こんばんは
hanayuです。
そういえば先日、母の命日でした。
絶縁につき、お線香ひとつあげられないのは
非常に残念ではあるが
心の中で、祈る。
ここ数年かしら
母を、一人の女性として考えるようになった。
今の自分の年齢の母はどんなんだったかなぁ、なんて。
46歳の母の記憶は、正直あまりない
私は黙って家を出て、男の家に転がり込み
そのまま一人暮らしを始めて
その後結婚して離婚して
実家に戻ったりまた出たり、という
なんとも落ち着きのない人生だったから。
46歳の母は、まだ病気になる前で
どこだったかパートに出てたような気がする。
子育てから開放され
父とふたり、どんな生活をしてたんだろう。
そんな頃の私は、その頃だけじゃなく今も変わらないけど、
今以上に自分の事だけで必死だったから
元気で変わりない、という以上は興味を持たなかったのは
ある意味自然かもしれない。
48歳くらいだったか
はじめて入院、ICUで生死をさまよい
一気に髪の毛が真っ白になったのは、よく覚えてる。
幼少期と病気になってからの記憶は割と鮮明で
ちょうど今の自分の頃を知らないできたから
考えたりするのかもしれん。
今の私は、猫と暮らす独り身で
母は3人の子を育てた『母親』なのだから
もちろん環境が違いすぎる。
比較するつもりもないけど
これまでは『母親』としての見方であり
『女性』として思った事がないからなぁ、って。
よくある例え方をするのであれば、
「同じクラスだったら友だちになるかどうか」
答えは、たぶんNOだな。
決して悪口ではないが
同じ『女性』目線で考えてみると
母はだらしのない、おしゃれのないヒトだったと思う。
掃除も好きじゃないし、
タバコや酒は共通としても
パチンコ好きだったところは、分かり合えない部分だ。
元気な頃は、しょっちゅうパチンコばっか行ってた覚えがある。
でも、料理がたいして得意じゃないところや
読書が好きだったところは、遺伝かもしれん。
TVでやってたから、と
おかしな料理を出して
それがちゃんとレシピをメモったりしないもんだから
「なんじゃこりゃ?!」みたいな代物で
私がバイト先で教えてもらったきんぴらごぼうを作ってみた時なんかは
勝手に横から酒をどばどばっと入れられ
呆れた記憶も。
とはいえ、まぁ
茶碗蒸しや混ぜご飯、切干大根たいたのだったり
いわゆる、おふくろの味はおいしかったけどね。
なぞの創作料理がねぇ、
私も似たようなとこあるからわかるけど
レシピ通りならおいしいんでしょう。
そうそう、めったに作ってもらわなかったお弁当も
ごはんをてんこ盛りにして蓋をするから
軟弱なお弁当用のプラスチックの箸が
押しつぶされたごはんに負けて、ぼきっと折れたこともあったわぃ。
あるときは、なんかこじゃれて(もないが…)
「今日はホットドックだよー」なんて意気揚々と
確かに嬉しかったんだけど、小さいホットドックパン3つ分の昼食は
ちっともおなかがふくれなくてね。
子ども心ながらにも、意気揚々とした母をガッカリさせたくなくて
「足りんかった」とは言えなかった。
こうして書いてると
つまらないエピソードが次々と思い出されるから
憎めないヒトであったのは間違いない。
みんなオトナになってからは
そんな母の昔話をして
おもしろがってからかって大笑いするのは楽しい時間だったなー。
「もう、言わんといてっ」って母もげらげら笑ってて
平和な思い出。
もう、二度とそんな平和な時間は
うちの家族に流れる事はないから
よけいに『良かったもの』として刻まれるのでしょう。
母は、子どもを産むのがえらい
シングルマザーでもいいから、
子育ては私がするから、とにかく子どもを産めとよく言ってた。
そして父も、亡くなる前に「もう一度結婚をしてほしい」と言ってたのを思うと
私は親不孝すぎて申し訳ない。
破天荒な父ではあったが、家族を大切にしていたし
母も3人の子どもを持ち
自分たちが感じた幸せだからこそ、私にもそうして欲しいと願ったんだろうね。
そう思えば、あの人たち
幸せだったんだよね。
良かった良かった。
さて、
今日からまたまんぼー
日々過去更新の感染者数を出してて
毎日毎日コロナコロナと、
いったいいつまで続くのかしら。
来週末はちと街に出るのに、なんだかなぁですよ。
先週ポチっとしたブーティが品切れなりましたって今日メールきてて
なんやねん!とそちらもなんだかなぁ。
なんだかなぁ、と思う事あれども
私は私なりに幸せだったりするから
親不孝かもしれんが
許してちょーよ。
って事で、ぼちぼちネトフリタイムしよ。