紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

絶対斎藤主義!

2009-06-28 00:18:00 | 読書
 眠くて眠くて、PCの前ではあんなに何度も寝落ちたのに、そしてついにブログは諦めたというのに・・・告白すると、実はその後布団にもぐった後、ギンギンに目が冴えてしまったのでした。重ねて、もうしわけございません!!

 なぜ目が覚めてしまったのかというと、『風光る』の21、22巻を通読してしまったから! さらに言うなら、新選組きっての、男どもすら惑わす美少年(実は美少女)の主人公、神谷清三郎こと富永セイや、彼女が恋する一番隊組長の沖田総司というヒロイン、ヒーロークラスをしのぐほど紙面に露出し、しかも作者の愛情をたっぷり受けて精緻に書き込まれていたのが三番隊組長の斎藤一先生だったから! 斎藤先生ファンには、たまりません!

 2巻ぶっとおして読んでしまいましたよ! ・・・しかしセイと総司の生死を賭けた純愛よりも、むしろ武士道と恋心の狭間で悶々とし、かつ沖田への嫉妬に苛つく斎藤先生の、思春期の少年のように、妄想や夢や願望に迄Mされる悩み多き心情にがっちり心を掴まれる私って(笑) 

 斎藤先生の、清三郎(セイ)へのおもいを告げるけっこうストレートな言動ですら、「(新選組での)兄上」として彼を慕う清三郎(セイ)には、あっさりすりぬけてしまう、あの切なさがツボなのですよね。清三郎(セイ)にものすごく慕われ「兄上~(ハート)」と抱きつかれながらも、「恋愛対象」としては決して見てもらえない「生殺し」状態の斎藤先生に、笑いと胸キュンを同時に感じてしまうという(笑)

 そう、最愛の今は亡き兄の親友であった斎藤先生を、「兄上~」と無邪気に慕ってしまう清三郎(セイ)が、今回配置換えで同じ隊となり、身近にいる(しかも隣の布団で無邪気に眠ったりしている!)だけに一層、斎藤先生を苦悩に引きずり込むのですよね・・・おまけに沖田先生への思いを(寝ても醒めても!)無邪気に口にするし。なんて罪作りなヤツなんだ(笑)

 そんな罪作りなヤツに、心底惚れ抜いている斎藤先生は、たぶんこれからも作者と清三郎(セイ)と沖田先生に迄Mされ続けるだろうけれど、彼なりに、ひとつの決着を見たように思う。たぶん自分はセイの「兄上」として(ときにクラクラしながらも?笑)守ってゆく覚悟なのだろう。その切なさがかっこいいぞ、斎藤一!

 それにしても、新選組には桜が似合うなあ。明日をも知れぬ命の人たちで、まさに「俺たちに明日はない」状態だから、年単位の砂時計のような桜の散り際は、新選組には、かなりハマるのだ。
 大河ドラマの『新選組!』では、1年スパンの時間を桜に託して、沖田が同年の藤堂が伊東甲子太郎派に付き隊を出るときに「俺は今年の桜は見られても、来年の桜は見られないかもしれない」と自分の命が幾ばくもないことを告白するシーンが印象深かった。(でも「来年の桜」を見られなかったのは、実は藤堂の方だったのが悲しい皮肉で。よけい彼の死が哀れだった)

 『風光る』でも、そんな桜とセイの兄の思い出を、斎藤先生とセイだけが共有できたという、ロマンチックな場面があり、これがたいへん麗しい。しかも斎藤先生にとってはダイナミックにストーリーが変換する場面でもあり、すごく好きな桜のシーン。うっとりです。

 それにしても、セイの兄や沖田先生ですら、斎藤先生にセイをまかせたら(妻にしてもらったら)安心と口にしているのに・・・世の中って、うまくいかないもんですねえ、斎藤先生?