俺32才氷河期だが、盆に高校の同窓会があったんだよ。
http://copypa.blog99.fc2.com/blog-entry-4433.html
わたしは地元の同窓会に行ったこともないし行く気もない。
とはいえ、まあ世間では同窓会でもやろうかという年齢になっているのかもしれない。
もしそこに顔を出したとすれば、きっと↑上のリンク先のような話になるだろう。
> 就職氷河期だというだけで、なんでみんな不幸なんだ。
最後はこの一文で締められている。
自覚はないんだがわたしも氷河期世代ということになるんだろうから同年代だ。
わたしはこの氷河期世代という言い方が気に入らない。
「俺たちはかわいそうな人たちではない! かってに人をかわいそうな人あつかいしないでくれ!」
といいたい気分である。
わたしは自分が不幸だとは1ミリも思っていない。
小中学校は義務教育なので、どんなヤツでもそこにいっしょにいる。
高校になるといくらかグレード別に選別がなされるから、小中学校ほどの人間の多様性は感じない。
大学になって学科で分けられるとさらにその傾向が強まる。
就職するとなおのことだ。
だから、実家から遥か離れた場所で一人暮らしをしている人たちにとって、一般世間にくらべて自分たちはどうなのかと気にすることなどめったにない。
少なくともわたしは。
しかし地元でずっと暮らしていたり、小中学校の同窓会に顔を出したりすると、それはどうだろうか?
良かれ悪しかれ一般世間と自分との立ち位置を意識することになろう。
そこでは何が起きているだろうか?
まあそこでは想像もつかないような世間の悲喜こもごもの多様性に驚かされることになろう。
きっとそこでは自分たちが氷河期世代だと呼ばれるに値する何かをイヤでも感じることになりそうな気がする。
まあ気が滅入るだろうな。
これを回避するにはどうすれば良いのか?
たぶん・・・
大学への進学のタイミングで地元を離れるか、
地元でも全国区で就職活動ができる大学に進学して就職するタイミングで離れるか、
・・・くらいしか安易にそれができる方法はない気がする。
もちろん小中学校の同級生の大半はそうではない。
その大半となった人たちは何を思うのだろうか。
地元から出て行ったっきり盆と正月くらいしか戻ってこないヤツらのことをどう思うのだろうか。
わたしには全くわからない。
これはあくまでも直感でしかないが、地元に残るという選択をしたわたしよりも今のわたしのほうが精神的な負担の少ない人生を送っているのではないかという気がしてならない。
アニメでも、”ヨスガノソラ”や”星空へ架かる橋”など、ド田舎で閉鎖的な村社会での日常を描いたドラマがそこにある。
そこでこそあった恋愛の物語にふれ、見た人はみな感動を受けた。
しかし。
そこに自分が根をはって死ぬまで永住したいかというと・・・
自分が生まれ育った実家のまわりや小中学校のまわりのことを考えると、それは明らかにYESと答えるのに躊躇する。
“ヨスガノソラ”でも、もし穹がそばにいてくれるなら、その田舎であるというデメリットを払拭するだけの信念を持ちうる、それくらいだ。
田舎。故郷。
これらは憧れや良き思い出の場として良いイメージで語り継がれる。
しかしそこには閉鎖的で人を束縛する何かも同時に感じてしまう。
”ヨスガノソラ”や”星空へ架かる橋”のようなものではなく、わたしはもっとお気楽に人生をまっとうしたい。
http://copypa.blog99.fc2.com/blog-entry-4433.html
わたしは地元の同窓会に行ったこともないし行く気もない。
とはいえ、まあ世間では同窓会でもやろうかという年齢になっているのかもしれない。
もしそこに顔を出したとすれば、きっと↑上のリンク先のような話になるだろう。
> 就職氷河期だというだけで、なんでみんな不幸なんだ。
最後はこの一文で締められている。
自覚はないんだがわたしも氷河期世代ということになるんだろうから同年代だ。
わたしはこの氷河期世代という言い方が気に入らない。
「俺たちはかわいそうな人たちではない! かってに人をかわいそうな人あつかいしないでくれ!」
といいたい気分である。
わたしは自分が不幸だとは1ミリも思っていない。
小中学校は義務教育なので、どんなヤツでもそこにいっしょにいる。
高校になるといくらかグレード別に選別がなされるから、小中学校ほどの人間の多様性は感じない。
大学になって学科で分けられるとさらにその傾向が強まる。
就職するとなおのことだ。
だから、実家から遥か離れた場所で一人暮らしをしている人たちにとって、一般世間にくらべて自分たちはどうなのかと気にすることなどめったにない。
少なくともわたしは。
しかし地元でずっと暮らしていたり、小中学校の同窓会に顔を出したりすると、それはどうだろうか?
良かれ悪しかれ一般世間と自分との立ち位置を意識することになろう。
そこでは何が起きているだろうか?
まあそこでは想像もつかないような世間の悲喜こもごもの多様性に驚かされることになろう。
きっとそこでは自分たちが氷河期世代だと呼ばれるに値する何かをイヤでも感じることになりそうな気がする。
まあ気が滅入るだろうな。
これを回避するにはどうすれば良いのか?
たぶん・・・
大学への進学のタイミングで地元を離れるか、
地元でも全国区で就職活動ができる大学に進学して就職するタイミングで離れるか、
・・・くらいしか安易にそれができる方法はない気がする。
もちろん小中学校の同級生の大半はそうではない。
その大半となった人たちは何を思うのだろうか。
地元から出て行ったっきり盆と正月くらいしか戻ってこないヤツらのことをどう思うのだろうか。
わたしには全くわからない。
これはあくまでも直感でしかないが、地元に残るという選択をしたわたしよりも今のわたしのほうが精神的な負担の少ない人生を送っているのではないかという気がしてならない。
アニメでも、”ヨスガノソラ”や”星空へ架かる橋”など、ド田舎で閉鎖的な村社会での日常を描いたドラマがそこにある。
そこでこそあった恋愛の物語にふれ、見た人はみな感動を受けた。
しかし。
そこに自分が根をはって死ぬまで永住したいかというと・・・
自分が生まれ育った実家のまわりや小中学校のまわりのことを考えると、それは明らかにYESと答えるのに躊躇する。
“ヨスガノソラ”でも、もし穹がそばにいてくれるなら、その田舎であるというデメリットを払拭するだけの信念を持ちうる、それくらいだ。
田舎。故郷。
これらは憧れや良き思い出の場として良いイメージで語り継がれる。
しかしそこには閉鎖的で人を束縛する何かも同時に感じてしまう。
”ヨスガノソラ”や”星空へ架かる橋”のようなものではなく、わたしはもっとお気楽に人生をまっとうしたい。