不明)

ケアマネさん(今日のおふたり

福祉用具の方

各ヘルパーステーション(今は2社)

ヘルパーさんは今まで通りにしてみて、限界を感じたら定期巡回に変えましょうと言われました。

(そうじゃないと義理が立たない~

今までと違って私は何もしなくていいそうです。

 退院は再来週の月曜日。

火曜日が大安でその日にされる方が多いそうですが。。。来週末でも退院出来ないことはないようですが、ちょっとバタバタになり連休にも入るのでそのように決まりました。

来週はまだ暑いのに忙しくなりそうです。

・・・ということで、病院からの帰りに買い物をして、牛窓に来ました。

やはり涼しいですし、虫の声がすご~~い。

 

 

 

 牛窓に来る途中で、前の訪看さんに電話をしました。

「私達がいつも十分なサポート出来なくてごめんなさいね」と言われましたが、やはり外来があると物理的に無理とよくわかりました。

ですから、それは仕方がないですし、私もご迷惑をおかけしなくて済みます。

看護師さんに今度のサポート体制をお話するとびっくり仰天されていました。

訪問診療ってそんなことが可能なのぉ~~~

「絶対、そっちの方が安心だしいいわ」と言われていましたが、とにかく、お礼に伺いたいので来週の火曜日以降で行くことにしました。

(この方が月、金はお休みなので)

 

 

 

 顔合わせの途中で、ヘルパーステーションから電話がありました。

ケアマネさんが何も言われないから直接かけていらしたようです。

「実はケアマネさんにはまだお話していないのですが、ケアマネさんも変わられるんですよ」とお話したらびっくり

MSWさんが、今日顔合わせが出来たので来週の月曜日にケアマネさんに言われるそうです。

その後、又、私もお詫びとお礼のお電話をします。

 

 

 

 

 

 牛窓に来るまでは準備もありますし、少々大変と思うのですが、来たらやっぱりここはいいわ~と思います。

暗いので街の灯りと小豆島の灯りがちらちらしか見えませんが、明日の朝は又、素晴らしい景色が見られるでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと248・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.6

 

一番より尊いビリ

 

一番はもちろん尊い。
しかし
一番よりも尊いビリだってある
━━━━━━━━━━━━━━
東井義雄(教育者)
○月刊『致知』1999年11月号
特集「本物は続く、続けると本物になる」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「いのちの教育の探求者」として
ペスタロッチー賞や教育功労賞を受賞した
東井義雄氏の言葉です。

東井氏は子供の頃からスポーツが苦手で、
師範学校時代はマラソン部に入ったものの、
いつもビリで恥ずかしい思いをしたといいます。
しかし、この時、ビリにはビリのよさがあると
目覚められました。

ビリの子の心がわかってやれる教員でありたい。
勉強の分からない子、跳び箱が跳べない子の
悲しみを分かってやれる教員であろうとされたことは
東井氏の教育者としての原点でした。

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月06日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

愛の、希望の、忍耐の、辛苦の、親切の、優しさの法則こそが成功をもたらし、然るべき季節にその実を結ぶ。

For it IS the law of love, of hope, of patience, of longsuffering, of kindness, of gentleness, that WILL succeed, that WILL bring its fruit in due season.
(1497-1)

 

 

 

 

 

 

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タゴールの詩「ひとりで進め」


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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


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文章を以下に転載していますが、ヒマラヤの山々とタゴールの写真、タゴールの歌のYouTubeリンクが掲載されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145883&c=3304&d=ed84

(詩人ラビンドラナート・タゴールについて|「ひとりで進め」などの有名な詩歌と名言を紹介)

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ここ数日、東京板橋では朝晩がやや過ごしやすく、いよいよ秋が来たかという感じです。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、タゴールを話題として取り上げたいと思います。



◆ ラビンドラナート・タゴールについて


ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)は、インドの西ベンガル州の州都コルカタ(旧名カルカッタ)に生まれた詩人、劇作家、哲学者、作曲家です。


