紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

『芋たこ』ファミリー

2006-11-11 22:20:13 | ファミリー
 今日まとめて今週の『芋たこなんきん』を見て、濃いなああーと堪能した。
 おかげで午後は、家事がおせおせになった上、私のチョンボ続発で、晩ご飯に多大な被害が出た模様である。

 ドラマは子育て観の違いでぶつかる夫婦の話だった。夫・健次郎さんは「いうこときかへんかったら、手を挙げてでも悪い事をしたと解らす」派だし、妻・町子さんは「暴力はなにがあってもあきません。子どもが悪い事をしたときは、とことん話すべき」派である。

 ふたりは真剣に議論するけれど、決して自分の意見を相手に押し付けないところが大変よかった。「夫婦ちゅうても、おんなじ意見を持たなアカンていうことは、ないわな」と健次郎さんが結論づけて、意見の違う町子さんの影響を受けている長女の様子を、にこやかに見守っている距離感が絶妙。
 そして「結局は《自分》なんや。どんな怒られ方しても、考えるのは自分(子ども自身)なんやな」としみじみつぶやく健次郎さんに、しみじみしてしまう。

 「多様性の尊重」とか、「個性の重視」とか、もううんざりするくらい(特に行政資料で!笑)言葉では見聞きするけど、それを現実に実感する場面はほとんどないように思う。よほどバランス感覚のいい、適度に「テキトー」や「どうでもいいやん」を許せる人でないと不可能な高度なワザなのだ、きっと。

 でもそれはテクニックではなく、生活の中で体得するものかもしれない。

 子育てブックの中で「父母の意見が違うと、子どもが混乱してしまいます」という一文があり、父母だけでなく祖父母もいた我家では、どうしたらいいんや??と、しばらく考え込んでしまった時期があった。
 が、考えたってしょうのないことなので、「ま、なるようになるやろ」と、その件は放置してしまった。というか、それぞれ好きに子どもに接したらいいやん、子どもは大人が考えているより、ずっと賢いから、と結論した。ほんと、子どもは大人以上です。

 家族の中で子育ての方法を巡って、大人同士がギスギスするより、お互いの子育てのやり方を重視しつつ、大人同士で微調整したり、大枠を決めたりする「歩きながら考える」方法を、みんなで自然に選んでいたように思う。それぞれ得意分野も苦手分野もあるので、フィールド分担もなんとなく出来ていく。

 だれも「この方法じゃなきゃダメ」みたいなことを言わなかったし、意見が違う時には「私はこう思うんだけど」という自由にものを言える空気と、それを受入れる下地があったのが、家族をやっていく上で大事な事を痛感した。

 それは「民主的」というャ潟eィカルな言葉では括れない空気である。どちらかといえば「想像力とサービス精神」とか「客の身になって考えるあきんど道」に近いかも。
 私は嫁な立場なので、夫の家族の「サービス精神全開」さに最初は驚いてしまったが、一緒に暮らすうちにすっかり馴染んでしまった観がある(彼らに比べれば、まだまだだが)。

 今週の『芋たこなんきん』のうち、プレイバックしてもういちど見たい場面は、子ども時代の回想にでてくる祖父(岸部一徳)が孫のまねをして「栗ごはん♪ 栗ごはん♪」と栗の真似!をしつつステップを踏む所、初登場の健次郎さんの兄(職業?「流れ者」/火野正平)がお目見えする場面すべてである。
 昨日よりややヘヴィな気持を抱えていたけれど、どっと和ませていただきました。