「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」
とは、室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師・世阿弥が、「風姿花伝」に記している言葉。表現したいこと、言いたいことを象徴する部分を表現し、あとは、受け止める側が奥に秘められた大事な部分を想像してほしい・・・と。
日本人の奥ゆかしさを表した言葉なのであろう。
TBS系で放映中のドラマ「とんび」の中で、麻生祐未さんが演じる“たえ子”が「秘すれば花なり」と・・・第4話におけるキーワードとなるフレーズを発していた。
NHK版の「とんび」を感動一杯で観ていた我が家、1年ぶりに民放で放送されている同番組を毎回楽しみにしている。
3日(日)午後9時から放送の第4話、主人公・ヤスが悩み抜いている。我が子アキラが、母親の死について“たえ子”“幸子”“照雲”“尾藤社長”など周りの人たちに聞きまわっていたが、この人たちも本当のことが話せないでいた。
ヤスも本当のことが言えない。意を決して、ついに母の死は、自分のせいであるとアキラに話す。すると、アキラは父と距離を置くようになるが・・・“海雲”和尚が上手にアキラを諭す。
ここらあたりが、さすがである。仏門で人間形成のできている和尚の一言、ひと言はドラマを観ている視聴者にまで伝わってくる。この和尚の人生論、達観したものの考え方が、アキラの人間形成に大きな影響を与え、人に感謝できる人間へと成長していく。最高の人生の師であり、あの剣豪・宮本武蔵に精神論を諭された沢庵和尚を見るようである。
ところで、この第4話には、もう一つ大きな問題が残されていた。実は、ヤスが姉と慕っている“たえ子”には、幼くして別れた娘がいた。その娘が、結婚をするということで、ひと目でいいから実の母親に会いたいと願っていた。
そこで、ヤスがその娘のために・・・一肌脱ぐのである。
泣かせるね~
ヤスが“たえ子”の店に「ちょっと知り合いの娘と飲みに来た」と、連れだってやって来た。店には常連客の“尾藤社長”“照雲”“葛原”たちが来ていて、奇異な顔をしている。
初めて母親を見た娘、すぐに我が子と分かったが、娘とは呼べない“たえ子”。初めての母の手料理を食べながら涙ぐむ娘、しかし、母とは呼ぶことができない。娘との別れ際に“たえ子”がそれとなく話す「秘すれば花なり」のフレーズ・・・。
重い言葉であり、実の母親である“たえ子”の言うに言えない娘に伝えたい心の奥底・・・であった。
ところで、ヤス役の内野聖陽さん、空回りするほど張りきり過ぎの演技。生唾を飛ばしながら懸命にヤスを演じている。我が家では、NHK版の堤真一さんが演じた「ヤス」をかなり意識しているのかな~と、話している。
それはそれでいいが、前回も記したように広島弁の方言が飛び交うことがないところが・・・いささか、寂しい気分である。
それでも、原作の筋立てがいいので毎回が楽しみであるが・・。(咲・夫)
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とは、室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師・世阿弥が、「風姿花伝」に記している言葉。表現したいこと、言いたいことを象徴する部分を表現し、あとは、受け止める側が奥に秘められた大事な部分を想像してほしい・・・と。
日本人の奥ゆかしさを表した言葉なのであろう。
TBS系で放映中のドラマ「とんび」の中で、麻生祐未さんが演じる“たえ子”が「秘すれば花なり」と・・・第4話におけるキーワードとなるフレーズを発していた。
NHK版の「とんび」を感動一杯で観ていた我が家、1年ぶりに民放で放送されている同番組を毎回楽しみにしている。
3日(日)午後9時から放送の第4話、主人公・ヤスが悩み抜いている。我が子アキラが、母親の死について“たえ子”“幸子”“照雲”“尾藤社長”など周りの人たちに聞きまわっていたが、この人たちも本当のことが話せないでいた。
ヤスも本当のことが言えない。意を決して、ついに母の死は、自分のせいであるとアキラに話す。すると、アキラは父と距離を置くようになるが・・・“海雲”和尚が上手にアキラを諭す。
ここらあたりが、さすがである。仏門で人間形成のできている和尚の一言、ひと言はドラマを観ている視聴者にまで伝わってくる。この和尚の人生論、達観したものの考え方が、アキラの人間形成に大きな影響を与え、人に感謝できる人間へと成長していく。最高の人生の師であり、あの剣豪・宮本武蔵に精神論を諭された沢庵和尚を見るようである。
ところで、この第4話には、もう一つ大きな問題が残されていた。実は、ヤスが姉と慕っている“たえ子”には、幼くして別れた娘がいた。その娘が、結婚をするということで、ひと目でいいから実の母親に会いたいと願っていた。
そこで、ヤスがその娘のために・・・一肌脱ぐのである。
泣かせるね~
ヤスが“たえ子”の店に「ちょっと知り合いの娘と飲みに来た」と、連れだってやって来た。店には常連客の“尾藤社長”“照雲”“葛原”たちが来ていて、奇異な顔をしている。
初めて母親を見た娘、すぐに我が子と分かったが、娘とは呼べない“たえ子”。初めての母の手料理を食べながら涙ぐむ娘、しかし、母とは呼ぶことができない。娘との別れ際に“たえ子”がそれとなく話す「秘すれば花なり」のフレーズ・・・。
重い言葉であり、実の母親である“たえ子”の言うに言えない娘に伝えたい心の奥底・・・であった。
ところで、ヤス役の内野聖陽さん、空回りするほど張りきり過ぎの演技。生唾を飛ばしながら懸命にヤスを演じている。我が家では、NHK版の堤真一さんが演じた「ヤス」をかなり意識しているのかな~と、話している。
それはそれでいいが、前回も記したように広島弁の方言が飛び交うことがないところが・・・いささか、寂しい気分である。
それでも、原作の筋立てがいいので毎回が楽しみであるが・・。(咲・夫)
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