紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

トトロの家とおばあちゃん

2006-11-06 21:12:18 | ファミリー
 私の母方の祖母のウチは、琵琶湖畔のお寺である。連休や夏休みなどに泊まりに行くと、朝はャ塔ン船の音で目が覚め、風の強い日は潮騒ならぬ湖の波の音が聴こえるくらいに、浜辺の近くだった。庫裏の裏手の廊下からは田んぼを隔てて松林がみえた。この家は私の実家に匹敵するくらい思い出深いが、いまは無い。

 台所に近いおばあちゃんの部屋で、従妹と共に寝起きした。夏になると蚊帳を吊ってもらえ、うれしくてはしゃぎ回った。台所は三和土でつっかけなどを履く。余ったご飯で夜食?のおむすびを作ってもらった。

 トイレは昔の家のお約束で、玄関を出てすぐのところだった。もちろん「ぽっとん便所」。トイレの外には手洗い用の水の入ったャbト?がぶら下がっている。石の手水鉢(ちょうずばち)もあったような。たった今思い出したが、家の中にも裏手の廊下の突き当たりにトイレがあった。
 お風呂は下から焚く「五右衛門風呂」で、大きな板をこわごわ踏みながら沈めて入った。

 お風呂の近くに表側の縁側がある。ここでひなたぼっこをしながら本を読むのが好きだった。夏には縁側で西瓜を食べ、外に種を飛ばしっこした。
 縁側の前には向かい合って二人で乗る白いブランコがあった。飽きもせず、従妹とこのブランコで遊んだ。

 お寺の本堂には、折りたたみ式木製の滑り台とオルガンがあったので、存分に遊んだ。私はむろん音楽の習い事には行ってなかったが、耳で聞いた曲を音を探しながら弾くのが大好きだった。

 2階のおばさんの部屋もこっそり上がって、見た事の無い三面鏡に感嘆し、化粧品の匂いにクラクラした。2階の窓の外に張り出した物干し台があるのが、ものすごく羨ましかった。自分の家には一個も無いラタンの家具がとてもおしゃれで大好きだった。裏側の窓を開けて、松林を通ってくる湖からの風にうっとりして、波の音を聴きながら、なんともいえない幸せを感じた。

 今も「トトロ」のアニメを見て、『サツキとメイの家』を見るたびに、この母方のおばあちゃんの家を思い出す。あの二階への階段なんて、ほんとそっくり。問答無用に子どもの頃のおばあちゃんの家に連れ去られる。

 祖母は私が大学生の頃、まだ60代で亡くなった。若くして夫を戦争で亡くし、戦争未亡人として二人の兄妹を育て上げた人だった。特に趣味はなかったが、当時大人気のプロレスが異様に好きでプロレス中継が始まると、テレビはおばあちゃんの独占だった(泣)

 「いけっ!馬場っ! そこや! いまや!」。 「馬場」とはもちろんプロレスラー、故・ジャイアント馬場さんのことである。ブラウン管の外であるにも関わらず、完全にリングサイドに入りきって応援していた。黙々と着々とよく働き、なんでも買ってもらえた太っ腹なおばあちゃんだったが、プロレス中継のテレビの前では「おばあちゃん」を「おっさん」に変換しないと子どもの脳みそでは現実の把握が難しかった。

 おばあちゃんが亡くなって四半世紀が経つが、いまも鮮明に「いけっ!馬場っ!」の声援はくっきりと耳に残っている。そしてあの懐かしい家は、「トトロ」を見る私にとっては「サツキとメイの家」ではなく「おばあちゃんの家」として、私の中ではっきりと甦って来るのだ。