八日市の駅前は通勤路なので、仕事の日には朝夕通るのだが、ずっと発見できなくて不思議に思っていたお店がある。それも全国区で有名な高級料亭である。
『招福楼』といえば、『家庭画報』や『婦人画報』や『和樂』が特集するほどのランクであり、セレブな奥様方を誘惑し、紳士の皆様なら、万が一にも失敗の許されない気を使う接待に利用するような場所である。東京にだってビルの最上階に店を出しているのだ。
こんな泣く子も黙るランクの料亭なので、駅前にあるのなら、すぐにわかるはず、とタカをくくっていた。
それが駅前を通って1年もたとうというのに、いまだ発見してないというのはどういうことだろう? 駅前に駐車場もあるので、絶対、駅からすぐの場所なのに。
それも通勤の帰りには、趣味の良いお召し物の女将らしき方と、夏には涼しげな麻織物の上衣(バックに店名が品良く明記)を羽織った和風作務衣姿の番頭さん!?らしき男性のふたりが並んで、駅前でお客様をお出迎えのため待っておられる姿をたまに見かけたりもしたのだ。
それなのに、お店がどこにあるのか、皆目わからないなんて!!
ナゾが解けたのは昨日である。
いつになく順調に装備(フィルムルックスで本をくるむ)の仕事がはかどり、切りよく終業時間を超えずに職場を出られた。時間に余裕を持った駅までの距離を、いつもとは違うルートに入ってみようと思い立った。
夕方6時でも、もう充分明るいので、少し怪しげな路地裏に入ってみる。木造の古いさびれた旅籠のような家、ベンガラ格子の家などの時計が止まったような小路を通り過ぎ、角を曲がると、一気に小規模な木屋町のような夜のお店小路になる。コンクリートの小箱のようなスナックやバー、女の子募集の張り紙があるネオンがケバそうな店が立ち並んでいるが、まだ静かだ。
どきどきしながらそれらを通り抜けると、この細い道の右手に、突如青々とした紅葉などの繁る深い和のアプローチがある。山荘のようにアプローチが深過ぎて、建物はまだ何も見えない。唐突に現れた場違いな空間に、ここは一体!?とあっけに取られていたら、開放された入口のそばに大きめの石がある。石に彫られている文字を見て驚愕。そう、ここが噂の『招福楼』だったのだ。
吸い込まれそうに美しい緑の杜にうっとりしつつ通り過ぎれば、次にあるのは丼物のレプリカがショーケースに並んだ大衆食堂なのだが、レプリカがあまりに古く変色しているので、食欲もどこかにいってしまいそう。それより、まず営業しているのかどうかも不明なくらい寂れた感じだ。
はじめてお店を訪ねて来た方は、たいてい順調にたどり着けない、とお店の方がどこの雑誌でおっしゃっていたようだが、そういうことだったのだ。まさに曹ォ溜めに鶴、天水桶に竜である。
もっとも夜の懐石が3万円~、ランチタイムの懐石ですら1万5千円~では、とてもうっかり暖簾をくぐる訳にはいかない。
なにしろ『日本文化の総合演出を目指し「禅の精神とお茶の心を基とする料理」をお楽しみいただく』という壮大な懐石料理の宇宙である。極上の美意識と、古典や美術、茶道具や庭園や陶器などへのたしなみと教養を持ち合わせずば、『招福楼』を高いパーセンテージで味わえず大損した気分になるではないか、という畏れすら感じる。
そういう意味では、今も、そしてたぶんこれからも、変わることなくナゾのお店でありつづけそう。
『招福楼』といえば、『家庭画報』や『婦人画報』や『和樂』が特集するほどのランクであり、セレブな奥様方を誘惑し、紳士の皆様なら、万が一にも失敗の許されない気を使う接待に利用するような場所である。東京にだってビルの最上階に店を出しているのだ。
こんな泣く子も黙るランクの料亭なので、駅前にあるのなら、すぐにわかるはず、とタカをくくっていた。
それが駅前を通って1年もたとうというのに、いまだ発見してないというのはどういうことだろう? 駅前に駐車場もあるので、絶対、駅からすぐの場所なのに。
それも通勤の帰りには、趣味の良いお召し物の女将らしき方と、夏には涼しげな麻織物の上衣(バックに店名が品良く明記)を羽織った和風作務衣姿の番頭さん!?らしき男性のふたりが並んで、駅前でお客様をお出迎えのため待っておられる姿をたまに見かけたりもしたのだ。
それなのに、お店がどこにあるのか、皆目わからないなんて!!
ナゾが解けたのは昨日である。
いつになく順調に装備(フィルムルックスで本をくるむ)の仕事がはかどり、切りよく終業時間を超えずに職場を出られた。時間に余裕を持った駅までの距離を、いつもとは違うルートに入ってみようと思い立った。
夕方6時でも、もう充分明るいので、少し怪しげな路地裏に入ってみる。木造の古いさびれた旅籠のような家、ベンガラ格子の家などの時計が止まったような小路を通り過ぎ、角を曲がると、一気に小規模な木屋町のような夜のお店小路になる。コンクリートの小箱のようなスナックやバー、女の子募集の張り紙があるネオンがケバそうな店が立ち並んでいるが、まだ静かだ。
どきどきしながらそれらを通り抜けると、この細い道の右手に、突如青々とした紅葉などの繁る深い和のアプローチがある。山荘のようにアプローチが深過ぎて、建物はまだ何も見えない。唐突に現れた場違いな空間に、ここは一体!?とあっけに取られていたら、開放された入口のそばに大きめの石がある。石に彫られている文字を見て驚愕。そう、ここが噂の『招福楼』だったのだ。
吸い込まれそうに美しい緑の杜にうっとりしつつ通り過ぎれば、次にあるのは丼物のレプリカがショーケースに並んだ大衆食堂なのだが、レプリカがあまりに古く変色しているので、食欲もどこかにいってしまいそう。それより、まず営業しているのかどうかも不明なくらい寂れた感じだ。
はじめてお店を訪ねて来た方は、たいてい順調にたどり着けない、とお店の方がどこの雑誌でおっしゃっていたようだが、そういうことだったのだ。まさに曹ォ溜めに鶴、天水桶に竜である。
もっとも夜の懐石が3万円~、ランチタイムの懐石ですら1万5千円~では、とてもうっかり暖簾をくぐる訳にはいかない。
なにしろ『日本文化の総合演出を目指し「禅の精神とお茶の心を基とする料理」をお楽しみいただく』という壮大な懐石料理の宇宙である。極上の美意識と、古典や美術、茶道具や庭園や陶器などへのたしなみと教養を持ち合わせずば、『招福楼』を高いパーセンテージで味わえず大損した気分になるではないか、という畏れすら感じる。
そういう意味では、今も、そしてたぶんこれからも、変わることなくナゾのお店でありつづけそう。