I Will Survive 〜クローン病の息子と共に〜

10年かけモラ夫から脱出、離婚して再婚、
新しい夫と義理の息子との新生活。2025年息子がクローン病に。

生きていくには、お金はかかります。

2012年02月15日 | インポート

昨夜モラ夫に、

「来月は忙しいから日祝日も出勤しようかと思っている」 と言うと、

「そんなに稼ぐなら自分の携帯代くらい払え」 ときました。またお金ですか・・・。

私がほぼ保持しているだけで、メールも通話もほとんどしない携帯?

毎月残業が出来る仕事ではありませんから、コンスタントに収入が増える訳でもないです。

それに私だって貴重な休日まで仕事をしたくはありません。既に週5日フルで働いてるし。

でも、生活にはお金がかかります。

モラ夫は生活費を月9万減らすことに決定したそうです。

それって光熱費、食費など最低限の生活ギリギリな額なので、娘の新しい服だとか

買おうにも買えません。昨日もベルメゾンのカタログを見ながら、

あーこのワンピース可愛いな(通販だし2500円くらいですが)とか思って付箋をつけて

眺めていましたが、どーせこんなの買えないし、といつも古着かフリマで調達。

これが年収8ケタの家庭の一人娘だよ???

娘も常に私が節約を呼びかけているので、あまり物を欲しがりませんが

学校に着ていく服もいつも同じじゃつまらんよね~~~。今朝もぼやいてたわ。

なんか買ってやりたいなあ、とか思いますよ。

ところで先日、門灯のスイッチがバカになって壊れました。電球ではなく。

仕方なくガレージを点灯してしのいでいますが、これも電気工事店に頼まないとだから

きっといくばくかかかりますよ。

娘だって大きくなるのでそろそろ自分の部屋が要りますよ。

プラスチックの引き出しじゃないタンスと、勉強机だとかスタンドくらいは徐々に

揃えたいし(リサイクルショップでもいいけど)

そういうのをなんとか家計から捻出したら、やっぱ娘の服だとか買えないんす。

私の追加収入は自分で使ってるだけではなく、娘のものを買ったりしてるんす。

なぜならモラ夫がドケチだから。

生きていくには、お金がかかるんです。

コメント (2)
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きづなリゾート

2012年02月14日 | インポート

今日も仕事中にユラユラ地震があった。

東日本大震災からもうすぐ1年、私も何か支援をできないものかなあ、と考え。

スパリゾートハワイアンズに日帰りで行く予定を立てた。

募金をしてもすぐに使われる訳でも無いだろうし、観光に来て欲しい場所に行き、

少額でもいいからお金を落とし、こちらも楽しむ方がいいのではないかな?と考え。

被災地の人が作った商品を買う、とか賛同するテーマに少額寄付とかも考えたが

ちょっとしっくりこなくて。

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参加することに意義がある

2012年02月14日 | インポート

バレンタインは参加することに意義があるのです。

おやつとしてチームの男子ズにマフィンを強制的に配布しました。

こういう時に肩書き上、人妻というのは「深い意味はないです」という効力が

多少あるのかもしれません。しかし形式上結婚しているのは、いいなあと思う子に

声もかけられなくってたいそうつまらないものです。

私の脳内に 「もしもモラ夫がポックリ死んだら」というシナリオが何通りもあるんですけど。

「もしもモラ夫が離婚に応じてくれたら」は絶対無さそうなのでありません。

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暴挙。

2012年02月13日 | インポート

今日、隣の席の若い女子とバレンタインの話をしていたら、

ああ~バレチョコ作りてえ~、渡してえ~、と思い帰りに買い物。

今、チョコマフィンを焼いています。

しかもある男子に渡したいがために、チームの男子全員分作るというカモフラぶり。

まあ、皆さんお世話になっていますし、たぶん来年こそ今の職場にはいないはずなので

(ってずっといたらどうしよう・・・)いいじゃんいいじゃん。

もうすぐ焼けます、いい匂いしてきた~。

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歌姫

2012年02月12日 | インポート

ホイットニー・ヒューストンが亡くなったという。48歳。

なんと私と同じ40代だったとは・・・。

「そよかぜの贈り物」を中2の時にタワレコで買い(彼女はそのとき22歳?)

大して音も良くないCDラジカセでヘビロテで聴いていました。

翌年、武道館の初来日コンサートも行きました。

近くに和田アキコさんがいらして、なぜか公演パンフに和田さんのサインを

頂きましたっけ。

高校に入って東京ドームのコンサートにも行ったなあ。

その後、大学時代は映画「ボディガード」の大ヒット。ディヴィッド・フォスターが

プロデュースする映画音楽って、「フットルース」とかも大好きだが、このサントラも

彼女の魅力を十分に引き出していたと思う。

近年、ベスト盤を聴いたりしてもやっぱりいいなと思っていたが、

やはり彼女はデビュー当時から抜群の歌唱力で完成されていたので、

初期の輝かしい印象が忘れられない。

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