紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

『松尾』と蕎麦と忍者

2008-05-21 14:18:36 | おでかけ
 しつこく話はまだ続く。まだ『松尾』の蕎麦を食べていないのだ。

 お腹が「くうふく/くうふく/くうふく・・・」と蝉のように鳴き立て始めた頃、店内にやっと潜入でき、餓死をまぬがれる。

 たぶん地元の陶潔ニがつくったであろう器や花器や置物が、やかましくない、ちょうどいいバランスで配置されている素敵な店内の一角を、奇妙な四名ご一行様が占拠する。
短髪のアメリカ人男性(日本語堪能)、フランクでスタイリッシュな少年、どう見ても実年齢と精神年齢がやたらアンバランスな一組の男女。

 しかしダモンテさんと店主とはツーカーの仲らしく、怪しまれることもなく、ことなきを得た。もっともお茶を運んでくれたオネエさんたちについては、定かでない。

 ところで、東海林さだおこと、ショージ君風に考えるなら、名店のこだわりの食べ物を出す店主は気難しいとされる。ことに蕎麦は「蕎麦道場」などもあるくらいで、奥が深い分、店主のこだわりも深いのではと推測される。

 しかし『松尾』の店主は、とびきりのこだわり蕎麦の店にも関わらず、とても気さくでにこやかである。どれくらいにこやかかと言えば、首を振らない淀川五郎くらい、常に笑顔である。たぶん愚痴るときにも同様に笑顔なので、愚痴られても愚痴られていることすら気付かないほど、気持のいい笑顔なのだ。

 私とH氏は冷たい『おろし蕎麦』を食べる。ダモンテさんは納豆蕎麦である。なんでかわからないが、流石(さすが)!と思う。なぜか日本に住む私の知り合いのアメリカ人はほぼ、日本人以上に日本人だと思う。しかし私の知っている範囲なので、H氏にいえば、鼻であしらわれそうな意見ではある。

 Yくんは蕎麦以外に天ぷらも注文し、その天ぷらも本当に美味しそうだった。その日の夕食は、私も思わずカボチャの天ぷらにしてしまったほどだ。
 H氏は、「なんで天ぷら揚げてる仕事場にいるのに、天ぷら食いたいんやろ?」と不思議がっていたが、待ち時間(それも空腹時)に厨房からの天ぷら油の匂いをかぎながら天ぷらの話をしていたから、頭の中は天ぷら一色になっても不思議ではない。しかも食べ盛りなのだから、蕎麦だけなんてムリムリ! 

 それから、念願の『蕎麦がき』を一皿注文し、みんなで少しずつ食べる。見た目は揚げる前のイワシのつみれ天をねっとりさせたような感じ。

 うれしい! おいしい! 

 「『蕎麦がき』って、こんな味やったんや!」と、みんなで感動を分かち合う。
 しかし感動の蕎麦がきの最後のひときれを食べたH氏は「蕎麦がきって、里芋みたいな味やったんや」。
 たしかに柔らかく煮た里芋に似てはいるが・・・あまりに図星なので、なんだか身も蓋もない気もする。真実はときに人を不幸にする。

 それで、ごちそうさまと店を出た時には、正直、ちょっとお腹が物足りないな・・・と思っていた。ところがである。時間が経てば経つほど、お腹が満たされて来るのだ。不思議??
 
そういえば、『ちりとてちん』で糸子さんがいってたっけ。

 蕎麦は忍者が、最低限の持ち物を身に付けて野山で行動していたっていうあの忍者が持ち歩いていた、というくらいの食べ物や。それくらい栄養もあるし、最高の食べ物なんや。

 糸子さんの科白に(つまり藤本有紀さんのウンチクに)、納得の結論がくだされた日でもあったのである。

 ちなみに「松尾芭蕉は俳諧の旅をしつつ、スパイ活動も同時進行で行う忍者だった」という有名な在野の説もある。

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