詩集『ギーターンジャリ』でアジア人として最初のノーベル文学賞を1913年に受賞しています。



ラビンドラナートの父デベンドラナートは、インドの伝統的宗教であるヒンドゥー教の熱心な信者かつ研究家でした。


ラビンドラナートは彼の14番目の末子で、とても甘やかされて育てられたとのことです。



タゴール家はコルカタの大財閥であり、ラビンドラナートは英国に2回留学しています。


しかし、当時の英国の教育は彼の肌に合わなかったらしく、いずれのときも卒業できずに帰国しています。(*1)



ラビンドラナートは1901年に、息子などの教育のために青空学校を創設しましたが、ノーベル文学賞の賞金をこの学校に発展のためにすべて注ぎ込み、この学校は彼の死後の1951年に国立のビシバ・バーラティ大学(タゴール国際大学)になっています。



タゴールは特に詩人として有名ですが、音楽家として2000曲以上のベンガル語の歌を残しています(*2)。


インドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(人々の意志)はタゴールの作詞・作曲であり、バングラデシュの国歌「我が黄金のベンガルよ」はタゴールの作詞です。


(写真:タゴールとヒマラヤの夕焼け)


◆ ベンガル分割法とタゴールの詩「ひとりで進め」


1905年にインドを植民地統治していた英国は、ベンガルの人々の間に広まっていたインド独立運動の力を削ぐために、ベンガル州をヒンドゥー教徒の多住地域とイスラム教徒の多住地域に分ける法律を出します。



この法律には民族運動支持者の多くが猛反対し、かえってインド独立の機運が高まることになりました。

「ひとりで進め」は、この法律の施行と同じ年の1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌です。



この時期ラビンドラナートは政治運動に加わっていましたが、暴力や党派争いに幻滅し、1907年に故郷に戻り、瞑想と教育に専念する生活を始めます。(*1)



彼はこの時期に書いたベンガル語の詩集「ギーターンジャリ」を自身の手で英訳し、この英訳詩集が理由で1913年にノーベル文学賞を受賞します。



その後、人間性の重視と国際平和を主なテーマとして評論、詩作を行ったほか、世界中を講演して回りました。

そして、1941年に病気で亡くなっています。



1947年にインドが独立を果たすと、タゴールは、マハトマ・ガンジーと並ぶ、その功労者と見なされるようになります。


◆ 「ひとりで進め」について


「ひとりで進め」は、1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌であり、数多く人々、そしてマハトマ・ガンジーが愛した歌でした。



調べてみるとこの歌の詞にはいくつかのバージョンがあります。


それが、ベンガル語から日本語への翻訳の際に生じたのか、もともといくつかの種類があるのかは私には分かりません。


以下の歌詞はYouTubeチャンネル「Vリリカル」(VLyrical)にアップロードされている、インドの歌手シュレヤ・ゴシャル(Shreya Ghoshal)さんの歌の英訳の歌詞(*3)を筆者が日本語訳したものです。



・ 歌詞「ひとりで進め」(全文)


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



もし皆が口を閉ざすなら。おお、不運な我が友よ、もし皆が、あえて語らないなら

誰もが恐れで、見て見ぬふりをするなら

心を開き、できるだけ大きな声で、あなたの考えをそのままに、ひとりで語れ


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら



もし皆が離れていくなら、おお、不運な我が友よ、もし皆が逃げ出すなら

困難な道に沿って歩いているとき、誰もがあなたを見捨てるなら

道が茨に覆われていたとしても

それを踏みつけて、足を血で濡らしながら、ひとりで進め


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



もし誰も光を掲げないなら、おお不運な我が友よ、もし誰も光を示さないなら

もし雷雨の暗い夜に、皆があなたの前で扉を閉め切るなら

まさにその稲妻で胸に火を灯し、ひとりで道を照らせ



あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



タゴールの詩をもう一作紹介させていただきます。詩集「ギーターンジャリ」に収録されている作品です。(*1)

