海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

教科書検定を問う

2008-03-13 07:53:13 | 教育
 昨年(二〇〇七年)三月末に教科書検定の結果が発表され、二〇〇八年から使われる高校の日本史教科書で、「集団自決」で日本軍の強制があったという記述が削除されたことが明らかになった。それから間もなくして琉球新報紙からインタビューを受けた。以下に二〇〇七年四月十八日付琉球新報朝刊に「教科書検定を問う」と題して掲載されたインタビューを載せたい。なお掲載紙には「右傾化に乗じ『修正』圧力」「政府 沖縄戦教訓 広がり恐れ」「戦争表現する想像力を追求」などの見出しがついている。また、〈 〉内は記者の質問である。

〈文部科学省は二〇〇八年度高校日本史教科書から「集団自決」強制を削除させた〉
目取真:文部科学省は報道機関に公表した沖縄戦関連の「著作物等一覧」で、「沖縄集団自決冤罪訴訟」という言葉を使った。そこに文部科学省の立場がはっきり表れている。「冤罪訴訟」というのは原告側の言い方で、文部科学省がそういう言葉を使うのは、教科書検定にあたって中立性を侵していることを自ら示している。「集団自決」をめぐる係争中の裁判を利用し、自由主義史観研究会など民間の動きと連動しながら、教科書の書き換えを進めている。官民一体となって沖縄戦の認識を「修正」しようとかさにかかってきている。
〈沖縄戦研究者の間で「集団自決」は軍の強制そのもので、これを覆す研究は皆無といわれている〉
目取真:この十年余の日本社会の変化が、このような動きの背景としてある。自由主義史観研究会は、従軍慰安婦の問題や南京大虐殺の問題など、日本軍の残虐性や非人道性を示す事例を教科書から削除させようと追求してきた。そこで従軍慰安婦の問題に関しては一定の成果を得たと考え、次は沖縄戦に焦点を当ててきている。
 研究で新事実が出なかったとしても、右傾化する社会の変化を見ながら「修正」への圧力をかけている。教科書を発行している中小出版社は、採用されなければ倒産する。研究成果と関係なく、官と民の両方から圧力を加えられると、それに屈してしまう。すでに従軍慰安婦の記述が教科書から消えたように、今後、沖縄戦の記述がさらに削られ、あるいは書き換えられようとしている。
〈国がこれまでの沖縄戦の歴史認識を修正する背景は〉
目取真:沖縄戦では、友軍と呼んで住民が信頼を置いた軍隊が、住民を守るどころか虐殺したり「集団自決」させたりした。日本軍による壕追い出しや食料強奪も相次いだ。そういう沖縄戦の歴史的事実は、現在の政治のあり方を考え、判断する根拠となる。
 「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓は、現在各自治体で計画が進められている国民保護法に根本的な問いを突きつける。沖縄戦の教訓が広く国民に広まってしまえば、国民保護法の議論なんて成り立たない。戦争が起ったときに自衛隊は本当に住民を守ってくれるのか。いざとなったら住民は、沖縄戦みたいに自国の軍隊の犠牲になるのではないか。政府・防衛省はそういう認識が広まるのを恐れている。
 憲法九条を変え、集団的自衛権を行使して、自衛隊を米軍と共同で海外で活動させる。そういう追求を進める政府・与党にとって、「軍隊は住民を守らない」という歴史的事例が教科書にのることは許せないのだろう。安倍内閣のもとで国民投票法案が強硬に進められていることと、今回の教科書検定は深くつながっている。
〈雑誌の対談などで沖縄戦をめぐる「記憶」の闘いがあると、指摘している〉
目取真:語弊があるかもしれないが、これは一種の情報戦の面もある。事実の見方は相対的なものであって、世論を形成していく社会の共通認識を変える追求を、自由主義史観研究会はこれまで戦略的にやってきた。
 彼らは本や雑誌などの活字メディアに加えて、インターネットを活用し、最近では自分達の主張を展開する「チャンネル桜」の番組をユーチューブなどの動画投稿サイトに積極的にのせている。「集団自決」の問題に関しても、インターネット空間には彼らの情報が溢れている。
 最近は、新聞も読まないし本も読まない、情報の主な入手手段はインターネットという若い人が増えている。インターネットで「集団自決」を検索し、軍の命令はなかった、という情報ばかりを読んで「ああ、そうか」と納得してしまう。そういう状況が生まれつつある。
