紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

コットンフィールズの東北弁

2006-11-26 21:30:12 | 読書
 子どもの頃、ストウ夫人の「アンクル・トムの小屋」のダイジェスト版/児童書を繰り返し読み、随分義憤に駆られた。アメリカの奴隷制度という社会問題に目が向いた第1歩だったかもしれない。

 それとともに「だんなさま、わしは知らねえですだ」と、まだ奴隷制度の枠内にいたアンクル・トムが、東北弁をしゃべっている事も無条件に刷り込まれてしまった。

 だから長じて大学生になり、フォークナーや南部の作家達が描く黒人たちが、揃いも揃って東北弁をしゃべることに、なんら違和感を抱かなかったのである。

 そこに一石を投じた末ニがいた。青山南さんである。彼のエッセイ『ピーターとペーターの狭間で』(ちくま文庫)の中の「南部の東北弁」という一文を読み、初めて疑問に思った。
 なんでコットンフィールズで奴隷として働く、しかも南部の黒人が雪深く農作物の栽狽ノも苦労する寒冷地の東北弁を使うのか? 
 言われてみれば、そのとおりなのだ。訛りを使いたいのなら、青山さんの言う通り「ばってん」とか「ごわす」とか西郷さんような薩摩弁を使った方が、少なくとも地理的には正解だと思う。

 しかも井上ひさしさんによると、末{に登場する東北弁は東北地方のどこにも使われていない架空の東北弁らしいのである。ドラマでよくある方言指導みたいな方言監修も、末キるときに必要なのかも。

 実際青山さんはカリブ海の海亀漁の話を末キる時、語感のニュアンスを出すために小川国夫さんを通して、藤枝の漁師さんに言葉のチェックをしていただいたそうである。末フ奥深さと心血を注ぐ仕事ぶりに恐れ入った次第である。

 ところで、考えてみたら私は「南部の黒人」だけじゃなく、他にもアメリカで東北弁を話す人達を、子どもの頃しょっちゅうテレビで観ていたのだった。

 アメリカの山奥で暮らしていた一家が、猟のため鉄砲を発砲する。獲物には当たらなかったものの、なんと逸れた鉄砲の弾が当たった場所から石油が湧き出し、一家はたちまち億万長者になり、ビバリーヒルズの豪邸に引っ越し、てんやわんやの大騒動を繰り広げるアメリカのコメディドラマである。この一家が、そろって東北弁なのだ。そう、タイトルは「ジャジャ馬億万長者」なのである。『ビバリーヒル・ビリーズ』のタイトルで映画化もされている。

 しかし日本の田舎モンは東北の人々だけではないのに、考えてみればおかしな話なのだ。日本の西や南を「田舎」と認識しないのは、もしかすると明治から続く、薩摩/長州の差し金かも??