9時に特養入所のための説明を受けるため、相方と出かけてきました。
元々ショートステイでお世話になっていた施設で、ショートステイ利用の際の契約と重なる部分も多いということで、かなりの部分は割愛されての説明だったものの
それでも1時間は充分かかりました。
帰宅するなり相方は「途中で眠くなった」などとんでもないことを言っていました。私は聴こえの悪い耳で必死に聞き漏らさないようにしていたので、さすがに
眠くはならなかったですね。
その後義母の入院している病院へ寄っておむつなどを置いてきました。
特養の職員さんは必要上、私たちよりまめに病院に様子を問い合わせていて、胃ろうを作ってから状態がよくなって、寝たきりから上半身起き上がったり車椅子に
乗ったりしているとのこと。
病棟の看護師さんも「元気ですよ」と話していましたので、今週か来週初めに退院するときには前回のようにすぐ病院へUターン・・・なんてことはなさそうです。
特養との契約は今日すぐにではなく、記入が必要な書類を何枚か持ち帰っていて、義母が退院するときに渡して契約完了となります。
その中のアンケートのようなもののなかに、終末期をどう迎えたいかという質問がありました。
病院へ入院して延命措置を受けるか、施設で緩和ケアを受けつつ看取られるか、など。もちろん今はわからないという選択肢もありますが、これから段階を
経るたびに意思の確認を何度か行うという説明でした。
もう今の本人の意思は想像すら出来ませんが、元気だった頃には延命治療などはしなくていい、とか話していたような気がします。
生きていることが苦痛な状態になったときには、自然な死を迎えるのがいいかもしれないけれど、実の子である相方や義弟にはなかなかその決断を下すのは
難しいはず。
この前義弟は、そうなったら延命治療はしなくていいと思うと話していましたけど、実際にその状態になって決断を下すときには必ず躊躇するんじゃないかな。
私も死ぬ間際まで頭がしっかりしているかどうかわからないので、まだ自分のことを自分で決められる今のうちに、認知症になって訳がわからなくなって
延命治療が必要な状態になったら、それはやめてね、とどこかに書くか話しておくかしておかなければいけないな・・・と今は思います。
でも実際に死ぬかもしれないというときに認知症になっていなかったら、「まだ死にたくないーっ!!」と駄々こねるかも。
ついでに死後の話もすると、私個人としては死後、献体とか臓器や角膜など提供したいという希望を持っています。ただ燃やす(って、ごみか?笑)んじゃなく、
使えるものは有効活用してもらえれば一番いいんじゃないかと思うんですが、どうやら相方は反対らしい。
家族の同意も必要ですもんねぇ。自分の体のことなのに、自分だけでは決められないのって、なんだかなぁと思います。
なんか今日のお天気みたいにパッとしないどころか、暗~い話になってしまいましたね。明日は明るい話題にしたいな。