 一方でこれまで沖縄で積み重ねられてきた、沖縄戦の証言の掘り起こしや事実の究明、研究などの成果は、沖縄県内はともかく全国にはうまく伝わっていない。教科書が書き換えられ、さらに情報量で圧倒されてしまえば、沖縄戦についての国民の認識も大きく変わっていく。
 戦後六十年余の時間が流れ、沖縄戦についても事実の究明と同時に「記憶の闘い」が重要になっている。それは否応なく迫られているせめぎ合いであり、今きちんと対応しきれないと、殉国美談の物語が幅を利かせるようになる。
 八〇年代の家永裁判の時とは、日本の政治状況は大きく変わっている。今回の教科書検定や大江健三郎氏と岩波書店が訴えられている「集団自決」裁判を、私たちは黙ってみていてはいけない。沖縄県民が全国に向けて声を上げなければ、援護金欲しさのために軍命をでっち上げた、という自由主義史観研究会の主張が定着してしまう。
〈「集団自決」という用語についても研究者の間で議論がある〉
目取真:現在「集団自決」や「強制された集団死」などの言葉が使われているが、当時住民が使っていた「玉砕」という言葉に立ち返って考えてみる必要があるのではないかと思う。
 アッツ島で守備隊が全滅したときに、当時の軍部は「玉砕」という言葉を使ってそれを美化した。「玉砕」とは、降伏せず、生き残ることもせず、最後まで戦って部隊全員死ぬということ。アジア・太平洋戦争末期になると「一億玉砕」という言葉を使い、軍隊だけでなく全国民が死ぬまで降伏せずに戦え、という軍部の方針をメディアは宣伝した。
 沖縄戦で渡嘉敷島、座間味島、慶留間島の住民に下されたのも「玉砕命令」であり、捕虜にならずに一人残らず死ねということだった。「自決」というのは軍人が自ら命を絶つことだが、渡嘉敷島や座間味島、慶留間島では軍人でもない住民が肉親同士で命を絶つことまで起こっていて、「自決」という言葉の枠には収まらない。軍隊の全滅を意味した「玉砕」が、軍民一体の総力戦のもと住民にも強制されることにより、共同体の全滅にまで意味が拡大した。それが住民が自らの命を絶つだけでなく、肉親の命をも絶つ事態にまでいたらしめたのだと思う。
 「玉砕」というのは、当時の大本営が使った特殊な用語であり、その発想も軍隊特有のもの。住民が自発的にいだく発想ではない。大本営の方針と現地軍の命令、指示、教育、宣伝などの相乗作用がなければ、あれほど大規模な住民の「集団自決」は起こりえない。日本軍から住民に手榴弾が渡されたことを含めて、軍による強制があったことは明らか。
 〈小説家として戦争にどう向き合うのか〉
目取真:戦後文学は戦争の大きな影響の中で生まれた。戦争を生きのびた書き手たちが、死者の声を思いながら、あの戦争とは何だったのかを追求し表現した。大岡昇平、野間宏、武田泰淳などの第一次戦後派や、五味川純平、松本清張、司馬遼太郎、古山高麗雄など戦争、軍隊を体験した書き手たちが、八〇年代までは活躍していた。彼らは、戦争がいかに理不尽なものであるかを身をもって知っていた。
 彼らが日本の言論空間をリードしていた時代は、戦争を許してはいけないという認識が社会に広くあった。軍隊や戦争は自由を完全に失わせるものであり、文学者がよってたつ自由な世界とは根本的に相容れない、という考えが当たり前のようにあった。
 しかし、今の文学空間の中では戦争とか軍隊の問題について積極的に発言する人はごく少数になった。戦争だけでなく個人情報保護法や住基ネットなど、個人の自由を浸食し、物書きが敏感に反応すべき事柄にも対応しようとしない。それらの問題に対して、自らの軍隊体験をもとに積極的に声を上げていた城山三郎氏も、先頃亡くなった。
 私は両親が沖縄戦を体験した世代であり、自分が生きていくうえで大切な問題として沖縄戦を考えてきた。戦争を体験していない自分が戦争を小説に書くというのはどういうことなのか、ということを考えながら。小説を書く上で必要な想像力が空想や妄想と違うのは、事実を踏まえた上で事実の奥にあることを具体的に追求していくことにある。戦争体験者を親に持つ自分たちの世代が、沖縄戦の体験をどう受け継いでいくかが、今強く問われていると思う。

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