長い間、時間を要して読み終えた池波正太郎著作「雲霧仁左衛門」。人間関係の機微が如何なく描かれている池波小説に惚れ込み、相も変わらずに読みふけっている。
同名小説を読むより早く、仲代達矢さん主演の同名映画を何度か見ているものだから、筋立ては分かったつもりでいた。ところが、映画と小説では似て非なるものであった。映画は、雲霧仁左衛門一味が中心に描かれており、小説の方は火付盗賊改方と同一味双方の攻防戦、心理戦がキチンと描かれている。
やはり、原作となっている小説の方が、著者の伝えたいことが読者の心に一つ、ひとつ響くように伝わってくる。映画の方は、娯楽性を優先的に表現しているもので、登場する一人、ひとりの人物を細かく表現していない。殺陣とか、盗人の様子、絡み合いなどを派手に見せるだけである。
一方、小説、取り分け池波小説は精緻な文章力でもって、脇役である人物であってもつぶさに書き込まれているから、すぐそばにそのような人物がいるように錯覚させられる。ここらあたりが、他の小説家ではできない芸当と思っている。
この小説は、前篇・後編の2巻からなっており、とてつもなく分厚くて大長編になっている。しかし、飽くこともなく読み続けられるから不思議である。ページを追うごとに次々と展開する物語、「火付盗賊改方」と「雲霧仁左衛門一味」の組織組織の駆け引き、そこに絡む双方のリーダーがいかように部下を使いこなしているのか・・・面白いほど伝わってくる。
命を賭して使命を全うしようとする者たち、これをいかにその気にさせるのか、どの組織にあっても、いつの時代にあってもリーダーたる者は、火付盗賊改方の安部式部長官や盗賊一味の頭領・雲霧仁左衛門のような資質が求められる。
そして、さらに組織の末端までを滞りなく動かすための補佐役、火付盗賊改方の筆頭与力・山田藤兵衛や盗賊一味の小頭・木鼠の吉五郎がいかに優れているか・・・リーダーを支える人物、次のリーダーたる人物が育っているか、否かがその組織の命運を分ける。
さらに池波小説では、それぞれの組織の中に「金と女」で失敗を重ね、抜け落ちていく人間の弱さなども描かれているが、これはどの組織でも、いつの時代でも変わることのない人間の性(さが)であろう。
後段の解説・佐藤隆介氏の池波正太郎評には、いつも感心させられ、共感させられる部分ばかりである。同氏曰く(いわく)、池波小説の神髄ともいうべきことが表現されている例示の一つがこれであると・・。
「筆頭与力・山田藤兵衛が部下と打ち合わせをした後で交わす会話を拾い書きしてみようか。
『組屋敷へ帰るのか?』
『いえ、御役宅へ泊ります』
『毎夜、すまぬな』
『なんの。山田様こそ、御宅へ・・・・』
『なあに・・・・あ、そうじゃ。井口、大台所のいつものところに酒を置かせてある。ゆるりとのんでから、やすんでくれ。明日はまた、いそがしくなる』
『いつもながら、おこころづかい、かたじけなく・・・・』
『わかった。わかった』
何とも見事なものではないか。これが池波正太郎の小説というものである」
このような、会話の場面があちらこちらに散りばめられている池波小説。これこそが部下を使いこなす術(すべ)であるが、現代の世の中では既に捨てられたことのように世が移り変わっている。
だから、体罰やイジメが横行しているのであろう。
情けないね
あのような会話こそが、本来の日本人のあるべき姿であり、池波正太郎の世界には、このような世界観が流れており読む人の心をとらえて離さないのである。
さぁ~、次の本を読もう。(夫)
[追 記]~次の本とは~
「秘伝の声」(上・下)池波正太郎著
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同名小説を読むより早く、仲代達矢さん主演の同名映画を何度か見ているものだから、筋立ては分かったつもりでいた。ところが、映画と小説では似て非なるものであった。映画は、雲霧仁左衛門一味が中心に描かれており、小説の方は火付盗賊改方と同一味双方の攻防戦、心理戦がキチンと描かれている。
やはり、原作となっている小説の方が、著者の伝えたいことが読者の心に一つ、ひとつ響くように伝わってくる。映画の方は、娯楽性を優先的に表現しているもので、登場する一人、ひとりの人物を細かく表現していない。殺陣とか、盗人の様子、絡み合いなどを派手に見せるだけである。
一方、小説、取り分け池波小説は精緻な文章力でもって、脇役である人物であってもつぶさに書き込まれているから、すぐそばにそのような人物がいるように錯覚させられる。ここらあたりが、他の小説家ではできない芸当と思っている。
この小説は、前篇・後編の2巻からなっており、とてつもなく分厚くて大長編になっている。しかし、飽くこともなく読み続けられるから不思議である。ページを追うごとに次々と展開する物語、「火付盗賊改方」と「雲霧仁左衛門一味」の組織組織の駆け引き、そこに絡む双方のリーダーがいかように部下を使いこなしているのか・・・面白いほど伝わってくる。
命を賭して使命を全うしようとする者たち、これをいかにその気にさせるのか、どの組織にあっても、いつの時代にあってもリーダーたる者は、火付盗賊改方の安部式部長官や盗賊一味の頭領・雲霧仁左衛門のような資質が求められる。
そして、さらに組織の末端までを滞りなく動かすための補佐役、火付盗賊改方の筆頭与力・山田藤兵衛や盗賊一味の小頭・木鼠の吉五郎がいかに優れているか・・・リーダーを支える人物、次のリーダーたる人物が育っているか、否かがその組織の命運を分ける。
さらに池波小説では、それぞれの組織の中に「金と女」で失敗を重ね、抜け落ちていく人間の弱さなども描かれているが、これはどの組織でも、いつの時代でも変わることのない人間の性(さが)であろう。
後段の解説・佐藤隆介氏の池波正太郎評には、いつも感心させられ、共感させられる部分ばかりである。同氏曰く(いわく)、池波小説の神髄ともいうべきことが表現されている例示の一つがこれであると・・。
「筆頭与力・山田藤兵衛が部下と打ち合わせをした後で交わす会話を拾い書きしてみようか。
『組屋敷へ帰るのか?』
『いえ、御役宅へ泊ります』
『毎夜、すまぬな』
『なんの。山田様こそ、御宅へ・・・・』
『なあに・・・・あ、そうじゃ。井口、大台所のいつものところに酒を置かせてある。ゆるりとのんでから、やすんでくれ。明日はまた、いそがしくなる』
『いつもながら、おこころづかい、かたじけなく・・・・』
『わかった。わかった』
何とも見事なものではないか。これが池波正太郎の小説というものである」
このような、会話の場面があちらこちらに散りばめられている池波小説。これこそが部下を使いこなす術(すべ)であるが、現代の世の中では既に捨てられたことのように世が移り変わっている。
だから、体罰やイジメが横行しているのであろう。
情けないね
あのような会話こそが、本来の日本人のあるべき姿であり、池波正太郎の世界には、このような世界観が流れており読む人の心をとらえて離さないのである。
さぁ~、次の本を読もう。(夫)
[追 記]~次の本とは~
「秘伝の声」(上・下)池波正太郎著
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