紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

たぬき御殿本丸

2007-04-02 23:36:27 | おでかけ
 いよいよたぬき御殿に突入である。まずは平面のタヌキを見る。黄表紙の挿絵、浮世絵のたぬき尽くし、絵本や読本、鰍ッ軸と、よくも集めたと感心するほど、タヌキ勢揃いである。

 中でも黄表紙の化け物に変身したタヌキが、いたくH氏の琴線に触れたらしい。一応人間のカタチはしているが、顔は丸くのっぺらぼうで「惡」と書いており、半裸でしっぽがぶら下がっている。そのテイストは「仮面ライダー」のショッカーにも通じる。
 黄表紙の挿絵のセンスは、大変に剽軽ですっきりとし、昔の人のセンスがいかに素晴らしいものかを思い知る。

 明治中頃には、外国ではジャャjズムブームだったらしい。「ちりめん本」というちりめん加工した紙に、いかにも日本趣味の絵が描かれ、日本の昔話などが英訳され、出回っていたそうだ。

 文福茶釜やタヌキ和尚、カチカチ山など、懐かしいお話にも巡り会えた。それにしても、茶釜とタヌキの取り合わせって、マッチするのか、しないのか、いつも判断に苦しむところである。

 そしていよいよ平面から立体へ、おなじみの「信楽の狸」の展示が始まる。

 あのひとくせも、ふたくせもある目つき、悪代官と良からぬ相談を繰り広げる小ずるいアキンドのような佇まい、などなど、ちょいワルどころでないオヤジぶりを発揮するタヌキたち。居並ぶタヌキの中で、いくつかは確実に私のハートを射止めた。

 昔は顔の後ろに空洞があり、顔の部分に灯りを吊るす場所があったらしい。夜になると灯りをタヌキの頭部に入れて、楽しむ人もあったという。そうすると、くり抜かれたタヌキの眼が光るのだ。いまでも意地の悪そうなダルマのような表情のタヌキを選んで玄関に置き、センサーで眼から光が出るようにしむけたら、夜にお見えの妖しいお方は驚かれるかも。

 タヌキ意匠の香合(茶の湯の道具で、お香を入れる入れ物)も数点有り、高雅で敷居の高そうな「茶の湯」にも、気の効いた物があるじゃないの、とうれしくなる。そうなのだ、「茶の湯」はおもてなしの心、ホスピタリティの精神なので、「どう、ほら、これ、面白いでしょ!?」というのも、ありなのだった。

 明日はこの展覧会で発見した、「タヌキに魅せられた人々」の話をする予定です。

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