紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

根拠なき直感

2009-06-15 08:41:00 | ノンジャンル
 まずは、おばあちゃんの足は単なる打撲で、2週間もすれば歩けるようになる、というお医者様の診断に一安心。ご心配をおかけしました。

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 現在進行形でハマっている少女漫画『風光る』の登場人物に、新撰組で沖田と双璧をなす剣の達人、斎藤一という人がいる。

 彼はおそるべき鋭利な感覚を持っているので、人の心中や水面下で行なわれている物事に対してたいていの真実は言い当てる。そして「どうしてわかるんですか~!?」という相手の驚愕に対する斎藤さんの答えはこうだ。

「何の根拠もない直感だ。だがいつも後から結果がついてくるから、俺の直感は当たる」。

 これはかなりカッコイイ。理論で説明されるより、よほどわかりやすい(少なくとも私には)。ごまかされ感がないし、理屈であれこれいう男より、よほどカッコイイ、という女子は案外多いのではないだろうか?

 理論や条件で語りきれないのが結婚だけど、ここで一番の指針となるのが、まさしく直感。大恋愛しても結婚に不安だらけだったり、軽いノリで緊張感も、ついでにあれこれ考えることもなくあっさり結婚しちゃったり。
 理由なんて無い。なんの根拠も無い。でもただ「わかる」だけ。自分の直感は信じなければならない。

 だから「どのような相手と結婚しても、『それなりに幸福になれる』高い適応能力の資質」云々っていう内田先生のご意見(「学院標語と結婚の条件」)には、どうしても賛同しかねる。まずやっぱり、理屈抜きに生理的にダメな人、っていうのはいますからね。

「どのような相手と結婚しても」というのは、やっぱり乱暴にすぎる。
 というより、ちゃんと自分の相手を選ぶ能力は、まっすぐ物を見さえすれば、どんな人も持っているということを彼はいいたいんじゃないかと。やっぱり自分の選択能力を発見する事が大事な訳で。それが結論なんだし↓

だから、「誰とでも結婚できる」というのは、言葉は浮ついているが、実際にはかなり複雑な人間的資質なのである。
それはこれまでの経験に裏づけられた「人を見る眼」を要求し、同時に、どのような条件下でも「私は幸福になってみせる」というゆるがぬ決断を要求する。
いまの人々がなかなか結婚できないのは、第一に自分の「人を見る眼」を自分自身が信用していないからであり、第二に「いまだ知られざる潜在可能性」が自分に蔵されていることを実は信じていないからである。
相手が信じられないから結婚できないのではなく、自分を信じていないから結婚できないのである。


 これには同感。そうなんです、だから「だれとでも結婚してうまくやっていく」なんて、それは無理。どれだけ自分を信じられるか、そんな自分の選んだ相手を信じられるか、の方なのですよね。