・ 『私はその日が来るのを知っている』


私はその日が来るのを知っている


――そのときはこの地上を見る私の視力は失われ、生命は無言で暇乞いをして、最後のカーテンを私の眼の上にひくだろう


それでも星たちは夜眺めているだろうし、朝は前と変らずに明けて、時間は海の波のようにもりあがって喜びと苦しみを投げつけるだろう



この最後の時を思うとき、時間の堤は破れて、私はあなたの世界とその投げやりにされた宝を、死の光の中に見る。


最低の席というものもなく、一番卑しい生命というものもない。


私が空しく求めてきたもの、私が手に入れたもの


――そういうものはどうでもいい。ただ私に本当に所有せしめよ、私がこれまでないがしろにし、見すごしてきたものを。

(出典*1)

以下に、バラ十字会の研究家が書いたタゴールについての記事を紹介します。


▽ ▽ ▽


記事:『タゴールのメッセージ』(Tagore’s Message)


インドの偉大な哲学者の詩と言葉は今も心を燃え立たせる


ヴィンセント・エドワーズ(by Vincent Edwards)


(写真:タゴールと雪に覆われたヒマラヤ)


インドの偉大な詩人で哲学者であるラビンドラナート・タゴール(1861-1941)がまだとても若かった頃、彼の父親はタゴールに、本を置いてヒマラヤの山々に登ることを強く勧めました。


細かい経緯は分かりませんが、ヒマラヤの雪に覆われた威厳ある山並みの光景から、この若者は新しい世界観を得ることになりました



この地で彼は、その後の人生でずっと忘れることなく大切にしたビジョン(vision:理想像)を手に入れました。

それは自由な世界というビジョンであり、この世界では愛と理解に、国境よりも深い意味があるとされます。

ここでは男も女も兄弟姉妹のように支え合って暮らし、科学者は人々の役に立つために研究を深めることができます。

この世界では人を疑う理由などありません。というのも、戦争は人々の友情と愛によって禁止されているからです。



おそらくラビンドラナート・タゴールほど平和を愛し、戦争を憎んだ人は、誰一人としていなかったことでしょう。

やがて彼の母国では、彼の名前を誰もが知るようになり、裕福な人々にも、とても貧しい人々にも、彼の詩が知られるようになりました。

彼の歌は、人々が集まる街角でも、そして国を遠く離れた隊商(caravan:キャラバン)の列でも歌われていました。

世界平和の夢を歌った彼の詩に、無数に多くの人々が心を揺り動かされました。


・ ノーベル文学賞

Nobel Prize in Literature


(写真:若い頃のタゴール)


1913年にタゴールにノーベル文学賞を受賞するという栄誉がもたらされました。

アジア出身の人がノーベル賞に選ばれたのはこれが初めてのことでした。

そしてインドの偉大な天才の受賞は、あらゆる方面からの称賛をもたらしました。



ラビンドラナートに惹きつけられた英語圏の読者の中に、インドの人々と同じくらい熱烈な一人の信奉者がいました。

それは、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツです

彼は、このインドの詩人の詩集のひとつに序文を贈っています。

その中でイェイツは、この著名なインド人の作品を見いだしたときの驚きがいかに大きなものであったかについて述べています。



しかし、イェイツがこのことをベンガル人の医師に語ったとき、医師は少しも驚いた様子を見せませんでした。

医師は言いました。「私は毎日ラビンドラナートを読んでいます。彼の詩の一行は、世界中のすべての厄介事を忘れさせてくれます。



1916年にタゴールは、アメリカへの旅をしました。

それは、多くの人の思い出に残る旅となりました。彼はどこに行っても多数の人々の注目を集めました。母国の盛装を身につけて歩く、穏やかな眼をした男性は、人々の記憶に長い間留まり続けました



彼は長い茶色のローブをまとい、長老のようなあご髭と、鉄灰色の髪が印象的な人物でした。

彼がほほ笑むと、顔全体が人間への深い愛に照らされているように見えました。



1916年の日本への訪問の際も、彼は同じように人々に深い印象を与えました。

あるときラビンドラナートは、若い人々のグループに講演をするために招待されました。

その少年少女たちは、心を動かされ、そして彼を敬慕するようになりました。

というのも彼らは、この礼儀正しい訪問者から、愛嬌(あいきょう)のある告白を聞いたからです。



「私のことを怖がったり、私が皆さんに長々と話をするつもりだとは思ったりしないでください。」

「私は、自分が灰色のあご髭と白い髪をしているために、そしてゆったりとした長いインド風のローブを着ているために、いくぶん恐ろしく見えることを存じています。」

「そして外見から私を知った人たちは、私が老人であるというばかげた誤解をして、私に上座を譲り、少し距離を置いて敬意を払ってくださることも存じています。」



「しかしもし私が皆さんに、自分の心をお見せしたら、実は未熟で若いことがお分かりになるでしょう。」

「おそらくは私の前に立っている皆さんのうちの何人かよりも私の方が若いかもしれません。」



「そして皆さんは、私がとても子供じみた人間であるのを知ることでしょう。」

「優れた知恵のある現代の大人が信じているとすれば、きっと恥ずかしいと思われるようなことを私が信じているからです。」

「というのも、私は理想的な人生があることを信じています。」

「また私は、小さな花の中に、その美しさに隠されてはいるけれども、強い命の力が存在していて、その力は、機関銃などよりも強いと信じています。」

「また、鳥のさえずりの中には〈自然〉が自体の力を表わしていて、その力は、激しく続く砲撃の、耳をつんざくような轟音(ごうおん)に現れている力よりも強いと、私は信じています」。



何と驚くべき、そして深く考えさせられる言葉でしょうか。


ラビンドラナート・タゴールが、実際にどのような思想家であり、詩人であったのかを、この言葉ほど明らかにしてくれるものはないでしょう。

さらに、すべての大国が強力な軍備を築きつつあった時代に、彼は恐れることなく、人間が友愛で結ばれている世界を夢見たのです。



それはひとりの詩人の愚かな夢に過ぎないのでしょうか。

おそらく、私たちにそのように信じさせようとする、地位の高い政治家もいることでしょう。

しかし、思慮深い人々はよく知っています。

もし、美と善が永遠の存在であるとすれば、この偉大なベンガル人の詩人の理想は、必ず実現します。

忍び寄ってくる不信感が国々の間に築いた壁は、必ず崩されることになるでしょう。



ラビンドラナートの死が発表されてから70年以上が過ぎました。

しかし、彼の声は今も私たちのもとに届いており、むしろ以前よりもはっきりと大きく聞こえます。

それはあたかも、国際的な緊張が新しい局面を迎えたこの時代に、彼が特別なメッセージを運んでいるかのようです。



彼の詩の多くで、彼は、世界中の「子供たち」と自分を重ね合わせています。

彼はいつも、自然や魂に関することを詩にしました。

花や山や雲が、そしてあらゆるものが〈創造主/神〉の存在をそれとなく示しています。



こんなにも分かりやすく〈創造主/神〉の愛について語った詩人が過去にいたでしょうか。

彼の思いを表す詩のいくつかを読んでみてください。

そして、あなた自身で判断してください。



◆ タゴールの名言(7選)


・ 私に考えさせてほしい。未知の暗黒を貫いて私の人生を導いてくれる〈一なるもの〉が、あの星々の中にあるかどうかを。


・ 悪は敗北を受け入れることができない、しかし正義にはそれができる。


・ 人が知恵とともに子供らしさを取り戻すことを、神は待ち望んでいる。


・ 瞬間の騒々しさは、永遠の音楽をあざ笑う。


・ ああ我が神よ、全てを手にしながら汝自身を失った人々が、汝自身以外には何も持たない人々をあざ笑うのです。


・ 裕福な人が、神からの恩恵だと財産を自慢するとき、神は恥じる。


・ 神は偉大な王国に退屈するようになるが、小さな花々には決して退屈しない。


△ △ △


下記は筆者の前回の記事です。


参考記事:『渦巻きのスピリチュアルな意味|古代人が生命の象徴とした螺旋の模様』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145884&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~



参考文献:
*1 タゴール/山室静訳「タゴール詩集」、2004年、グーテンベルグ21
*2 佐々木美佳著「タゴールソングス」、2022年、株式会社三輪舎
*3 https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145885&c=3304&d=ed84 、2024年9月6日閲覧



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■ 編集後記

クレロデンドルム(ブルーエルフィン)という花のようです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145886&c=3304&d=ed84

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コメント (2)
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